アパレル否定型アパレル。「魔法のパンツ」で百万人の笑顔を目指すブランドとは?!
株式会社バリュープランニング
代表取締役社長
井元 憲生
「ファッションの街」としても知られる神戸で起業し、アパレル業界に一石を投じる会社、バリュープランニングがある。「魔法のパンツ」と呼ばれる独自のストレッチパンツは発売以来これまでに600万本以上販売しているという。バリュープランニングを牽引するリーダー、井元憲生の実践するビジネスモデル、成長戦略、その全容を明かにする!
井元サイズは、実はたくさん作っていましてですね、一番小さいのから一番大きいのまで、大体10サイズぐらいあるんです。どんな体型の方でも合うようになっているんですね。
蟹瀬白石さん、どうなの?10サイズって相当な幅?
白石相当ですね。
井元我々はパンツ専門店ですから、たくさんのお客さんにお出でいただきますから、「私のサイズないわ」って言って帰られるとリピーターになっていただけないので、ほとんどの方が、サイズが合うように作っております。
蟹瀬だいたい、ストレッチだからサイズ多少違っても大丈夫なのでは?(笑)
井元ウエストは、やはりサイズはある程度……。
蟹瀬ビシッとしている……?
井元ビシッとしているんです。多少は伸びるんですけど。やはりフィットしてないとちょっと難しいということで、サイズは必要です。
蟹瀬僕はやっぱり素朴な疑問があって、今このパンツだけでご商売なさって、しかもそれも婦人用、女性用だけですよね。そんなに需要はあるのですか? パンツだけの。
井元社会が成熟してきて女性が社会進出するとね、パンツ比率がどんどん上がっていくんですよね。
井元今全体の婦人のボトムの市場っていうのがありましてね。大体スカートとパンツが50パーセント50パーセントぐらいだったんですよ、7、8年前までは。今はね、パンツの市場の方が60:40。スカートが40で、パンツが60っていう風に、年々上がっていってるんです。
白石そうなんですか!
蟹瀬なぜなのですか?
井元年齢が高くなっていきますとね、ちょっとやはりスカートよりもパンツの方が非常にこう、いろんなシルエットというか、脚のところを隠すというか。そういうところがありますのでね。
白石はい、きれいに隠せますものね。
蟹瀬微妙な女心がね。
井元はい、微妙な女心がありまして。我々がそれをちょっと解決してあげようと。
蟹瀬なぜ井元さんは、そういう微妙な女心をご存知なのですか?
井元(笑)それはね、なんとなく昔から。(笑)
蟹瀬さて。バリュープランニングを象徴する最初のキーワードを「アパレル否定型アパレル」。これはどういう意味なのですか?
井元私達のアパレル産業っていうのは、デザインの移り変わりを売っていくんですよね。本来。
井元昨年はこういうのをやったから今年はこういうの。という風に、どんどん変えていくんですね。それが従来のアパレルなんですね。
井元私達は機能性を追求してベーシックを追求していますから、あまりデザインは変わっていかないんですよね。そういう意味では従来のアパレルとは違ったアパレルの生き方をしているので、アパレル否定型アパレルって私が名前を付けたんですけど、そういう風に。
蟹瀬通常でもファッション界と言えばトレンドを追っていくというのが流れで、買うお客さんもそれに沿っていくだろうという風に考えますよね。でも、そう思われなかったのですか?
井元私はそう思っていたんです。今の私の会社を作る前は、そういうトレンドを追いかけていた会社にいたんですね。
蟹瀬そうなのですか。
井元そういうトレンドを追いかけていくと、残りものが量産できたり、バーゲンにかけて残ったものは廃棄したり、いろんなことをしていくわけですね。そういう時に消費者の意見とか、いろんなことを見ていますと、なんかデザインの移り変わりより…
井元ベーシックなもので非常にいいもの、クオリティのいいもの、はきやすいもの、みたいなものを求めているんじゃないかなということに気が付きまして。それで私のビジネスに行く時には、そういうものに特化したビジネスモデルを作りたいということで、今日があるのですけど。
蟹瀬そこから出てきたのがこのビースリーという、今ご紹介いただいた?
井元そうです。
井元パンツっていうのは、けっこう保守的なんですよね。上物っていうか、トップスはブラウスとかセーターとかいろいろなデザインが着用されますけど、パンツはどちらかと言いましたらデザインじゃなくてシルエットとか素材が購買のキーワードになるんじゃないかなと思います。なので、何が一番ベストなのかなって考えていった時に、360度のストレッチが一番ベストじゃないかなという風なことで、それと肌ざわりも、もっといいものをということで、今の形になっていったんです。
白石このビースリーが誕生する前、最初にヒットされた商品があるとお伺いしたのですけれども、それはどういったものなのですか?
井元最初にヒットしたのは、世の中には存在していないようなものを作ろうということで、パンツと女性のガードルを一体化したものを作りましてね。女性はガードルをはいてパンツをはきますね、二回はかないとダメなんで。
白石そうなんですよね。
井元それを一体化したら、一回でいいじゃないかということで、ヒップアップをするパンツということで、そういうのを作らせていただいた。
蟹瀬これは相当売れたのですか?
井元それはもう大爆発しましてね。非常によく売れました。
蟹瀬どのぐらい売れたのですか?
井元初年度の売上が約1億円ぐらい。
蟹瀬単品で?
井元単品で売上が1億円。だから初年度の売上が大半それでしたから。
蟹瀬その時、その数字見てどのようにお感じになりましたか?
井元下着業界はガードルを作って、アパレル業界はパンツ作っている。うちは下着業界とアパレルがドッキングしたもの、真ん中に位置するんですけど、全く新しい価値観のものができたんですね。これがうけるのかどうかっていうのが、わからなかったのですけれども、大うけしたんです。
蟹瀬今のお話を伺っていると、パンツのメーカーの商品と、それから女性の下着の商品が一つにくっついたという話ですけど、そうなると下着メーカーとか、そういうところにしてみると「何やってくれるんだ、こいつは?」みたいな、そういう意見ってなかったのですか?
井元ありましたね。ただアウターを作るアパレル業界と、下着業界は工場のミシンとか設備が全然違うんですよ。
蟹瀬そうなのですか。
井元初めに作ったところは、隣同士が下着とアウター工場が並んでいるところで。こっち行ったり、あっち行ったりして作ったんですけど、手間暇が非常にかかったんです。その当時は、一つになっている工場が全くない。日本にはなかったですね。
蟹瀬だから、急にそういうものを作ろうと思っても、なかなかできない状況だったんですね。そこのところを、やはり御社では切り込んでやっていったということですね。
井元それをわかっていてやったわけじゃなくて、結果的にそれはできなかったということなんですね。
蟹瀬確信をそこで持たれた?
井元確信は得たんですけどね、ただ大変なことがありましてね。ちょうど創業した当時が、阪神の大震災の時で。第一期目がそうやったんです。せっかくそれで成功したのに、被災をしまして。
出演者情報
企業情報
関連コンテンツ
カテゴリー別特集
リンク