モノづくりは「人類に欠かすことの出来ない創造的な営み」と唱える男のチャンレジ!
サンディスク株式会社
代表取締役社長
小池 淳義
コンパクトで大容量のデータを記録するメモリーカードの市場で世界的なシェアを誇るのがサンディスク株式会社。代表取締役社長の小池淳義は、日本の半導体産業にチップの生産スピードの向上という大きな改革をもたらした人物でもある。長年技術者として日本の半導体産業を支えてきた小池淳義の決断と選択に迫る。
田丸今回のゲストは、サンディスク株式会社の小池淳義社長です。どうぞ。
蟹瀬どうもよろしくお願いします。
小池よろしくお願いします。
蟹瀬さて、こちらの方に大変綺麗な丸いものがありますが、これは何なのですか?
小池私どもが、ウエハ(半導体チップの製造に使われるシリコンの基盤)と呼んでおりまして、この半導体のチップを一変に製造するためのシリコンの基盤でございます。
蟹瀬この小さく四角く見えているのが、いわゆるICチップといわれる物なのですか?
小池はい。
蟹瀬これ一個一個……。
小池この後、切り出しまして一つ一つパッケージを行うことで皆さんがお使いになっている、いろんな製品になっていきます。そういう形になっております。
蟹瀬これは、直径何センチですか?
小池300mm、30cmです。
蟹瀬以前は、20cmだったそうですね。
小池はい。20cmで吊るしたわけでございますけれども、私どもはコストを下げるために口径を大きく致しましとたくさんのチップが取れる。コストが下がるということでございまして、絶えず口径を大きくする努力をしてまいりました。
蟹瀬その技術の中心人物が実は小池さんです。その辺の300mmを作るご苦労を今日は是非伺いたいと思います。
田丸伺いたいと思います。
様々な機器や家電製品に使われている半導体、小池が目指したのは世界に先駆けた技術改革。直径300mmのウエハによって、日本の半導体産業は新たな一歩を踏み出すことに。
今年1月、東京秋葉原でBCN AWARD 2010が行われた。この賞は、大手家電販売店など24社のデータを集計し、昨年最も販売実績のあったメーカーに贈られる。そのメモリーカード部門で3年連続受賞したのがサンディスク株式会社である。
携帯電話やデジタルカメラに使われるフラッシュメモリを使ったメモリーカードの設計から製造に至るまで一貫して行っている。このメモリーカードの中に組み込まれているのが半導体チップ。現在、大半の家電製品にも使われている。2007年、サンディスクは、東芝と合同で三重県四日市に世界最大級となるフラッシュメモリの製造工場を設立。今後のデジタル市場を牽引するであろう注目メーカーの一つである。
蟹瀬まずは、サンディスクという会社について大まかに教えていただけますか?
小池私どもの本社は、アメリカのカリフォルニアにございまして、創立して20周年を迎えたのでございますけれども、主にフラッシュメモリをベースとしましたカードをですね、皆様がお使いになっておられますデジタルカメラや携帯電話等に適用しております。
蟹瀬シュッと差し込むあれですね。
小池はい。あれをメインに作っておりまして。そういったものを一貫して作っている。製造開発から最終製品まで一貫して作っている会社でございます。
蟹瀬今、横のパネルに貼らせていただいたのですけれども。
小池上の方がコンパクトフラッシュと申しまして、大きな専門用の一眼レフのカメラなどに使われるカードでございます。
蟹瀬カメラ。
小池2段目にありますのが、一般の皆さんがお使いになっておられるデジタルカメラですね。最後は、USBメモリでございますけれども、こういった形のものでございます。
蟹瀬これはパソコンをお使いになる方であれば日常的に使われていますけれども。小池さんは、半導体生産の申し子と。
小池はい。
蟹瀬こういうふうに呼ばれていらっしゃると伺っていますけれども。この半導体の生産に目を付けられたのは、どういうキッカケだったのですか?
小池そうですね。日立製作所に前におりまして、まずそこに入社致しまして。ちょうど半導体が大きく成長していくという時代でございました。これからは半導体の時代だと。
蟹瀬これだと。
小池そういう形で、その中でも生産技術、日本人の得意な物作りに特化した半導体の生産技術というのをやっていこうということで進めてまいりました。
蟹瀬なるほど。その辺の詳しいお話を是非ともこれから伺ってまいりたいと思います。
1952年、千葉県に生まれた小池。小学生の頃、父親の転勤に伴い広島県呉市に移り住み、高校を卒業するまで呉市で過ごした。
蟹瀬小池さんは、お子さんの時から物を作ったりだとか、そういうことが大好きだっだのですか?
小池そうですね。物心ついた時から物作りというのが非常に好きでございまして、いろんなものを組み立て、バラしたりしておりました。
蟹瀬具体的には、どんな物を作られた記憶がございますか?
小池それこそ、ミカン箱を何回も崩して組み立てたりしていました。当時、流行っていたロボットを組み立てたり、今思えば小さなモーターを付けて、それで動かすことが出来るんじゃないかと。そう思って一生懸命トライしておりました。
蟹瀬ほぼ同じ世代なんです。だから、気持ちが良く分かります。僕は、ミカン箱にタイヤを付けて自動車を作っていました。
田丸そうなんですか。
蟹瀬さすがにエンジンは、付けられなかったですけれども。そうすると当時、大人になったらこんなことやりたいなっていう職業ですね。これは、どんなものを思い浮かべていらっしゃったのですか?
小池やっぱり、物作りが好きだったものですから、将来は大工さんになりたいと思っておりました。
田丸やはり器用でいらっしゃったのですね。
小池そうですね。比較的、得意でございました。
蟹瀬中学生の頃には、あることに相当夢中になられたと伺っておりますけれども。
小池はい。アマチュア無線をやってみようという形で、当時は国家試験が必要だったのですが、それにトライ致しましてアマチュア無線に熱中した時期がございます。
蟹瀬田丸さん、アマチュア無線って分かる?
田丸あの、聞いたことはあるんですけれども、ちゃんと説明は出来ないです。
蟹瀬今はね、インターネットの時代になりましたから。当時、シーキューシーキューっていうのを僕は覚えていて、あれはやりたかったですね。
小池はい。そうですね。
田丸シーキューシーキューっていうのは何なんですか?
蟹瀬コールサインみたいな。
小池そうですね。皆さん応答してくださいというサインなんですけれども。
田丸はい。
小池世界中の人たちと無線を通じて会話が出来るという形で、非常に魅力的なものでございました。
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