羽生結弦の原点にも!身体表現も交えたヴァイオリンで世界へ伝えたいこと
ヴァイオリニスト・作曲家
川井郁子
幼いころ、自身がラジオから流れるヴァイオリンの音色に魅入られてから自分だけの音楽の世界観を、身体表現も交えた演奏で伝えてきたヴァイオリニスト・川井郁子。その演奏はアイススケーター羽生結弦選手が「震災以降の自分の原点」と語るほど、メッセージに溢れた音色を奏でる。
彼女がいま、世界の子どもたちにも伝えたいことは、ヴァイオリンを通じてに限らないほど広がっている。彼女が伝えたいメッセージとは?
自分にしか歩めない道…。それを模索し、迷い躓き(つまずき)ながらも歩き続けたとき、きっと、自分が目指すべき世界が見えてくる。
福井 ここからは川井さんのパーソナルな部分を少しお伺いしてまいりたいと思いますが、どういったきっかけでヴァイオリンを始められたのでしょうか?
川井 6歳のときに、たまたまラジオでヴァイオリン協奏曲が流れてきて、「これをやりたい!」って、強く思ったことがきっかけです。
福井 「始めたい!」と言って、すぐ始められるようなものではないと思いますけれども、そのあたりは、ご両親はどうだったのでしょうか?
川井 父としては、子どもの気まぐれだろうということで、半年間ダメだと言われ続けて…。それで、半年後のクリスマスのときにサプライズでプレゼントを持って帰ってきてくれました。
松田 それは素敵なお父さんですね。
川井 はい。
松田 そのあと、いよいよ東京藝術大学に進学されるわけですよね。どのくらいからそういう思いになられたのですか?
川井 小学校4年生のときに、習っていたピアノの先生から「あなたはヴァイオリンの上達がすごく速いから、プロの先生についたほうがいい」ということで、紹介されました。そうしたら、その先生が「あなたがいつうちに来るかと思っていたわ。今から必死でやらないと東京藝術大学は間に合いませんよ」って、最初の日に言われました。
松田 小学校4年生のときに…。
川井 東京藝術大学に行くしかヴァイオリンの道はないと思っていたし、周りにライバルがいるわけではないから、見えないハードルに向かってやっていました。それも少し苦しかったですね。
幼くして東京藝術大学へ進学することを決意した川井。両親の深い愛情とヴァイオリンの先生の熱心な指導に支えられ、音楽の道を歩んでいった。
福井 2007年に「川井郁子 Mother Hand 基金」を設立されていらっしゃいますよね。これはどういった経緯で設立されたのですか?
川井 2006年に娘を授かって、そのときから、これまでにない気持ちが芽生えたんです。遠く離れた子どもたちのニュースを見たときに、すごく近く感じるようになって…。
この基金は限られたテーマがあるわけではなくて、そのときそのときでいろいろなところに出資をしています。たとえば、UNHCRという難民の支援をする団体から声をかけていただいて、難民キャンプにも何度か行きました。
福井 実際に現地を訪れて、子どもたちと触れ合ったなかで、どんなことを感じられましたか?
川井 夢中になってくれている子どもたちの様子に、私が最初にラジオでヴァイオリンの音に出会ったときの、あのときめきを本当に久しぶりに思い出させてもらったんです。
帰り際に、お礼にということで絵をプレゼントしてもらったんですけれども、そこにはそれぞれがもっている夢が描かれていて、祖国に両親を連れて帰っている自分の姿とか、なかなか日本で感じないエネルギーだなと思いました。
松田 そうかもしれませんね。我々が失っているものを持っているのでしょうね。
川井 この子たちにチャンスをあげたいという気持ちにすごくなります。
松田 その中から、ヴァイオリニストも生まれるかもしれませんね。
川井 そうですね。実は目指している子もいるらしくて、「聞いてください」っていって、ボロボロのヴァイオリンを頑張って弾いてくれている子もいました。
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