「個性を磨け、愚痴を言うな」 ゴッド・ファーザーからの遺言
東京大学
野田一夫
戦後の日本経済をけん引した数多くの名経営者らと60年に渡り対話を続けた経営学者、野田一夫氏。
起業家のゴッド・ファーザーと呼ばれる名伯楽である。卒寿を迎えた今、熱いメッセージを残した。
ベンチャー三銃士、反抗した日本的価値観
野田氏はこうして広がっていった名経営者とのネットワークを知的な社交の場としても発展させた。日本IBMの椎名武雄氏らと年から伊豆天城高原のIBM施設で開いた「天城会議」が代表例だ。
「広く各界の異才を集め、泊りがけの放談会が天城会議だった。そんな会議は日本にはなかった。タコツボ社会を打破しなければ日本の未来はないと考えていた。」
優れた個性的な経営者や学者がぶつかり合いながら、新しい知恵が生まれ、その時代に活力を与えていった。だが年代に入ってくると、戦後の日本経済を引っ張ってきた経営者らは少しずつリタイヤし始めた。
「個性的な経営者たちか80年代ごろには経営の現場からいなくなってしまった。代わりに出てきたのが、自分の言葉でしゃべらない経営者。本や新聞、雑誌をよく読んで、いや読みすぎて、そこに書かれていることを勉強してうまく話す経営者たちだ。高学歴で上品ぶっているように僕にはみえた。今の経団連なんかは上品ぶっているような経営者が多くなってしまったね。」
戦前戦後の不連続性や貧しさの中から生まれた名経営者は豊かになった年代以降はおのずと減ったのだろうか。
「『家貧しくて孝子顕る』という。国は貧しいからこそ傑物が現れるのだ。幼いころから豊かな国で生きたか、貧しい国で生きたかで、事業をやるときの心構えは自ずと違ってくる。残念ながらそれが日本の現実だ」
今のサラリーマン経営者にはするどい視線を投げかける野田氏だが、創業経営者らへのまなざしはまだ温かいものがある。パソナの南部靖之氏、エイチ・アイ・エスの澤田秀雄氏、ソフトバンクの孫正義氏のベンチャー三銃士は野田氏をゴッド・ファーザーと慕う関係である。
「兄貴分の南部ちゃんが澤田ちゃん、孫ちゃんを僕の事務所に連れてきたのが始まり。年代の最初のころだ。まだみんな無名だった。どこにも行くところがなくて、事務所に来ては、僕が松下さんや本田さんの話をすると興味深く聞いていた。大起業家の実像を聞いて、何かをつかもうとする知的な好奇心が彼らにはあったね」
南部氏は日本の大学を出ているが、澤田氏と孫氏は高校生として日本の大学を目指さなかった。日本で大卒の肩書を求めなかったことが澤田、孫両氏の共通項だ。
「澤田ちゃんと孫ちゃんは1973年の夏、ほぼ同時に海外に飛び立った。16歳の孫ちゃんは米国西海岸に。22歳の澤田ちゃんはロシアのナホトカから西へと向かい、ドイツのマインツにたどり着いた。二人とも同世代の日本人の常識とはおよそ異なった人生を自ら歩んでいった」
「日本人の多くが社会的評価の高い大学進学を目指し、受験勉強する。そして終身雇用と年功序列が特徴な日本的な会社に入るために、また就活に精を出す。そうした横並びの人生と彼らの人生は真逆のものだった。そんな個性的な生き方が海外で開花し、帰国後の起業とその後の成長につながったのだと思う。かわいい子には旅をさせろ、とはよく言ったものだ」
「和を以て貴しとするな!」を信条とし、総理だろうと誰だろうと直言したという野田氏。立教大学に日本で最初の観光学科設立に尽力し、多摩大学、県立宮城大学、事業構想大学院大学を設立、いずれも初代学長に就いた。
「愚痴は言うな」憧れた父の教えを守りたい
そんな野田氏もまた個性的な人生を歩んできたといえる。21世紀に生きる経営者にも個性的な道を歩めと言うが、不確実性がますます高まる21世紀にどうすれば個性的に生きられるのだろうか。
「そもそも未来を予測するのは昔も今も難しい。明日はこうなる、来年はこうなると偉そうにいう人はかなり嘘つきだ。明日のこともわからないし、予想もしなかったことが起きるのは当たり前だ。今の自分を納得して生きる。今の仕事にも納得して生きる。今を生きるということだ」
なるほど未来を小利口に予測し、頭で差別化戦略を取ろうなどと考えてみても、大して個性を発揮できるものではないのかもしれない。「今」に集中することが結果的に個性的な人生になるのだろう。優れた個性的な経営者に通底するものは何なのか。
「成功した経営者に共通しているのは、自力で成功したというよりも、他力、つまりチャンスを生かしているという点だ。成功した人はみんな運がよかったという。顔も性格も違うが、みな自分自身の運が良かったと思っているね。基本的には楽観主義者でないと成功はしないのだよ」
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