老舗を再生!「私どもは常にお客様に新しいものをお届けする」の実行力
長瀬産業株式会社
代表取締役社長
朝倉 研二
「常に新しいものを察知する変革を会社にもたらす」。老舗商社において創業系以外から初めての社長となり、立て直しと向上を実現させた男がいる。歴史ある会社でいかに改革を進め、変貌を遂げたのか、その哲学と方策とは?
長瀬産業株式会社。1832年、京都府、西陣で染料の卸問屋として創業。1900年、スイスのバーゼル化学工業社と合成染料の輸入取引を開始。その後、数々の海外大手メーカーと代理店契約を結び、事業を拡大。現在は世界各国で事業を展開している。
創業からおよそ185年。老舗商社を率いるのは代表取締役社長、朝倉研二。
目先の利益だけではなく、時代に合わせた変革に果敢に挑戦する。朝倉が目指す次世代の商社ビジネスとは?
白石早速なのですが、長瀬産業が一番大事にしていることというと、どんなことですか?
朝倉ビジネスの種を、見つけ、育み、拡げる、という言葉です。
朝倉これは私どもがお客様や取引先の皆様にお届けする価値を、この言葉に込めて、今、グループ社員全員に浸透させているというところです。
白石さて、長瀬産業は創業が1832年ということで、2017年で185年という長い歴史をお持ちなのですが、今までどのような商品を扱ってこられたのですか?
朝倉古く、江戸時代にさかのぼるのですが、創業時は染料の問屋、明治に入り、海外の合成染料の輸入というものを世に先駆けてスタートしたわけです。そのあと、私どもはヨーロッパ、そのあと、アメリカからの化学品の輸入に力を入れて、お陰様で、国内で化学品業界でのネットワークがその時期に出来上がったと言えるのかと思っています。
中谷長い、180年を超える企業ということになると、多くの大変なカントリーリスクを経てきた、その危機というものはいかがだったのでしょうか?
朝倉大戦が2回あったわけですけれども、戦後ということのみならず、震災があって、世界大恐慌、そういった経済的に厳しい時期、この時期はやはり、輸入という仕事も非常に難しい局面をむかえて、実際、私どもも大々的な、今でいうリストラをするといった時期もあったようです。戦後、しばらくは統制下で仕事をしていたわけですけれども、輸入をすることが認められる時期が参りました。そこからはあらためて、それまで培ってきた化学業界のネットワークを使って、輸入、そして、国内の製品の取り扱いということで、まずは業容拡大を図ったと。ただ、なかなか私ども、それだけでは生きていくわけにはいかなくなりまして、先人たちが「なんか、やろう」ということで、その当時からものづくりというところに私どもは入っていった、ということかと思っています。
白石その危機を乗り越えた経験から、ものづくりにはどのようなことが必要だと思われますか?
朝倉これは、基本は品質管理ということがあるかと思います。それに加えまして、私どもは常にお客様に新しいものをお届けする、これまでにないような機能を提供する、そういったことを心がける必要があるかなと思っています。
自分たちで作るということもあります。ほかの会社のお力を借りるジョイントベンチャーというようなこともあります。
私どもとしてはあくまでも、見つけ、育み、拡げるの「育む」というところで、その機能を発揮していきたいな、と思っているところなんです。
白石具体的に言いますと、現在はどのような研究開発を行っているのですか?
朝倉今、長瀬産業の中に「ナガセR&Dセンター」というものと、「ナガセアプリケーションワークショップ」というものがあります。加えまして、グループ会社に「ナガセケムテックス」、「林原」、「ナガセ医薬品」、そういった会社がありまして、それぞれの組織で研究開発は進めているのですが、特に昨今はバイオ関連の技術についての開発に、私どもは力を入れているところです。
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