「知財は武器」 経営トップが
知財戦略のかじを取り
戦い挑め
山本特許法律事務所
弁理士
山本 秀策
山本秀策氏は今、日本の知的戦略に対する危機感をますます募らせている。アメリカと中国との間で激しくなっている米中貿易摩擦の行方は日本にも影響を与えるが、山本氏はこう予測する。
「例えば中国による知的財産権の侵害を根拠に、アメリカは中国からの輸入品に追加関税を賦課し、米国は一歩も引かないという強い姿勢を鮮明にしました。昨年からの米中摩擦の緒戦では中国は劣勢ですが、長期戦ではいずれ知財分野で優位に戦いを進めるつもりでいるのではないでしょうか」
中国はこれまでアメリカにとどまらず多くの先進国の知的財産を侵害し、製品やサービスを提供してきた例は枚挙にいとまがない。かつての中国企業には知財の保護を重視する姿勢があまりなかったことは事実である。アメリカは今回、中国のその弱点を突いたのだが、中国政府は虎視眈々と反撃の構えを見せているようだ。
「中国政府は中国企業が海外でも特許を申請するよう資金的にも後押ししています」と山本氏は言う。今回の米中摩擦でやり玉に挙がったファーウェイ(HUAWEI)のように次世代の通信技術5Gなどで進んだ技術を持っている企業が中国に生まれた。世界が鎬を削っている自動運転技術でも世界最高水準の技術を持つ中国ベンチャー企業もある。そういった中国ハイテク企業の研究成果を主要国で権利化しておこうとする動きである。「15〜20年後には知財で米国企業が中国企業にたたかれるという事態も予想できる」と山本氏は見ている。
世界の主要国は将来のビジネスチャンスをちゃんとにらみ、知財戦略を着々と進めているのである。一方日本はどうか。歴史を振り返ってみよう。
1980年代初頭に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた時代があった。当時のハイテク産業でアメリカ製品を凌駕し、日米貿易摩擦を引き起こすほど競争力が増した日本。だがこの時代もIBMが富士通から1000億円以上、テキサス・インスツルメンツが東芝から700億円、ハネウェルがミノルタから165億円など日本企業は損害賠償を米国からむしり取られた(『知財がひらく未来』p160)。
知財の重要性を思い知らされた日本企業が、1997年ごろまでは米国特許取得トップ10企業のうち4社を占めた。しかし90年代後半の金融危機、2008年のリーマン・ショックを経て、日本企業の特許出願件数は一気に落ちていった。一方、欧米企業は日本が出願件数を減らした時期も増やし続けた。
しかも日本企業が取得した特許は先述した通り、山本氏によると「水鉄砲」のような特許が多く、米国企業のように巨額な特許使用料を獲得できる構造になっていない。
山本氏は「日本は知財の重要性に気がついたものの、表面的な理解に過ぎなかったのです。しかもデジタル化が進展する大変革について行っていません。ますます凋落しているという危機感が強くなっています」と指摘する。
今後のイノベーション創出で期待されている大学の「知」も日本では心細い。日本の大学のライセンス収入トップの東京大学は年間7・2億円、全大学合計では26億円(2016年度)。それに対し米国のトップ、ノースウェスタン大学は246億円、全大学合計は2562億円(2016年度)だ。日本の大学の知財収入は米国より二桁少ない水準なのだ。山本氏はこう指摘する。
「日本の大学の科学研究は衰退していると言われます。お金がないからとのことです。それならば知財で儲ければいいのです。が、そうはなっていません。私の事務所には米国の大学から毎日多数の、日本の特許庁への申請書類が送られてくるのですが、日本の大学からは大変少ない」
山本氏は「企業と大学との共同研究にも日本では問題があるのでは」と言う。
米国企業が大学と共同研究した場合、特許の大半は大学が保有する。アイデアを考え出した大学の教官が出願するケースが多いからだ。もしも企業がその特許を占有したいならば相当な額で買い取り、あるいは特許を使用したければライセンス料を払う。「米国では発見した人への絶対的なリスペクトがあります」と山本氏は言う。
しかし日本の共同研究では特許出願を大学と企業とで共同出願することが多い。研究費の一部を企業が負担していることや、出願時の費用が共有企業に負担してもらえるから費用を折半にした方が得策だという考え方が強いからだという。だがここに落とし穴がある。大学が保有する特許でライセンス料を得ようとしても特許の共有企業が反対すれば、ライセンス契約は結べない。だから大学が特許を保有していても宝の持ち腐れとなってしまう。
山本氏は「日本の大学は米国のように単独で特許出願すべきです。共同研究した企業が独占的にその特許を使用したいなら、買い取ればいいのです」と指摘する。
大学が自分らの考え出した「知」をもっと大切に扱い、自ら権利化する。共同研究した企業も大学の「知」を尊重し、活用する――。そのように知財を大切にする土壌を日本で育てなければいけないのだろう。
「パナソニックの創業者、松下幸之助は電球ソケットを考案しました。ソニーの井深大さんやホンダの本田宗一郎さんら創業者はたくさんの発明をして、それを元に会社を興した人たちです。そういった創業者は知財をとても大切にしてきましたが、自ら何かを発明した経験がないサラリーマン経営者の時代になって、知財の大切さを実感として理解できなくなっているのではないでしょうか」
山本氏はもっと知財の大切さに対する認識を日本企業は持たねばならないと警鐘を鳴らすのだ。知財戦略が特許部門の仕事にとどまらず、企業経営に直結するものだという認識がまだ日本では弱いと山本氏は考えている。
米国ではCEO(最高経営責任者)と知財部門のトップとの関係は極めて近く、太い。短期、中長期の経営戦略を決めると、その経営戦略に必要な知財は何なのかが決まる。自社にその知財があれば権利化し、なければライセンス契約の道を探る。つまり知財戦略は経営戦略の根幹をなす大きな要素なのである。従って米国企業の特許出願は経営にとって必須のものに限られ、しかもビジネスの武器となる堅固なものになるよう知恵を絞る。
米シリコンバレーでは日々、ベンチャー経営者と投資家との出合いがある。ベンチャー企業が持つ技術、アイデアにほれ込み、投資家たちはお金を投じる。山本氏によると、ベンチャー企業に対する投資家の第一声は「知財は大丈夫か?」だという。自分たちが考えた技術、アイデアをしっかり守り、武器として持っているかどうかが投資の条件なのだ。それほどに会社の成長と知財戦略とは不可分な関係なのである。
日本企業の場合は研究開発部門が経営戦略とは必ずしも関係がない独自の判断で特許出願する例が多い。「経営にとって何が必要な知財かを仕分けし、必要でないものは権利化しなくてもいいのです。そうすれば特許取得に必要な時間も出費も少なくなります」と山本氏は指摘する。経営者にとって必要なのは企業戦略にとって役立つ知財かどうかを見極める「目利き力」である。
日本の経営に足りないものはなんだろうか。アメリカ企業との仕事が多い山本氏は「多様性ではないか」と指摘する。著書の『知財がひらく未来』(p158)でも「多様性とは何か。異質な多面的な思考や発想があって、それゆえに各自の五感や頭脳が刺激され鼓舞されて、革新的な発想が生まれる状況のことだ。イノベーションはそんなところから生まれる」と書いた。
イノベーションを生み出す知財を扱う特許法律事務所としても様々な角度から技術、アイデアを見極め、クライアントのためにその権利化に励まなければならない。約160人の所員のうち外国人は55名。米国、英国、カナダ、オーストラリアの大学や大学院を出た英語は勿論のこと、科学技術や法律に堪能な人材を採用し、その国籍は23カ国に及ぶ。アメリカのような人種のるつぼの中で知財戦略が練られているのだ。
日本への危機感を募らせている山本氏が今、力を入れているのがスタートアップ企業、ベンチャー企業への支援である。「大企業は大艦巨砲すぎる。知財戦略が重要だと分かってきましたが、すぐに方向転換できません。それよりもベンチャーを成長させることで日本を元気にしたいのです」。一時はクライアントの9割が海外企業だったが、今では8割まで減らし、その代わりに増やしたクライアントがベンチャー企業である。2015年、山本特許法律事務所は三菱東京UFJ(現三菱UFJ)銀行と業務提携した。銀行の取引先である技術系ベンチャー企業を山本氏の事務所に紹介し、知財戦略立案や特許出願などのサービスを提供する。必要なら、海外進出を法的側面から援助する。
ベンチャー企業の経営者は大半が自らアイデアを生み出した創業者である。知財の大切さも十分に分かっている。まだ組織が小さいだけに柔軟でグローバルな視点を持ち、果敢に戦いを挑む気概もある。それはかつての松下幸之助や井深大がつくった創業期の松下電器やソニーのような存在である。
「振り返ってみれば戦いの人生だった」という山本氏は76歳になった今もベンチャー企業の経営者と手を携え、世界との戦いに挑もうとしている。
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