ローマ法王にも愛された! 日本発!! 世界に負けないブライダルデザイナーの裏側に迫る
株式会社ユミカツラインターナショナル
代表取締役社長
結城 由美(桂 由美)
幼い頃は夢見る少女、おとぎ話の世界に浸り、やがて彼女は世界的なファッションデザイナーになった。日本にブライダルという言葉を定着させた、株式会社ユミカツラインターナショナルの代表取締役社長・結城由美(桂由美)。世界の桂由美の成功を支えているものとは何か。いくつものチャンスをものにした彼女の思いとは。
桂ビジネスというか、ともかく自分の理想がありまして、それを達成するためにはその四つの柱が必要だと思ったんですね。一つは今、よく旗艦(きかん)店という言葉を使いますけど、フラッグショップといいますが。
蟹瀬はい、フラッグシップショップですね。
桂そうです。だから自分の理想の一つのモデルケースを作らなければいけませんよね? それが東京本店に今なっているわけですが、それと導入、今度は全国を私が事業展開するほど事業の才能もないし資金もないと思っていましたので、だから全国にフランチャイズというのを敷いて。
蟹瀬フランチャイズ展開?
桂はい。それでいろいろ指導してやっていこうと、全国のファンのためにですね。それから今度は、さっき申し上げた、トータルにものを作らないとウェディングドレスだけうちが作っても、靴はない、手袋はない、帽子もない、花もない、だからそういうものは結局、うちのお店だけで売ったのでは大してあれにならないわけですから、各メーカーさんがデパートとか他の専門店でも売れるように、いわゆるライセンス契約ですよね。だから旗艦店があって、そしてフランチャイズがあって、それからメーカーですね、今度は、メーカーがいろんなそういう部門に分けてのライセンスをやると。
蟹瀬トータルにつくり上げていくと?
桂トータルにやる、それでものと販売はそれで行くわけですけども、最後は人材ですよね?
蟹瀬ええ。
桂やっていくのにブライダルのブの字も分からない人たちばかりですから、その人たちを養成していくためには、全日本ブライダル協会をつくらなければいけないと思って、その4本柱。
蟹瀬そういう一種の分化事業というか。
桂それが今までずっときているわけです。
蟹瀬なるほどね。だけど今、こうやってお話伺っていると、やはり初めてということが、日本では、とてもたくさんあったと思うんですね。だけど第一歩を踏み出すって勇気要りますよね?
桂そうですね、
蟹瀬どのへんからその勇気出てきたのですか?
桂でもやっぱり、日本が欧米に比べて遅れてるというのが一番私にとっては我慢ができなかったことで、パリに留学したときに、やっぱり相当人種差別というのを感じましたよ。白色人種がいて、黒色人種がいて、黄色人種というのはその中間みたいなことで、例えば日本人にうちを貸さないなんて言う人いましたよ、随分。今はもう日本人と言ったら「あ、どうぞどうぞ」と。
蟹瀬お金持っているからという。
桂そうです(笑)、その当時はですね。そういう差別待遇の中で、やっぱり日本の文化というのはこういうものだというのを自分の、せめて専門分野の中だけでも、欧米を抜こう、抜けるとは思いませんでしたけど、少なくとも並びたいと。東京のブライダルファッションをニューヨークやパリと比べて遜色(そんしょく)ないものまで持っていきたいというふうに思って、まあそのぐらいにはなったかなという感じです。
蟹瀬そしてアメリカに1981年に出られていますよね? これはどういうきっかけからなのですか?
桂これはもうJETRO(ジェトロ)がやっぱり主催だったんですけど、それまでは日本というのはファッションに関する限り、全部ヨーロッパ、アメリカのものを買い入れてくる国だったわけですよ。売って出るということはなかったんですね。で、ワンダラーブラウスという言葉があって、メイド・イン・ジャパンというのは1ドルブラウス。
蟹瀬安物だと。
桂安物だと。だからそれを覆そうという発想が出ていまして、大手オンワード以下54社出たんですよ。ニューヨークのウォルドルフ・アストリアという一流ホテルで4日間もやったんですけど、そしたら「ウェディングドレスがない」ということになって「桂さんしかいないんじゃないの?」というので組合から声が掛かって、「出ましょう」と言ったのが確か6カ月か7カ月ぐらい前の話なんですよ、期間がそれしかなかったんですね。
それでアメリカに出るとなったら、なるべくヨーロッパの亜流だというふうには思われたくなかったんですね、私は、やっぱり日本として出たかったので、フランスのレースが喉から手が出るほど使いたかったけれど、やめると。それからイタリアのシルクもやめると。シルクも日本製を作るんだということで、それで産地を回って産地の人も、そういう私の意気込みに押されて「つくりましょう」と。成功しましたよ、それはもう、その後随分輸出で儲かったと思うんですよ。
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