

業界の革新!「私どものお店は、潜在顧客を開拓するんだ」の創造性
ピーアークホールディングス株式会社
代表取締役社長
庄司 正英
銀行マンからパチンコホール経営者への転身。庄司は周囲の反対を押し切って大胆な改革に乗り出し、新しいパチンコホールの流れをつくりだす。「私どものDNAを、もっといろんなところに移植したい」。その発想の根源とノウハウとは?
庄司パッションとかパートナーとかプレイとかプレジャーとか、いろいろなPを載せて、新しいパチンコをつくりましょうと、いわゆるPの箱舟を意味としています。これもある意味では私が付けたのではなくて、社員がこの溝の口店、先ほどのお店をつくるとき、時間消費型レジャーの具現化の第1号としてつくる際に、その概念としてそれを意識してお客さまに大好評いただきましたので、社名も変えようと。
蟹瀬では社内公募型でこの名前は出来上がったと?
庄司はい。それでそういったブランドというものを、初めてそのお店から意識して、私も今日は広報に社章ではないですけど、ピーくんバッジとか、ネクタイとか、そのブランドをかなり意識した企業に変わっていきました。
蟹瀬会社の顔として登用されるわけですからね。それと先ほどお話があった、時間消費型パチンコホールということですけども、その後の展開というのはどうなんです?
庄司その溝の口以降、いろいろなエリアに出店する際に、私どもはブランドというのはある意味では顧客の期待価値だと思ってますから、その地域のお客さまはどんなことを期待するだろうか、どんなものがその地域に足らないだろうかと、これをある意味では1年ぐらいマーケティングして、1店舗ずつそのテーマを設けて出店していきました。
南行徳という駅前にあるお店は冒険公園といって、ディズニーランドのそばですから冒険公園と。入り口入ると、マーク・トウェインの蒸気機関車のごとくスクリューがあるんですね。バックグラウンドミュージックは、ああいったジャングルの動物のさえずりみたいなものを使ったり、谷中は環境公園ピーアークといいまして、あの当時、かなり先走ったんですが、禁煙のお店。快適な喫煙グッズ、喫煙場所もありましたけれども、それを思い切って禁煙のお店をつくりました。
また入り口は30ぐらいの水槽を縦に並べた水族館をつくったり、そういった、お客さまの期待するエリアのこういったいろいろなアイデアを具現化していったんですね。
蟹瀬銀座のお店は、これはどういう特徴があるんですか?
庄司銀座はある意味では、その当時インターネットのはしりでしたから、入り口はカフェにしてインターネットを置いて、インターネットカフェ風な造りにいたしました。銀座ということで、かなり女性のお客さまを意識して。
蟹瀬OLの方、多いですからね。
庄司それからその当時はまだメールアドレスはなかなか簡単に取れませんでしたから、会員になるとメールアドレスをただで付与したり、そこでメールチェックをしたり、いろいろなお客さまの使い勝手でいろんな利用の仕方をパチンコ店の店頭でしていただいて、なおかつチャンスあればお客さまになっていただくというような営業をやりました。
蟹瀬もう一つ特徴的なのは、相模原ですかね?
庄司はい。
蟹瀬こちらはファミリー層、学生グループがターゲットと?
庄司はい。相模原のお店は16号に面しておりまして、実はこれも非常に画期的なお店で、私どもと、その当時ナムコのゲームセンターと、それから外食、ハンバーグ屋さんが一体となって出店いたしました。また建築はその当時、非常に斬新な高松伸さんにお願いしまして、そういった造りで、なおかつイベントをするスペースを常設したり、新しいパチンコの広がりをつくろうということでやってました。
蟹瀬いわゆる、業態によっては同じものをいろんな所へつくっていくというチェーン展開ですね、それとはもう全く一線を画しているわけですね?
庄司ええ。私どもの社ではナンバーワンではなくてオンリーワンを目指すと言っていますから、一つのモデルを効率良くつくる方法はそれかもしれませんが、私どもは地域のリレーション、それから顧客の期待値、それはある意味では常に前へ進んでいますよね?
いわゆる進化とうことでしょうね。その進化することによって、私どもオンリーワンをつくる、つくり手も楽しいし、お客さまも喜んでいただける。で、私どもの最終、一つの目標としては、ファン・フォア・ザ・カスタマー、ファン・フォア・ザ・スタッフ、そしてファン・フォア・ザ・エリア、地域にとっても楽しい存在になろうということでやって展開しております。
蟹瀬なるほど。そして、このニュービジネス協議会でアントレプレナー大賞部門、これで最優秀賞を取られてらっしゃる。ご本人から言うのはちょっと言いにくいかもしれませんが、この受賞の理由というのはどのへんが評価されたというふうにお考えですか?
庄司私どもがやってきたことを整理整頓して、ある意味ではそこではニュービジネスとしてのことよりも、古くて固い業界を新しい業態を創造したということで、私ども……。
蟹瀬そのあたりが評価の基準になったと。
庄司評価されました。業界では評価されなかったんですが、業界外で初めて私も褒められまして、かなり喜んで、で、かなり自信になりました。
蟹瀬なるほどですね。そして企業内起業なんていう制度も設けられてます。最近はそういう制度をつくる企業も多くなりましたけれども、やっぱりパチンコ業界ではかなり画期的なことなんでしょうね?
庄司そうですね。
庄司常に新しい期待値をつくっていく、ある意味ではその庭ですね、新しい世代の一つの価値観を持ち込まなければならない。それからいわゆるダイバーシティーといいますか、いろんな多様性の中で知恵を出さなきゃならない。そういうことを考えますと、今の組織の中のある程度ミドルよりも、入社して2、3年程度の若い世代に、いろいろな形でのベンチャーとしての提案をして、できるものは事業部にして、もっといけば独立した会社に。
蟹瀬新しいビジネスをスタートさせると。
庄司はい。いくつもそれで会社を作りました。
2002年、「エンターテインメント・スタジオ・ピーアーク」をオープンします。2003年、「女神のコンバット部隊」発足、「ピーアーク銀座ネオ」オープン。2006年、ピーアークホールディングス株式会社に社名変更。そして2007年、「ピーアーク銀座」にて「アンチパチンコ宣言」を行いました。
蟹瀬このアンチパチンコ宣言は、また後ほど伺うとしても、時間型消費、これを進化させて出てきたものは何ですか?
庄司これは感動消費型レジャーとしてのポジションです。
庄司せっかくお客さまとのリレーションを地域密着で大事にして、スタッフもそういったお客さまを囲い込む一つの接客サービスをしながら、これを相手インセンティブにどうやってつなげていくんだろうということを一生懸命考えました。結局、次の来店で一番大事なのは、あ、あのスタッフの笑顔だとか、あのときああいうことをサービスされたとか、ワントゥーワンマーケティングなんです、基本的には。で、それを構築していくと。結局、時間をただ消費するだけではなくて、感動の衝撃、いわゆる小さな感動の積み重ねが来店動機になったり、それからお客さまの楽しみになったり、いろんな形でやっていくと。
蟹瀬それが具体的になったのが、この『エンターテインメント・スタジオ・ピーアーク』ということになるわけですか?
庄司はい。
蟹瀬どういうことをなさっているんですか?ここでは。
庄司これは簡単に言えば、いろいろな業態化したお店、いわゆるターゲットマーケティングで、これは若い世代のお客さん、それからシニア層のお客さん、それから遊びを主体にするお客さん、これを業態で分けて、それを5階建のビルで……。
蟹瀬フロアーごとに違う、コンセントが。
庄司フロアーだけではなくて、そのお店の登録というか、いわゆる店舗の許可も別々に取って並べていったんですね。それがある意味では、そのエンターテインメント性なり、それから5階は地域のスペースで開放しておりまして、例えば犬のしつけ教室とかカラオケ教室とか、地域のかたがたが、いわゆる公民館ですね。地域にとって、まさに楽しい存在になるように……。
蟹瀬開かれた存在ということですね?
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