「平和産業」小売りの雄だから見据える、アジアから世界への社会貢献とは


イオン株式会社
名誉会長相談役
岡田 卓也

特選インタビュー

焦土に開く、1946年7月、一枚のチラシが人々に新しい時代の訪れを告げた。後の4グループを率いる岡田卓也(おかだ たくや)は、小売業は平和産業という信念のもと、受け継いだ老舗の呉服店岡田屋に変革をもたらしていく。
いち早く多店舗戦略に乗り出し、1969年には総合スーパージャスコを展開。そして現在、一大チェーンストア、イオンを始め、国内外180の企業からなるイオングループを築き上げた。半世紀以上にわたり経営のトップとして事業をけん引してきた岡田卓也が説く企業の大義とは。上海の国際チャンネルで、中国初の日本語による報道番組のプデューサー兼キャスターを務める呉四海(ウー・スーハイ)がその核心に迫る。

Leader & Innovation・賢者の選択、特別ナビゲーターの呉四海(ウー・スーハイ)です。

白石白石みきです。

私は上海テレビ国際チャンネルで、中国初の日本語によるニュース報道番組のキャスターを務めています。テレビの中日の架け橋を16年間、上海で務めています。今回のLeader & Innovation・賢者の選択は、2012年日中国交正常化40周年にちなんで、日中開発経済の架け橋となり活躍されている方をゲストに、特別編としてお送りします。

白石改めてご紹介させていただきます。イオン株式会社名誉会長相談役の岡田卓也さんです。よろしくお願いいたします。

岡田よろしくお願いします。

白石本日は、企業の原点を象徴する3つの言葉で進行させていただきますが、まず最初のお言葉は何でしょうか。

岡田小売業の原点というのは平和であると思いますね。

岡田卓也 企業の原点① 小売業の原点は平和

白石それは具体的に言いますと。

岡田私は大正生まれですからね、だから、日本が戦争に負けて全く何もなくなった。その時にまだ学生。軍隊から帰りまして、また学生に戻ったわけですけれども、家業が古い250年も続いた呉服業だったんですね。これがすっかり焼け野原になってしまって。
しかし一つだけ残ったものがございまして、それは古い土蔵だけが焼け残ったわけです。その中から大福帳とか昔のそれが出てきたんです。みんな墨で書いたようなものなんですけどね。しかしそこに私の生涯の商業の原点が一つあるというふうに思いました。

大福帳から学んだもの

岡田一つは貸借対照表。それが当時は見競勘定(みくらべかんじょう)と言ったんです。企業の原点っていうのは、バブルがはじけたときに、バランスシート・リセッションと言われたんですね。いわゆるバランスシートがきちっとしているということが一つ原点であると。それからもう一つは、その大福帳の中に個人の商店なんですけど、ずっと経費が書いてあるんですね、お店の経費が。お店の経費の少しおいて、やっぱり隅で書いてあるんですが奥小遣い。個人の支出、生活費が別枠であるんです。
これが何を現わしているかといえば、その個人の商店でもお店の経費と、個人の経費とをはっきり分けていたと。そういうことの公私の別と言いますか、今で言えば。これが明確に書かれておったと。それは元々日本の商業の原点である近江商人から伊勢商人に渡ってきて、そして私どもの先祖の小売業の中にも、それがずっと伝わってきておったということで、私はこれが一つの原点であるというように思いますね。

商売の原点は、最初から公私混同ではなくて、最初から公と私とはっきり分別してやるということですね。

岡田昔から、国家も企業も倫理観が無くなった時にそれが滅びるというふうに言われているんですね。私どもも、現実にそういう企業をこの長い企業生活の中でいくつか見てまいりましたですね。

そしてそこからですね、岡田屋ということで呉服から始まったわけですね。そこからまた色々拡大してジャスコにつながったということが言えるでしょうか。

岡田はい。それで私はその頃に、アメリカの優れた近代小売業を見学に参りました。それはまだプロペラの時代です。ウエイクで給油をして、ハワイで給油をして、サンフランシスコまで行くと。30時間かかる旅でございました。
それでアメリカの近代的な企業を、キッチン宿に泊まりまして、そして1か月ぐらい勉強いたしました。そして日本に帰って将来は日本の小売業も、もっと近代化すべきだというように考えて、そして次々と新しい小売業の形を、何であろうかと考えながら展開していったわけです。

当時会長他、早稲田の大学生と社長、それから学問と商売の両立が大変難しいんですけれども、会長が小さいころにお父様を亡くされたにも関わらず、この商売のノウハウとかはどうやって学ばれたんですか。

岡田私どもの古い歴史の中には、色々な家訓がございました。一つは「大黒柱に車をつけよ」っていう。昔の商店はお店の真ん中に非常に大きな大黒柱という柱があったんですね。それの下に車をつけとけということなんです。ということは、時代の変化、あるいは立地の変化というようなものについて、変化に対応していきなさいというのが大黒柱に車をつけよと。
もう一つが、私の父親の時代に対象大暴落っていうのがございまして、一挙に物価が下がった。その時に、父が取った対策は「上げに儲けるな、下げに儲けよ」っていう家訓なんです。どんどんインフレでものが上がったり、そういう形で儲けたのは、それは儲けじゃないと。それはそうじゃなくて、下がっている時にいち早くお値打ちなものをお客様に提供すると、それが信頼につながるんだと、お客からの。という家訓がありますね。そういうものをきちっと守って、私はやってきただけに過ぎないと思うんです。時代の変化なりお客様の変化なりに、直ちにどうやって対応していくかということなんですね。

あの頃に実際、この家訓から最初に実践した、何か商戦はありますか。

成長の鍵は家訓にあり

岡田私どもは戦前の焼け野原の中でありますので、どこへお店を作るとかも何もないんです。でいち早く昭和21年にやっと材料をいくつか集めて40坪の店を作ったんです。それがかつて戦前にあった場所、戦前ではそこがまちの一番中心だったんですね。そこへ作った。
ところがすっかりまちが変わってしまったんですね。そして新しい道、諏訪新道というところがお客様が一番通られるようになって、そこに露店商が並んだりしたものですから、そこへ先祖伝来の土地と、資金がなかったものですからそこの地上権と交換して店を移動したんです。
ところがまた、3年も経たないうちに、駅が移転をしたんですね。そうしますとそちらが中心になって、またそこの駅前に店舗を移転したという、それが昭和の20年代に続いて、3度立地を変えているんです。お店っていうのは、お客様のためにあるのであって、お客様に便利なところにお店を移動するというのが私は原則だと思うんです。

本当に20年単位というか30年単位で岡田屋からジャスコ、ジャスコからイオンへと変化してきたんですけれども、その背景にはどのような関係があるのでしょうか。事業戦略があるのでしょうか。

岡田時代が変化をしていく中で、それに対応していくことが普段は原点にあるわけですね。先ほどの大黒柱に車をつけよと同じことなんですが、だいたいもう一つはその変化っていうのはどれぐらいの期間で変化していくだろうかと。企業の寿命はよく30年と言われますね。私が操業してからついに25年経ってきたと。20年くらい経ってきたときにちょっと危機感を感じてきたんです。どうあとあるべきかと。それで、歴史を調べましたら、企業って言いうのは合併の歴史だっていうことがね。

出演者情報

  • 岡田 卓也
  • 1925年
  • 三重県
  • 早稲田大学

企業情報

  • イオン株式会社
  • 放送日 2012.06.24
  • 業種:
  • スーパーマーケット 商社(食品・農林・水産) 専門店(アパレル・ファッション関連) 食品 専門店(複合)
  • 本社:
  • 千葉県
  • 所在地住所:
  • 千葉県千葉市美浜区中瀬1-5-1
  • 資本金:
  • 489億7,000万円
  • 売上高
  • 2兆1,853億円(2017年2月現在)
  • 従業員:
  • 8万5,492名(2017年2月現在)

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