常識破り!「前例があるといったら全部やめる」のパワー
エステー株式会社
取締役会会長兼執行役
鈴木 喬
「ものを売る前に自分を売って、それから会社を売って、それから熱意を売って」。少年時代に過ごした戦後すぐの焼け跡がを原点。どんなことをしても生きていけるという自信とともに会社を急成長させた鈴木喬の、ヒット商品を次々に生み出す秘密、経営手法とは?
鈴木当時バブルのはしりの頃に、創業者である私の兄がニッセイに来まして、資産運用について相談に来たんです。そしたら当時伊藤助成さん、後の社長になって同友会の副会長になった人ですけども、その人が「ベンチャー投資の第1号にしようよ」ということで、スタッフを何人か送り込んだんですね。それと同時に筆頭株主に準ずる株主になりましたし、ついでに「それじゃ、エステー行ってこい」と言われまして、「その代わり必ず帰ってこい」と。
蟹瀬「辞めるな」と、ニッセイは。
鈴木ええ、「辞めるな」と言われましてですね。
蟹瀬で、ニッセイ辞められてしまったんですね?
鈴木ええ。
蟹瀬なんでですか?
鈴木東京証券取引所に上場するときは、当時は上場審査でもって『出向役員は認めない』という内規があったようなんですね。
蟹瀬なるほど。
鈴木それで「帰ってこい」と言うんですが、これもなんかの流れなのかなと思いまして、私の兄の社長がニッセイにお願いに行きまして、ニッセイの了解のもとに転籍しました。
蟹瀬ご自身としては、今振り返ってどっちに行きたかったと、その当時は思ってらっしゃったんですか? ニッセイへ戻りたかったのか、お兄さんの会社のほうへ行くという決断と?
鈴木当時、私51歳で節目でしたので、これも運命かなと、こう思いまして転籍しました。
蟹瀬そうですか。やっぱりエステーのほうで頑張ろうという気になられたということですか?
鈴木はい。
蟹瀬そしてアメリカの会社の社長に就任されてますよね?
鈴木はい。
蟹瀬これも唐突な感じがするんですが、どういう流れからこうなったのですか?
鈴木私、エステー行っていろいろな所を回っていたのですが、管理部門担当のとき、バブルのピークの頃、どこの会社もアメリカの会社を買いましたよね?
蟹瀬買いましたね。
鈴木エステーでも同業の防虫剤の二番手の会社を買ったんです。現地から非常に好調だというレポートが来るんですが、私、人の言うことはあまり信じないほうで。
蟹瀬先ほどおっしゃってました。
鈴木はい。どうもこれ、数字を並べてみますと、自分なりに分析すると、そんなになるはずがないと思いまして、行きましたら案の定、とんでもないことになっていたと。
蟹瀬「儲かってる、儲かってる」と言ったけど、実際は儲かってなかった?
鈴木はい。もう大変なことになっていました。しょうがないから、アメリカ人の社長はじめ幹部をみんな辞めてもらう。それからエステーから行ってた社員にも皆帰ってきてもらう。したら誰も行く者なくなってしまったんですね、そんな所へ行ってどうしようもないよ、ということで。そうしたら、誰もやることないので私のほうにお鉢が回ってきて「おまえやれ」と、こういうことで。
蟹瀬で、行かれた?
鈴木ええ。「たて直せ」と。
蟹瀬しかしもうそういう状況はご存じだったわけですね?
鈴木はい。
蟹瀬立て直す努力というのはやっぱりなさったわけですよね?
鈴木ええ。
蟹瀬どうだったんです?
鈴木初め、100人アメリカ人がいて私1人が日本人ですから、どうやっていいのかなと思って初めて行きましたら、身長190センチぐらいのものすごい大男がいて、これナンバー2なんですよ。これが私のことを威嚇(いかく)するわけですよ。私、日本人でも私は小粒ですけど、しょうがないと、これは大阪弁でこういうときはなんか分からないけどしゃべりまくってやる!というので……。
津島大阪弁で(笑)。
鈴木ぎゃーっと朝から晩までこのナンバー2の大兵肥満(だいひょうひまん)の男に数字を並べまして、会社の数字を持ってこさせまして、克明に説明しましたら、最後に顔色が変わって私の言うことをすっかり聞くようになりましたね。
蟹瀬こいつはできるなと、分かるなと向こうは思ったわけですね?
出演者情報
企業情報
関連コンテンツ
カテゴリー別特集
リンク