権利は武器だ! その権利で武装しろ!! 知的財産の大切さと今後のあり方について問う
山本特許法律事務所
代表
山本 秀策
男は、知的財産のエキスパートになった。キッコーマン中央研究所の研究職から弁理士の道に進み、スタッフ200人以上の規模を誇る山本特許法律事務所を育て上げた、前代表、山本秀策。知的財産問題に関して国際的に高く評価されるにいたった経緯と、知財の権利について山本の考え方とは?!
山本法律というのは国ごとに独立しているんです、憲法のもとに。法律は違うんですけど、その底流に流れている思想はというとサイエンスなんですよね。サイエンスというのは国を越えて、国境を越えて動くものですから。
蟹瀬おっしゃるとおりですね。
山本法律は若干違いますけど、所詮はそのサイエンスを権利化して、ビジネスの武器にするという。そういう方向ですから、当然国を越えて動くはずのものなんです。それでもうこれは国際的なものなんだなと、勉強しながら頭にはそのつもりでいたんです。で、これでいくなら世界相手だな、という感覚はあったんです。
蟹瀬それでキッコーマンを辞めるというのは、これは大変な決断だったでのですよね。
山本合格してから2年後に結局は退職したんですけど、キッコーマンからも特許部のほうに入るようにも、いろいろ勧誘があったんですけど、果たしてこの世界で生きることに、自分としては適正なのかどうか、それからこの世界がどっち向きでいるのかよく分からない時代、私の感じではあったので、やはり研究者にこだわっていたんです。それで年間研究をしていたんですけど、その間でもやはり心が動いたんです。
蟹瀬それはやっぱり独立したいという気持ち?
山本新しい世界に入ってみたいという思いがあったんですね。で、先ほど申し上げましたように、ちょっと文系の世界に興味があった、それがまさにこの世界なんですけど、で、結局その麹菌の改良のほうで論文も二つ、日本の論文を二つと外国向けの論文一つ仕上げて、一応研究も一段落したので、ここでいよいよ思い切ってみるかなと、年齢も31になりましたので。
蟹瀬なるほど。
山本それで、退職を決めました。
津島この後、山本さんは世界の舞台で活躍することとなります。
津島1978年、東島特許事務所を退所します。カソリック・ユニバーシティ・オブ・アメリカ・ロースクール留学。1979年、帰国後、山本秀策特許事務所開設。1985年、アメリカ・欧州ビジネストリップ開始。そして1990年、クリスタルタワーへの転出ということです。
蟹瀬弁理士、弁理士って、よくわれわれも聞くのですけれども、具体的に弁理士の仕事というのを簡単にいうと、どういうお仕事になるのですか?
山本まず、研究の成果というのがありますね。その成果を私たちは発明というわけですけど、その発明を権利に仕上げて、権利である以上、行使しないと意味がないですよね?
蟹瀬ええ。
山本その行使することが、つまりビジネスをするということなんですね。そういうものです。で、その結果どういうことかといいますと、その国の産業を盛り立てるという、そういう目的が特許法の目的なんですけど、だから難しいといえば難しい。
蟹瀬特許権の侵害なんてケースもありますよね? それに対しての対応なんていうのも弁理士さんの仕事になるのですか?
山本そうです。
蟹瀬もちろん弁護士の方も出てくるでしょうけどね。
山本はい、そうですね。権利を行使するということは、要するに侵害者に対して攻撃をかけるということですよね。だけど侵害者側の代理人である弁理士の立場ですると、攻撃に対して防御をどうするかと。
蟹瀬熾烈な戦いがあるという世界ですね。
山本そうです、攻撃防御の世界ですね。
蟹瀬そしてアメリカに行かれて、これはワシントンですよね?
山本はい。
蟹瀬もうすでに、そこでいろいろな業務をなさっていたということですか?
山本私は勉強に行ったんですけど、山本っていうのが特許の専門家がアームストロングスという事務所に入ったんですけど、そこに籍を置かせていただいて、夜ロースクールに行ったんですけど、山本がいるよというんで、アームストロングのお客さんが、日本での問題点を私に解決を依頼してきたんです。そういうことで、実際には仕事をしているんですけど、勉強に行った立場ですんで、アドバイザー的な立場で勉強を兼ねてやらせていただきました。アームストロングには感謝しないといけないんですけど。
蟹瀬アメリカ留学中に学んだことって、たくさんおありだと思うんですけども、特にこの点というと、どういうあたりになるのですか?
山本アメリカという国は圧倒的だな、と思ったんですけど、まず論理的で非常に分かりやすい!非常に分かりやすい国です。例を挙げていいですか?
蟹瀬はい。
山本行ってすぐにロイヤーズパーティーというのがありまして、こういう特許弁護士の集まりに招待されたんです。
当時のことですから日本はどんどん右肩上がりの国だったんです。日本人のところに山のように向こうのロイヤーが集まってくるんですね。
それで、私も例外じゃなく集まってきて、「山本、どの会社がおまえをここに送り込んだんだ?」と。勉強しに来られている方が結構おられましたので、日本から。
「会社じゃない」と「自分個人で来たんだ」と。「誰が経済的にサポートしているんだ?」「家族だ。家内だ」と言いますと、「ああ、そうか!」と言いながら水が引くように人がいなくなったんです。で、他の所には山のように人がたかっている。トヨタだの、日産だの、新日鉄だのから来た人の所には山のように。
蟹瀬それはもう彼らは、関心がなくなってしまったということですね、山本さんに対して。
山本そうです。結局そこで私は当然だと、やっぱり彼らもビジネスですから、日本から来た人の後ろに誰がいるか、それで金になるかという話ですね。これは見事に明解でしょう?
蟹瀬山本さんの後ろには奥さんしかいなかった?
山本明解でしょう?
蟹瀬そういうこと言ったら怒られてしまうけど(笑)。
山本ビジネスにならないんですよ。それで現実を知った、これ非常にいい、本当に良い経験です。
蟹瀬そして、初めての仕事がアメリカの、これはガラスの会社のお仕事ですか?
山本ええ、PPGインダストリーっていうんですけど、
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