失敗を恐れずに挑戦する!二人の巨人が語る、世界を少しでも良くする考え方
前編
安藤忠雄(建築家) ×澤田秀雄(H.I.S.)
日本は世界的にも平和な国である。そこに暮らす我々日本人は、ある意味世界の問題から隔絶されていて、ある種鈍感になっている部分がある。しかし、決して世界の問題は他人事ではない。今回は世界を知る建築家 安藤忠雄と株式会社エイチ・アイ・エス 代表取締役会長兼社長CEO 澤田秀雄を招き、世界から見た日本、日本に足りない部分、そして、世界をより良くするために必要なことを熱く語ってもらった。建築界の巨匠とベンチャービジネスの巨人が語る「世界平和」とは。
1970年代前半、まだ個人で海外旅行を楽しむことが珍しかった時代。澤田は世界50ヶ国以上を旅して回った。そこで得たものとは。
唐橋 若い方にバックパッカーやってた時代のこと、こんなことよかったよって、どんな話をされるんですか?
澤田 旅してますといろんな人に会いますよね。でも変わった人いっぱいいますからね。何でこんな馬鹿みたいな考えをするのかなという人がいたり、やっぱ旅していろんな人に会うとですね、すごい刺激になりますよね。
唐橋 どんな経験をされたんですか?
澤田 いっぱいいろんな経験しましたね。旅の途中で病気になって、徐々に動けなくなってきて。当時僕は病気のことは分からなかったので、肝炎になってですね、死ぬかと思いましたね。
唐橋 うわぁ。
澤田 はい。そのときは一番、人生はこれで終わるのかなと思った瞬間に、あれやっときゃよかったこれやったときゃよかったということで、そこからよし、やれるものは何でもやろうというふうな感じになってきましたね。
ヨーロッパから帰国した澤田は、1980年、旅行会社を起業。その意図はどこにあったのか?
澤田 そうですね、僕は本当は自分が旅が好きだから、旅行の仕事はしたくなかったんですね。貿易をやろうと思ったんですけど、その貿易はたまたまできなくなって、じゃ食べていかなくちゃいけないので旅行業をやろうということで、やっぱり若い人に世界を見ていただいた方がいいかなと思いましたので、よし、じゃあ旅行業をやろうということで最初始めたんですね。はい。
唐橋 その頃はね、本当に環境が気軽に行くような状態ではなかったですよね。
安藤 世界中に飛び出していったらどうだと、行っていただくと、飛び出したやつがまた返ってきて、若い人は友達におもしろいことあったよと広がってきて、日本人はずいぶんこの30年ぐらい外国に挑戦してきたのは、結構澤田さんの影響力があったと思うんですね。
澤田 当時非常に値段がヨーロッパが7、80万したりアメリカは3、40万しましたから、それじゃなかなか若い人が行きづらいので、我々としては少しでもたくさんのお客さんを、若い人に行っていただきたいということと、これがビジネスにとって大きなチャンスかなと思ってましたから。
唐橋 そこでチャンスと、完全にその感度が高かったんですね。
澤田 感性というよりも、僕が行ったヨーロッパ、イギリスもドイツもそうですけど、やっぱり国民の10~15%ぐらいはもう全世界旅行してましたよね。でも、日本帰ってきたときは、日本人が3%か4%しか行ってなかったんですよね。
それを考えると、大体日本の場合は欧米から7、8年遅れて増えていきますから、だから将来は多分10~15%の人が行かれるんじゃないかと。そのお手伝いをすれば、右肩に成長するんじゃないかということで、やっぱりマーケティングとは言わないですけど、伸びるかなと思って、やっぱり伸びましたですよね。
唐橋 そうですね、澤田さんが外から見た日本っていうのは。どんな国に見えました?
澤田 やっぱり出る前は、日本は非常に自由な資本主義の国かなと思って。海外に出てから日本を見たり、日本に帰ってきてからは、ここはひょっとしたら社会主義の国かなと、少し思うようになりましたね。もう全てある程度のことが決まっていてですね。結構自由は自由なんですけど、規制があったり、ルールが決まってたりして、社会主義の国かなと少し思ったことあります。
唐橋 安藤さんも?
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