モノづくりは「人類に欠かすことの出来ない創造的な営み」と唱える男のチャンレジ!
サンディスク株式会社
代表取締役社長
小池 淳義
コンパクトで大容量のデータを記録するメモリーカードの市場で世界的なシェアを誇るのがサンディスク株式会社。代表取締役社長の小池淳義は、日本の半導体産業にチップの生産スピードの向上という大きな改革をもたらした人物でもある。長年技術者として日本の半導体産業を支えてきた小池淳義の決断と選択に迫る。
蟹瀬だけど、中学生でこの免許を取られているわけでしょう?これは、物凄く珍しいのではないかと思うのですけれども。
小池そうですね。当時は、国家試験がかなり難しくて、難しい数式なんかを丸暗記致しまして試験に行きますと、小さな中学生が入ってきたというので随分驚かれたという記憶がございます。
物作りへの関心が強かった小池。1972年、早稲田大学理工学部に入学、さらに大学院(早稲田大学理工学研究科)へと進む。
蟹瀬ここから僕が面白いなと思うのは、スポーツも相当入れ込まれたと。
小池そうですね。スポーツを子供の頃はそんなに一生懸命やっていなかったのですけれども。大学に入った時に体を壊したことがございまして、これはやっぱり頭を鍛えるよりも体を鍛えることの方が重要だというふうに思いまして。大学入ったときに勧誘をいくつか受けまして、高校時代にぜんぜんスポーツをやっていなくても日本一になれる可能性があるスポーツはアメリカンフットボールだと。
田丸アメリカンフットボール。
小池こういうふうに言われまして、よく分からなかったんですけれどもとにかくチャレンジしてみようかと。という形でアメリカンフットボールを始めました。
蟹瀬どうなのですか。いきなりアメリカンフットボールといえば……。
田丸過激なイメージがありますけどね。
蟹瀬格闘技というようなイメージですけど。
小池そうですね。
田丸どうですか。実際にやってみて。
小池非常に、身体が小さいのですけれども。少し足が速かったので、そういう個性を活かせるスポーツでございまして、ポジション毎にいろんなユニットで能力を発揮できるものですから、非常に楽しむことが出来ました。
蟹瀬アメリカンフットボールの魅力というのは、僕も大好きなのですけれども。どのあたりに?
小池そうですね。今までは、個人でいろんなことを、物作りとかやってきたという形なんですけれども。
アメリカンフットボールになりますと、いわゆるチームスポーツ。チームワークが非常に重要だということが分かりまして。個々のいろいろと決められた仕事をきちんとやって相手に向かっていくということが非常に重要だと勉強になりました。
二つ目は、戦略・戦術。これが非常に重要であると。ゲームをする前に半分は、戦略と戦術で決まっていると。これが非常に大きな意味を持っておりまして、弱いチームであってもこれ戦略・戦術次第によっては、大きな勝利を得ることが出来ると。
蟹瀬これは相当、アメフトの出会いというのは小池さんにとっては大きな出会いになったわけですね。
小池はい。そうでございます。もちろん大学時代にプレーヤーをやっている時は、非常に楽しむことが出来ましたが、大学院に行きましてコーチをすることになりました。このスポーツは、コーチングということが非常に重要なスポーツでございまして、それによっていろんなことを逆に自分が学ぶことが出来ました。
蟹瀬学んだことというのは、どういうことだったんですか?
小池精神的な教えることは、もちろん大事なことではあるんですが、強く当たれとか速く走れというのはよく言うわけでございますけども。そうではなくて、それをするためには、例えば一歩右に足を45度に出せとかですね、手の振り方が角度が違っているとかですね、具体的なことを教えることによってきちんと選手を指導すると。そういったことと戦術、フィロソフィーを合わせてきちんと耐えていくということの重要性を非常に学びました。
蟹瀬それは経営と上手くつながる所があるわけですね。
小池そうでございますね。その後、非常に役に立ちました。
蟹瀬大学院に進まれていますけれど、これはやはり研究の方に進みたいという気持ちが強かったのですか?
小池ちょうど私が大学を卒業した時に、オイルショックで就職難でございまして、なかなか理科系が就職できないという形でございました。フットボールを持っている大手商社などから誘いを受けたりしたのですが、やはりその時相当悩みまして。
商社マンになるというよりは、自分が今までずっと培ってきた物作り等を大事にしてですね、技術者としてやっていきたいということを思いまして。さらに、理解を深めるために大学院に行って、真剣に勉強しようと思いました。
蟹瀬なるほど。それは最初の重要な選択と決定ということですよね。
田丸そうですね。
1978年、日立製作所に入社。ここから半導体の技術者としてスタートを切った。
蟹瀬やはり日立という企業を選ばれたというのは、当時ナンバーワンだったのじゃないですか。その辺ですか?
小池そうですね。やっぱり日立という、技術を非常に大切にする会社で、大きなフィールドと共に戦っていきたいという気持ちで選ばしていただきました。
蟹瀬最初、入られた時っていうのはどういうお仕事だったのですか?
小池はい。半導体工場に配属されまして、私もそれほど半導体に関する深い知識は無かったんですけれども。非常にこれから伸びていく産業で、力強く倍々ゲームのように伸びていく感覚でございました。
蟹瀬未来が明るい感じの。
小池はい。
蟹瀬具体的には、どういうお仕事から?
小池専門用語で言いますと、エッジングの技術開発という形だったんですけれども。
蟹瀬エッジングとは、絵を書くときのペンを削る……。
小池そうですね。先ほどのウエハがございましたけれども。あれを形成するときの一つの工程なのでございますが、パターンニングをですね、写真浸食法を使いましてパターンニングを行いましてですね。
そのパターンに沿ってシリコンの基盤であるか、あるいはシリコンの酸化物を削っていくわけですね。その削っていく技術が従来は薬品を使ったウェットエッジングだったんです。それが丁度ですね、時代が変わりまして、ドライ、プラズマを使った新しい技術に転換するところだったんですね。
技術者の道を進み始めた小池。当時、日本の半導体産業は飛躍的に伸び、メモリー市場において世界の半分以上のシェアを占めていた。しかし、90年代に入るとその状況が一変。韓国メーカーに追い抜かれてしまう。その原因とは?
小池私は、二つの大きなポイントがあると思っております。
一つは、いわゆる経営の問題なのでございますが。半導体をやるためには、非常に大きな投資が必要になってまいります。それこそ何百、何千億という資金が必要になってくるわけですが。それと同時に半導体産業というのは、浮き沈みが非常に激しい分野でございます。
蟹瀬半導体サイクルってありますよね?
小池はい。それの落ち込みがあった時にどれだけ耐えられるかということなんですが。次のために投資を継続してやっていくかどうかという形になります。
ところが残念ながら日本の経営の場合には、それが持続できなくて短期的な判断をしてしまう。ところが韓国の場合は、続けて投資を行っていて大きな成長を遂げることが出来たという形になっております。それが一点でございます。
もう一つは、我々日本としても50パーセントを超えるという形で傲り高ぶっていたというところがございます。ですから、我々の技術を韓国や、ほとんどの企業がそうだったのですが、技術移管をしてパートナーシップを求めていくということを大分やっておりました。そういう形で残念ながらその技術を相手に吸収されていって気が付いてみると逆転していると。
蟹瀬気前が良すぎたのかもしれないですね。
小池そうですね。
蟹瀬しかし、日本が絶対一番だと。こう思っていた技術のところで、あっという間に気が付いたら韓国に抜かれていた。これは小池さんとしてどういう思いだったのですか?
小池非常にショックでございました。
蟹瀬そうするとそこからどうしようという感じだったのですか?
小池生産改革を行おうという形で、一つ思いついたのが先ほどご覧いただきました300mmのウエハというものがございますが、従来は200mmという20cmのウエハで物作りをしていました。これをですね、口径を大きくしてたくさんのチップを取ることが出来ると。世界に先駆けてこの300mmのウエハを生産に持ち込むということにチャレンジしようと、そういうことを進めてまいりました。
蟹瀬我々、素人から考えると20cmのものを30cmにするだけですから、そんなに難しくないのじゃないかと思うのですが。これは相当、やはり難しい?
小池そうでございますね。大きく分けましても、ウエハを製造するのにだいたい500ステップくらい。500くらいの工程を得てウエハが完成する形になっております。そのためには、いろんな製造装置が、何百代の製造装置がありまして、それを全部200mmから300mmに転向しなきゃいけないという形で、非常に大きな業界としての標準額活動、製造メーカーさんにこれを全てしていただくということが、非常に難しい形でございまして、大変な大仕事でございます。
蟹瀬しかし、それを世界で先駆けてやられたということですよね?
小池はい。
蟹瀬もう一つは、やはりスピードアップをどうするかというのがあると思うのですけれども。生産の場合には、この辺りは?
小池そうですね。生産方式でもう一つ思っておりましたのが、先ほど私はドライエッジングをやっていたと申しましたが、これも生産方式が二つございまして。バッチ処理と言います大量にウエハを処理する方法、それと一枚ずつ処理する枚葉処理という方法と二種類ございました。
蟹瀬ここで私どもフリップを用意していただきましたので、これを見ながらご説明いただくと分かりやすいと思います。
小池バッチ処理と申しますのは、そのウエハを一括して数十枚から数百枚のウエハを一括して処理するものでございます。熱処理をしてみたり、新しい膜付けをしてみたり、そういった工程に使われているものでございます。枚葉処理というのは、一枚ずつ処理する方法でございまして、それ自体の効率を上げるためには一枚の処理をするスピードを非常に上げるという必要が出てまいります。
一度に大量のウエハを処理するバッチ処理の場合、枚数が揃うまでの待ち時間があり品質面でのムラが発生する場合があった。一方、枚葉処理はウエハを一枚ずつしか処理できないが品質の良いものが出来、他品種の製品や試作品にも適している。小池は、研究の結果、枚葉処理で一枚の処理スピードを上げられればバッチ処理よりも効率が上がると考えた。
蟹瀬小池さんの物作りにおいて一番大事だと思ってらっしゃることっていうのはどのあたりなのですか?
小池そうですね。やっぱり、物作りの観点で三つのエレメントがあると思っておりまして、これは全ての基本だと思うのですが。いいモノを安く早く作るということだと思います。非常に多くの方が、いいモノを安く、コストというもの品質というものに非常に注力されていると思うのですがスピード、早くお客様に届けるということに関しては、利潤が少なかったと思います。ですから、私どもとしましては枚葉処理を全ての工程に適応するということを生産技術に考えまして、いかに早くお客様にモノを供給するか、こういう技術にチャレンジしてまいりました。
蟹瀬その答えが、この300mmということになるわけですかね。
小池そうですね。300mmと全部の工程を枚葉化すると。
蟹瀬枚葉化すると。
300mmウエハで完全枚葉処理の半導体生産に向けて、小池たちのプロジェクトチームは世界に先駆けた改革に挑むこととなった。2000年小池の技術改革が一つの形となる。日立製作所は、台湾の半導体メーカーUMCと共同出資でトレセンティテクノロジーズ株式会社を設立。300mmウエハで、完全枚葉処理の半導体工場が完成した。小池は、取締役生産技術本部長として迎えられることとなった。
蟹瀬トレセンティテクノロジーズ、この設立の例っていうのはどういうことだったのですか?
小池そうですね。300mmを実用化するために新しい工場をつくろうという形になったのですが、巨大な投資が必要だと。そういう形で一社では賄いきれないだろうという形になりまして、トップからのサゼッションもございましてジョイントベンチャーをやったらどうかと。
出資を出していただくという形で、それで世界中いろいろなメーカーと交渉を進めてまいりました。台湾のUMCという、こことジョイントベンチャーを起こそうという形になりまして、一生懸命台湾の方にも交渉しまして、我々の生産技術の革新を解きまして出資をしていただくという形になり、新たにトレセンティという新しい会社を設立したわけでございます。
蟹瀬工場完成までは相当な時間がかかったそうですね。
小池そうですね。やっぱり300mと枚葉という世界で初めてのチャレンジでございますので、これをするための準備という形で。構想から始めて10年以上は、このために努力をしてまいりました。非常に多くの当時の日立の仲間がですね、一丸となってサポートしてくれたという形になっております。
出演者情報
企業情報
関連コンテンツ
カテゴリー別特集
リンク