時代刺激人 Vol. 283
牧野 義司まきの よしじ
1943年大阪府生まれ。
「福島第1原発事故は、日本の最も弱い部分、すなわち『日本のエスタブリッシュメントの甘さ』を世界中に露呈した。日本の信用が一気に低下したのは事実だし、今もその動きは止まっていない」
「規制当局の官僚が原発の安全確保をめぐり
規制対象の事業者利益のために動く」
まずは、黒川さんの「規制の虜」の本だ。この書名の由来は、原発の安全管理の面から厳しい規制チェックを加える側の規制当局、とくに最終責任を負うべきエリート官僚が規制対象の東京電力など電力事業者の虜になってしまっている、という点からだ。
黒川さんは、本の中で、国会事故調時代の調査統括役を担った宇田左近さんの「我々は(事故の真相解明調査のために)日本株式会社のガバナンスを全身スキャンしたようなものですね」という言葉を活用して、「スキャンしてみた結果、政府や官僚、規制当局者らが国民のためにするべき管理・監視、規制といった役割を果たしてこなかった。相互のチェック・アンド・バランスが働かない社会になっていた」と断じている。
そして、今回の原発の安全確保をめぐり規制する立場と規制される立場の逆転現象が起き、当時の原子力安全・保安院は、国民の安全や利益のためではなく、事業者(東電)の利益のために機能するようになり、規制の虜になってしまった、と黒川さんは言う。
専門情報の優位性が常に事業者側にあり
規制当局者は後追いなどのハンデが響く
逆転現象が起きる理由については、情報の優位性が事業者側にあったこと、早い話が当時の規制当局は、現場の原発の専門的な情報や知識に関して常に後追いだったうえ、規制当局トップらは官僚の人事ローテーションにより2年程度で異動するため、専門的な判断ができないハンディを持っていたこと。日本のエネルギー政策が当時、原子力推進をベースにしており、原発安全管理に関しては「推進の中での安全」を前提にしていたこと、しかも規制する旧原子力安全・保安院が原子力推進の立場にある経済産業省の一機関だったため、厳しく規制すると圧力がかかる可能性があったことだ、という。
事実、国会事故調の調査では、東電が規制の緩和に関して直接に、あるいは業界団体の電気事業連合会を通じて間接に、規制当局に要望を出すと、最終的に出てくる規制は要望どおりになっていた。そこで黒川さんは規制当局者を「規制の虜」と位置付けたのだ。 国会事故調の公開の参考人聴取で、歴代の旧原子力安全・保安院長数人が、在任中の規制対策に関して「責任を問われる問題ではないか」という追及に対し、責任逃れの答えを繰り返し、私は「えっ、よくそんな答弁ができるな」と思わず憤りを感じたほどだ。
「日本のリーダーは『なりたいポジション』に
就いた時から責任を果たす行動したのか」
しかしここで重要なことは、黒川さんが、5年たった今も原発事故の教訓が生かされない現実について、「国家の危機が目前に迫っていても対応できない『日本のリーダーたち』への歯がゆさ、日本を支える産官学のコアの部分がメルトダウンしていることへの危機感だ」と述べている点だろう。
黒川さんは、その問題に関連して「役所の事務次官になりたい、政治家になりたい、企業トップの社長になりたい、という人はたくさんいる。しかし、そのために何をしてきたのか。『なりたいポジション』に就いた時、与えられた責務・責任をきちんと果たしているのか?急速に変化するグローバル世界での『日本国の責任ある地位(ポジション)』にある『個人』として、自分はどうなのか?ということを考え、行動することだ。それがアカウンタビリティの本来の意味だ」と、本の中で述べている。そのとおりだ。
さらに黒川さんは「問題が起きた時に、責任者らしき数人が『申し訳ございませんでした』とそろって頭を下げ、それで何となく事態は収束していく。これでは外国との関係で事故が生じた時などに責任の所在をめぐり紛争のもとになりかねない」とも述べている。
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