

クラウドコンピューティングの可能性。21世紀のグローバルカンパニーとは
アレックス株式会社
代表取締役兼CEO
辻野 晃一郎
ソニーのカンパニープレジデントを経てグーグル日本法人の社長を務めた辻野晃一郎が、自らの会社、アレックス株式会社を設立。クラウドコンピューティングを礎に様々な事業を展開している。辻野自らが語る、グローバルカンパニーの条件、そして日本の課題とはなにか。
石田興味深いですね。それでは、アレックス株式会社、代表取締役社長兼CEO、辻野晃一郎さんのプロフィールをご紹介致します。辻野さんは、1957年、福岡県北九州市でお生まれになりました。1982年慶應義塾大学大学院工学研究科を修了。ソニー株式会社に入社されました。バイオPC事業創業期の事業責任者やホームビデオ、パーソナルオーディオなどのカンパニープレジデントを歴任して2006年に退社。2007年にグーグルに入社。2009年にグーグルの日本法人代表取締役社長に就任。2010年4月に退社。アレックス株式会社を設立されました。
蟹瀬もう本当にね。こうやってご紹介すると輝ける経歴と。
辻野ぜんぜんそんなことないですよ。
蟹瀬そういう感じしますけれどね。一番最初に、ソニーを選ばれた理由っていうのは何だったのですか?
辻野僕はですね。ソニーっていうか、本当は映画監督になりたかったのですよね。
蟹瀬意外ですね。
辻野なんだけど、非常に厳格な家庭だったのですね。親父が厳しくて、なかなかそれを親父に言い出せなかったんですよ。将来の相談をした時に、まあ、文系に行って官僚になるか、銀行家になれっていうアドバイスだったのですね。それに反発して、理系に行ってソニーに入ったのですけどね。だから、あんまり計画性が無いのです。
蟹瀬だけど、なんか外資には行かないと。その当時、ポリシーはおありだった?
辻野ちょうどあの、今の方は知らないかもしれませんが。IBM産業スパイ事件ってあったのです。
蟹瀬ありましたね。
辻野あれが報道されて、技術者の方がおとり捜査に引っかかって逮捕されている光景を見て、それが非常に記憶に残ったのです。ちょっとその外資と言いますか、不要を落とすためになりふり構わない気がしたので、外資は嫌だなと思ったんです。その時。
蟹瀬なるほど。なんか、井の頭線でもエピソードがおありだって伺いましたけど。何のことですかね?
辻野恥ずかしいエピソードですよね。
蟹瀬何のことでしょう。
辻野井の頭線っていいますか、吉祥寺かどこかで飲んでいたんです。冬の寒い日だったのですが、吉祥寺から夜遅く電車に乗って、けっこう混んでたんですよね。座る席は、いっぱいになっていて途中の席で、外人が3人組ですかね。1人日本人の女性だったと思うのですけど。乗って来て、1人見上げるような大きな人がいたのですけど。その人が乗ってくるなり、窓をどんどん開けるんですよ。
蟹瀬暑いから?
辻野暑いからじゃなくて、寒いんですよ。冬だから。バンバン開けると寒い風が外から入ってきますよね。そうすると日本人がたまらなくてどこかに移っちゃうわけですよ。そうすると席が空きますよね。そこにドーンと座るわけですよ。
石田それでわざと?
辻野わざと。「俺は、いつもそうやってどんなに電車が混んでいても座るんだ」みたいなことを言っているわけです。
蟹瀬それを見て?
辻野それを見て。僕、ちょっと離れたところにいたんですよ。それで、まあ黙殺していたのですけど。渋谷駅について改札通る時に、たまたま彼が僕の前にいたんですよ。前にいて、最低限の切符しか買ってないわけですよ。それをポーンと置いてそのまま改札を抜けたのです。駅員が当然、止めますよね。「お客さん」って。だけど、彼は確信犯だから振り向きもしないでパッと行っちゃうわけですよ。そこで、キレちゃったんですよね。僕がね。
蟹瀬何て言ったのですか?
辻野捕まえるっていうか、ものすごく大きい男でおっかないですけど。いい加減なことやっていると問題なんじゃないの?って押し問答になってですね。そんなことがありまして、何でその話になっちゃうのですか。
蟹瀬正義感があって、こう自分の道を行くっていう。
辻野正義感っていうか、日本人がすごく差別された気がしたのですよ。そういうことに対して、すごく敏感なのですよ。さっきのIBM産業スパイ事件もたぶんそういうところにつながっていると思うのですけど、いわれのない差別みたいなことを受けると非常に敏感かもしれないですね。
蟹瀬だけど、慶應大学の時とソニーの時、アメリカに留学はされていますよね。
辻野そうですね。それが、まあ自分の人生の転機になりましたね。やっぱり。
蟹瀬具体的にどういうところが転機になりました?
辻野二十歳近くまで、日本しか知らなかったのですね。日本人で生まれて、僕は福岡で産まれたのですけど。海外出たことなかったですけど、だいたいそのアメリカとかアメリカ人に対するイメージっていうのがありますよね。人に聞いたり、本で読んだりとかして。
だけど、実際にアメリカに行ってみると、聞くと見るとは大違い。最初に留学したのは、ちょうど二十歳くらいの時でしたけど。1年間にいろんな刺激を受けましたけど。私なんか遅すぎたくらい。
蟹瀬いろんなね。勤める会社も今、起業されているわけだけれども選択していくっていうときにも自分の自立心っていうのがそういうところでそだっていく気がしますけれども。
辻野そうですね。
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