モノづくりは「人類に欠かすことの出来ない創造的な営み」と唱える男のチャンレジ!
サンディスク株式会社
代表取締役社長
小池 淳義
コンパクトで大容量のデータを記録するメモリーカードの市場で世界的なシェアを誇るのがサンディスク株式会社。代表取締役社長の小池淳義は、日本の半導体産業にチップの生産スピードの向上という大きな改革をもたらした人物でもある。長年技術者として日本の半導体産業を支えてきた小池淳義の決断と選択に迫る。
蟹瀬しかし、それだけ時間とお金と、そして何よりも情熱を注いで作られた。完成した時は嬉しかったでしょう?
小池そうですね。本当に夜も寝られないような日々が続いたんでございますけれども、やっぱり世界で初めて300mmが出来て、枚葉処理が出来たという形で非常に嬉しかったのでございますが、けれどもやっぱり支えてくれた当時の日立の幹部、UMCの幹部と同時に、非常に私よりも情熱を持ってサポートしてくれた多くのエンジニア、これのおかげでプランが実現出来たんだと思って本当に感謝しております。
田丸トレセンティという名前は、小池さんが付けたとお伺いましたが。
小池新しい会社を創るという形だったので全く白紙状態でですね、この300mm、新しい概念、そして新しいビジネスモデルであるファウンダリー(受託生産会社)という概念を持ち込んだんですね。これは、製造中心の会社だという形で物作りに特化した会社にしようと。そういう形で進めてまいりました。そういう新しい会社のためにはですね、新しい、ふさわしい名前を付けたいということでいろいろ考えましたよね。やっぱり英語ですと、皆さん使われておりますのでラテン語で、トレ300、センティス、100という300という名前で、これはどこも使っていなかったものですから早速これを登録致しまして……。
蟹瀬正しく小池さんの想いが込められているわけですね。実際に工場が完成して生産効率、これはやはり相当上がったのですか?
小池そうですね。何といってもトレードマークはスピードでございまして、従来ですと一般の製品で二カ月くらい。60日くらいかかっていたものが30日で作ることが出来る。当お客さんが必要とされる試作品、枚数は少なくても良いんですけれども早く試作品が欲しいと言われた場合には一カ月かかっていたものを一週間で作ると。そういうようなことを出来るようになりました。
蟹瀬他は真似できないわけでしょう?
小池そうですね。
蟹瀬今の段階ではね。
小池はい。
蟹瀬そうですか。しかし、簡単に10年とか仰いますけど10年間同じ情熱を保つのは、とても難しいことだと思うのですけど。
小池やっぱり概念的には、一つ一つやって検証しながら新しい発見が出来る。そして、それを300㎜に転換する。枚葉処理に転換していくという連続性を持ちまして、新たな技術を転換出来るという形を私は分かりましたので、それの喜びを一つ一つ感じながらステップアップしていくことが出来たんじゃないかと思います。
蟹瀬それと45歳頃に一つの考え方の転機が……。
小池そうですね。やっぱり夢を実現するためには、何かしなきゃいけないなと思いまして、残念ながら夢を持つだけでは実現出来ないなと。そういう形で、プロジェクトリーダーになるという形ですね。これによってリーダーシップを持って自分の概念と夢を理解していただいて引っ張っていくと。そういうことが大切だなということが分かってまいりました。
蟹瀬トップに立つということですね。
小池そうですね。
新しい工場が完成し、プロジェクトは順調に進むかと思われた。しかし、2001年のIT不況によりUMCがトレセンティテクノロジーズから撤退。その翌年、厳しい状況の中、小池はトレセンティテクノロジーズの代表取締役社長に就任する。
蟹瀬大変厳しい状況に追い込まれたわけですけれども、小池さんとしてはどういうことをなさったのですか?
小池そうですね。やはり300mmのコンセプト、万葉のコンセプトをやっぱりどうしても続けていきたいということがございますし、やはり日本におけるモノづくりの特徴を続けていきたいということがございましたので、引き続き生産改革を起こしたいという形と、UMCは撤退した後もファウンダリービジネスですね。製造に特化した、そういった工場を続けていくという形で努力をしてまいりました。
蟹瀬いろんなところから受注してということなのですか?
小池そうでございます。特に、トレセンティの場合には、少量多品種といいましてロジックを中心にした製品を作ってきたわけでございますけれども。そう致しますと非常に大量の製品を一つの会社が受け持つということは難しい形になってまいります。そういう形から非常に多くの会社からですね、生産を受注致しまして大きな規模の工場に達しましてコストを下げていくということが非常に重要になってまいります。
蟹瀬当時、政府支援でのプロジェクトみたいなものも動いていましたよね?
小池そうですね。やっぱり経済産業省の方も対応をどうしても強くしたいという形でございまして。特に、我々の貞蔵する前の生産技術におけるプラットフォームを作ろうという形で、そのプラットフォーム作りのための新たな試作ラインを作ろうというプロジェクト、当時ASPLA(先端S to C基盤技術開発)と呼ばれておりましたが、日本の大手11社が集まりまして経済産業省と共に通信するという国家プロジェクトが推進されました。
蟹瀬そうすると、仕事がやりやすくなって受託生産なんかも非常に上手くいったわけですか?
小池そうですね。私どもとしては、是非そうしたかったのですが、そのASPLAというのが他の会社で300mmのラインを構築する。試作ラインを構築するという形になってしまいましたために、施策におけるプラットフォームと我々が構築した量産ラインとのマッチングというのがですね、非常に難しくなってしまいました。残念ながらそのプロジェクトは上手くいかなくなってしまったという形でございます。
半導体の受託生産プロジェクトがとん挫した頃、小池にアメリカのサンディスクから声がかかる。2006年、日本法人であるサンディスク株式会社の代表取締役社長として小池は新たな道を進むこととなった。
蟹瀬さて、サンディスクという会社に転職なさっていますね。
小池はい。
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