分かり易い言葉で仲間と事業創造。人生も仕事も「出会いは最大のレバレッジ」
株式会社NTTぷらら
代表取締役社長
板東 浩二
株式会社NTTぷらら。1995年、NTTとゲーム機器、音響関連メーカー、5社合弁によりジーアールホームネット株式会社設立。2000年、株式会社ぷららネットワークスに社名を変更。2008年現在のNTTぷららに社名を変更。現在は映像配信サービスひかりTVをはじめ音楽やゲームなどのサービスをマルチデバイスで展開している。そんなNTTぷららを率いるのは代表取締役社長板東浩二。新たな戦略でこれまでのテレビの概念を変える。板東が目指す総合ライフエンターテインメント企業とは。
宮川板東社長の経歴を拝見しますと、大学を卒業後NTTの前身である電電公社にお入りになりまして。
板東はい、その通りです。
宮川公社ですよね。ご希望だったんですか。
板東そうですね。私が大学を卒業したのは1977年だったんですけれど、当時はやっぱり景気があんまり良くなかったですね。オイルショックの影響とか等で景気があんまり良くなくて就職にあたってはですね電電公社に推薦をしてもらえないかという当時の就職担当の教授に頼みました。ところが君の成績では無理だろうと言われてですね、地元の銀行ですね、そちらの方を受けて、内定をもらってました。それで内定をもらった直後だったと思うんですけど電電公社が四国で一人だけ一般公募で採用すると試しに受けてみようと競争率が100倍ということもあって、どうせ落とされるのではないかと。ひとつの経験として受けてみようと思って受けたんですけれど、合格と言われまして。合格と言われると工学部出身だったものですから電電公社に行きたいと言うので電電公社の方を選択いたしました。
福井そして入社されてそこからはどのようなお仕事に就かれたんですか。
板東そうですね。入社してから10年間ぐらいは電話の交換器、電話機の中にあった交換機なんですけれど、その交換器の設計、導入、それからメンテナンス、こういったことを散々10年ほどやりました。それをやった後その後NTTの電話のネットワークのアナログからデジタルへの切り替えとか、それからデジタルに切り替えた後の運用体制というかオペレーション体制の効率化とか集約とかですね、そういったことを散々やってきましたけれど。
入社以来、技術畑一筋だった板東に大きな転機が訪れる。NTTぷららの前身5社合弁で運営をするジーアールホームネット株式会社。この合弁会社立ち上げのためのプロジェクトチームへの出向である。
板東当初は社長ではなくてですねNTT側の方から会社の立ち上げの支援とかサポートをするということでやってました。その後一年ちょっと経った時にネットワーク上のショッピングサービスですね、それを提供をしたということです。その時にはもう各社親会社の方から4、5名ずつ来て、プロパー社員も採用して、総勢30名くらいになっていました。一つにまとまってないなと、これは大変だなというのはつくづく感じていました。
宮川そこに社長をやれというお話。
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