iPS細胞ダブル誤報から何を学ぶ? メディアにとっては他人事でない話


時代刺激人 Vol. 204

牧野 義司まきの よしじ

経済ジャーナリスト
1943年大阪府生まれ。
今はメディアオフィス「時代刺戟人」代表。毎日新聞20年、ロイター通信15年の経済記者経験をベースに「生涯現役の経済ジャーナリスト」を公言して現場取材に走り回る。先進モデル事例となる人物などをメディア媒体で取り上げ、閉そく状況の日本を変えることがジャーナリストの役割という立場。1968年早稲田大学大学院卒。

新聞社や通信社、テレビ局のメディアにとって、ライバルメディアとの競争を意識しながら必死で取材しスクープ記事だと思い込んでいたら、取材不足やニュース判断の甘さが原因で、実は誤報だったと判明した時のショックは、本当に大きい。それでも商業メディアの宿命として、批判覚悟で、引き続き報道や情報発信を続けねばならない。その場合、信頼回復、再発防止への取り組みと平行してのことだけに、とても辛いものがある。

前々回202回コラムで取り上げた10月11日付の読売新聞朝刊での「iPS心筋を移植 ハーバード大日本人研究者 米国の心不全患者に初の臨床応用」の誤報がそれだが、追いかけた共同通信と産経新聞も夕刊段階でタイムプレッシャーにかかり、その誤報を十分にチェックし切れないまま、後追いの形で事実のように報じてしまった。このため、前代未聞のダブル誤報になってしまった。

読売新聞の再取材踏まえた2度目の検証は重要だが、
信じられない組織ミス判明
 ダブル誤報は、私のメディア現場経験でも考えにくいことだが、山岳遭難のための救援隊が視界不良の猛吹雪で運悪く二重遭難に出会ったのと同じだ。しかし報道機関のダブル誤報はメディアに対する信頼を損なうものだけに、私を含めてメディア報道にかかわる人たちは改めて、これらの誤報から何を学ぶかが大事だ。同時に、メディアへの信頼回復のためにも誤報問題をフォローアップし、教訓として受け止めることが絶対に必要だ。

そんな矢先、読売新聞が誤報から2週間たった10月26日付の朝刊で、13日付朝刊での誤報検証に続き2度目の検証記事を出した。読売新聞は、この検証にかなりの時間をかけ、森口氏にも再取材を行っている。あえて恥部をさらけ出すかのように、今回の取材報道で何が問題だったかを明らかにしている。信頼回復のためには乗り越えねばならない道ということでの決断だったのだろうが、その内容を見る限り、率直に言って、「えっ、そんなことをやっていたのか」という、信じがたい現場の判断ミス、組織ミスがあった。

「ホー・レン・ソー」の連絡コミュニケーションがなく、
現場もデスクも互いに思い込み
そこで、今回のコラムで再度、この問題を取り上げ、メディアで現場取材にかかわる私の立場で独自に検証してみたい。他のメディアにとっても他人事ではない問題だ。同時に、多くの企業関係者、一般の人たちにも決して無縁でない、一種の大組織病のような問題が潜む。「失敗の研究」という意味でも、ぜひ、一緒に考えていただきたい。

結論から先に申し上げよう。その検証記事によると、誤報を生んだ最大の問題は、記事を書いた科学部の現場記者とキャッチャー役の本社の科学部デスクとの間で、一種のミス・コミュニケーションがあったことだ。早い話が、ホー・レン・ソーと言われる報告・連絡・相談の連携コミュニケーションが十分でなく、お互いで、たぶん、相手は対応しているだろうな、という思いこみが先行し、ひんぱんに連絡し合わなかった。これが誤報というリスクをもたらしたのだ。現場記者のヒューマンエラーというよりも組織エラー、組織事故だった、と言っていい。言ってみれば大組織が陥りやすいリスクだ。

読売新聞現場記者の「6項目の疑問点」は正しかったのに、
あとの対応に問題
 読売新聞の検証記事によると、具体的には、虚言癖のある研究者の森口尚史氏から現場記者に対して、情報
の売り込みが9月19日にあった。その後、森口氏から10月1日にも細胞移植手術の動画と専門誌に投稿予定の論文草稿をつけたEメールが送られてきた。現場記者はそれを読んだあと、同じ10月1日に医学担当デスクに対し「扱いの難しい取材対象がある」とEメールで連絡すると同時に、次の6項目の疑問点を挙げた、という。

1)(森口氏の)動物実験の論文が未公表、2)臨床実験を確認したという人に(現時点で)当たれない、3)ネットで米ハーバード大での(森口氏の肩書や)所属を確認できない、4)iPS細胞とは別の細胞が働いた可能性がある、5)世界的な大ニュースが(ロックフェラー大の科学研究発表会場の)ポスター発表にとどまるのは不自然、6)iPS細胞由来の細胞移植がハーバード大で許可されるのかどうか、という点だ。

デスク陣が「現場記者が裏付け取材しているはず」
と勝手な思い込み判断も問題
 この疑問点を見る限り、現場記者の指摘は当然で、正しい判断だ。現場記者は、さらに別の医学担当デスクら3人に対しても同じEメールを送っており、現場とデスク間の情報共有に関しては、そつなく行動している。ここまではOKだが、問題はそのあとだ。 検証記事によると「科学部の記者は、デスクにメールで疑問点を伝えたことで『安心してしまった』と言い、森口氏から動画を含めさまざまな資料を示されて説明を受けたあとは、専門家1人に見解を求めた程度で、当初の疑問が解消されたと思い込んだ」という。

他方で、「メールで取材内容を共有していたデスクらは『記者が裏付け取材をとっているはずだ』と誤解し、詳しい説明を求めなかった。デスクの指示がないことで、記者は自身の取材内容を十分と受け止めてしまった。双方の認識の違いが誤報を生む大きな要因となった」と検証記事は述べている。

現場記者は森口氏に巧みに「他のメディアに先を越されるぞ」
と口説かれた?
 私が推測するところ、現場記者はEメールで書いた現場記者の疑問点に関して、デスクの意見や指示、先輩記者としてのアドバイスなどがなかったため、そのまま3日後の4日午後に森口氏に会い6時間に及ぶ取材を行った。そこで、情報の売り込みに躍起の森口氏は、たぶん、熱っぽく、この現場記者に都合のいい話ばかりして、疑問点は大した問題ではない、そんな疑問点にこだわっていると、他のメディアに先を越されるぞ、といった趣旨のことをしゃべり、読売新聞の現場記者にスクープ記事だと思い込ませる方向に仕向けたのでないかと思う。

しかし、ここで、いくつかの組織上の問題がある。メディアの現場に長くいた私の経験を踏まえた問題意識で言えば、読売新聞が、この森口氏の売り込み情報に関して、山中伸弥京都大教授の新型万能細胞と言われるiPS細胞の製造でのノーベル医学生理学賞受賞にからむビッグニュースだと判断したのならば、なぜ、科学部の現場記者1人の取材にすべてを委ねるというのではなく、科学部の他のベテラン記者を動員してのチーム取材の体制を組まなかったのか、と言うことだ。

最大の問題はスクープ価値あるなら、
なぜチーム取材体制とらなかったのかだ
 また、内容次第では社会部、経済部、国際部などを巻き込んだ大掛かりな話になったかもしれないのに、科学部だけにとどめたのはなぜか、と言うことだ。メディアの取材で重要なのは、ワッと騒いで大掛かりな集中取材を行うことによって、確認取材に幅が出来る。同時に、今回の場合で言えば森口氏の虚言が十分にチェックできたはずだ。

続いて、今回の科学部デスクと現場記者の間での狭い範囲での取材結果を踏まえたスクープニュースの価値判断に至るまでのプロセスでも問題が多かったと考える。まず、現場記者とデスクとの間のコミュニケーションの問題がある。たとえば現場記者が6つの疑問点を持っていたことに関して、デスクサイドは、医療担当デスク以外にもEメールで複数のデスク間で情報共有していたのだから、デスク同士で議論し、現場記者に対して取材の指示や注文してしかるべきだった。

デスク同士の情報共有度合い、
現場記者交えての議論内容が知りたい
 また、現場記者の6時間に及ぶ長時間取材に関して、前回のコラムでも指摘した点だが、森口氏から、米国での最初の手術成功例の34歳の男性、さらに手術に立ち会った複数の医師の名前を聞き出す形で確認取材すべきだったこと、仮に森口氏が「なぜ、そんなことにこだわるのか、信用しないのか」と反発したら、それ自体をデスクに報告して、補強取材の判断や指示を待つということも重要だったのでないだろうか。

同時に、デスクも、森口氏からの取材や発言の内容を現場記者から報告の形で受けて、意見交換、あるいは議論をすれば、問題の所在が明らかになり、ミスを防げたはず。ところが、これらに関して、読売新聞の2度にわたる検証記事では鮮明になっていない。このデスクと現場記者との間での十分な取材内容の検証、それを踏まえて、どういった点でスクープニュースだとの価値判断を行ったのかが見えてこないのが残念だ。

科学部だけでなく編集全体でスクープニュース判断に至った経緯が
不透明
 また、10月13日付朝刊での読売新聞の最初の誤報検証では、「科学部長(当時)は『物証は十分か』と確認したうえで、できるだけ早い(紙面)掲載を指示した」とあったが、この部長と担当デスク陣、さらに現場記者との情報交換の回数や意見交換の中身、それらを踏まえた科学部長の最終判断内容が今回の2度目の検証でいまひとつ明らかでない。
そういった点で、デスクや部長の十分な確認取材指示が希薄であり、どちらかと言えば、ライバルメディアとの競合を意識して、早く記事化を、という形で、科学部の編集幹部自身にスクープ狙いへの傾斜が強かったのでないかとも勘繰りたくなる。

もう1つ、誤報検証が不十分なのは、新聞社では夕刊や朝刊の紙面づくりに向けて、編集局の各部門のデスクら幹部が参加しての編集会議で、ニュースの1面トップ記事などをめぐって議論をかわすが、この点に関しても、当時の読売新聞の編集会議ではどんな議論が交わされて、「よし、あすの朝刊トップニュースは科学部の記事でいこう」という最終判断になったのか、判然としない。その議論の過程や検証がないと、トカゲのしっぽ切りのような形で終わってしまい、本当の意味での再発防止につながらない。

科学ジャーナリスト小出さんもチーム取材で臨むべきだったと
組織判断ミス論
 原発報道の検証セミナーで知り合った元NHK解説委員で、現在も科学ジャーナリストとして活躍されている小出五郎さんは、今回の読売新聞の検証記事で、コメントを求められ、私の問題意識と同じように「事実であれば世界的ニュースと、とらえたのだから、取材チームをつくるべきだった。複数の記者に疑問点を取材させ、慎重な判断を下していれば、森口氏のうそは見破れただろうと述べている。

Eメールで私と意見交換した中で、小出さんはさらに「現場が五感を通じて真実に近い情報を常に持っている。スクープになるかもしれないとの勘が働くときには現場感覚尊重の取材チームをつくって、臨機応変にチームをつくれるかどうかが組織として重要だ」と述べると同時に、今回の誤報の反省は必要だが、果敢に取材する姿勢だけは失ってほしくないと述べている。そのとおりだ。

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