時代刺激人 Vol. 138
牧野 義司まきの よしじ
1943年大阪府生まれ。
東日本大震災や原発爆発事故による放射能汚染リスクに巻き込まれた人たちの苦しみ、悲しみに背を向けて、政争、もっと言えば露骨な権力闘争に明け暮れる日本の政治の現状に無関心ではおれない。個々の政治家には優れ者もいるはずなのに、それら政治家の「顔」が全く見えないばかりか、彼らがとっている政治行動は思わず目を覆いたくなるものだ。政治家が本来果すべき役割を果さずに政争に明け暮れる「罪」は重い。
どのメディアも取り上げるので、コラムを読んでくださる皆さんは「またか」と思われるだろう。しかし「時代刺激人」を標榜する生涯現役の経済ジャーナリストの私としても、この政治の現実を避けては通れない。率直に言って、今の政治家がとっている行動は、ただただ呆れるばかり。輝くものなど全くなく、ただ、色あせた政治でしかない。だが、ここで忘れてならないのは、政治が何もしなければ、困るのは現時点では被災者の人たちである、という冷厳な現実がある、ということだ。
長谷川氏「被災者の徒労感が絶望感につながる、放置は許されない」
経済同友会の代表幹事に就任した長谷川閑史武田薬品社長は6月6日の日本記者クラブでの講演で、次代を担うビジネスリーダーの1人として、この憂うべき政治の現状について、鋭い指摘を行ったので、ご紹介しよう。
長谷川代表幹事は「今は、政治家が、トンネルの向こうに明かりを灯すことが大事だ。大震災で被災されている人たちに強まる徒労感、そして疲弊感が、次第に絶望感につながっていく恐れがある。政治家がそれを放置することは断じて許されない」「被災者の人たちの忍耐にも限度がある。遅きに失しても、今そこにある危機に対して具体的な行動をとり活路を見いだすことが政治に課せられた重大な責務だ」と。そのとおりだ。
内閣不信任決議案は菅首相の辞任表明で否決されたが、、、
6月1日の与野党間の党首討論を終えた直後から自民党、公明党による野党の内閣不信任決議案提出で始まった政争、権力闘争劇はみなさん、よくご存じのとおりだ。だが、話の行きがかり上、少し再現しておこう。
きっかけは、自民党執行部が民主党の小沢一郎グループ、鳩山由紀夫グループの間に広がる菅直人首相への反発、菅おろしの動きで不信任決議案への賛成行動を見込めると判断しての行動だった。だが、翌2日の衆院採決前の緊急の菅・鳩山会談で、菅首相が早期辞任を示唆したことで、鳩山グループが「民主党の分裂につながる行動は避けよう」という鳩山氏の意向を受け入れたため、不信任決議案は一転、大差での否決となった。
菅首相の居座り発言が墓穴、一転して期限付き「大連立」の動き
ところが菅首相表明の「一定のメドがついた段階で若い層に責任を引き継ぐ」という退陣時期に関して、菅首相自身が3日の参院予算委での答弁で「何かの条件で退陣するという約束には、全くなっていない」と述べ、事実上の居座り発言となった。このため、鳩山氏の「ペテン師だ」発言に発展し、再び政争に及んだ。そして予想外の民主党内外の反発にあわてた菅首相が、ついに夏場までの退陣に言及せざるを得ない事態に至った。結果は自ら墓穴を掘った形だ。
ところが、今は一転して、与野党間での水面下の手探りによって、大震災対応のさまざまな法案、さらに社会保障と税・財政の一体改革など重要政策の実現に限っての期限付きの大連立に向けての動きとなった。これによって菅首相は完全にレームダック状態となってしまった。何ともお粗末極まりない政治展開だが、まだ先が見えない。
被災者「そんなことしている場合じゃないだろう」発言、どう受け止める?
はずっと放置されたままだった。さきほどの長谷川経済同友会代表幹事が指摘したように、被災者の人たちの徒労感、疲弊感がピークに達し、このままでは絶望感に行きかねない状況なのに、与野党の政治家は1週間を政治空白状態にし、何の手も差しのべていないからだ。
そんな中で、東京電力福島第1原発の爆発事故で避難を余儀なくされた福島県の中年女性がNHKのテレビカメラにぶつけた、内閣不信任決議案の衆院採決の模様を見ての発言は胸を打つものがあると同時に、私自身、政治空白をつくっている政治家への憤りを感じた。その発言は「われわれは着の身、着のままで未だに避難生活を強いられている、というのに、政治家はわれわれの現実をわかっているのか。こんな(悲惨な状況の)時に、そんなこと(政争)している場合じゃないだろう」と吐き捨てるように言ったことだ。
なぜこんなひどい政治になったのだろうか、と思わず考えてしまう
それにしても、今の政治は、どうしてここまでひどい事態に陥ったのだろうか。率直に言って、前の自民党政権もひどすぎた。政権末期のころの自民党を憶えておられるだろうか。権力の座にしがみつくこと、政権を握ることだけに躍起になり、日本という成熟国家が次第に衰退という病気を患っているのに、形ばかりの成長戦略などを掲げるだけ。しかも戦略プランはすべて官僚に委ねて、それぞれの政治家は、いわゆる族議員という形で、それぞれの利権領域の畑を耕すことばかりに政治エネルギーを費やす結果になっていた。
ところが、状況に流されているだけの自民党政治に失望した有権者国民が、政権交代という形で選び、緊張感ある2大政党政治の担い手を期待した民主党もこれまた、ひどかった。政権を担えるように、さまざまな政策を準備し、リーダーとなるべき人材もしっかりと育てているのだろうと、正直、私も期待していたが、現実はご覧のとおりだ。
小沢氏のような旧自民党体質を捨てきれない権謀術数の政治家から労組依存体質の強い政治家までが、口ではマニフェスト(政権公約、政策公約)を武器に政策本位の政党を打ち出し、また政治主導で新しい政治を、と言いながら、現実は前の自民党政権と似たような政党だった。政権交代に過大な期待を抱いた有権者や国民がバカを見ただけだ。
友人の官僚OBの民主党、自民党中堅は脱政党・国家のため意識だが、、、
ところで、民主党中堅の衆院議員で経済官庁OBの友人政治家は「私はいま、選挙区に週末帰って翌週初めに東京に戻ってくる金帰月来の生活を続け、有権者の人たちとの接点を大事にしている。しかし、支持者を含め有権者の民主党への批判、そして私自身への批判もすさまじい。民主党の現状から言えば当然だ。解散総選挙になったら、厳しい選挙を強いられるだろうが、無所属でもがんばる。私にとっては、党利党略に振り回されるよりも、官僚時代に培った国家の危機への対処が政治家になった原点だ」と述べている。
また、同じ友人で、経済官庁OBの自民党衆院議員も、この民主党議員と同じように、「自民党のためというよりも、国家のために自分は何ができるか、そんな発想で新しい政治をめざして取組む」と述べている。旧自民党政権時代、自民党から推されて選挙に立候補した。しかし落選した苦い思い出をバネに、民主党政権の逆風下でもドブ板選挙と言われるほど有権者目線、国民目線で行動する一方で、官僚時代に培った政策意識、構想力などを出して評価を受けて当選した。だから、「官僚時代と同様、身を捨てて、自民党のためというよりも、国のために頑張る」という。
自民党は黙っていても政権転がり込むと見て民主党を利する行動に出ず
こうした志をまだ持つ中堅政治家に、私自身、期待する部分もある。だが、この2人のうち、自民党議員は「大連立構想」が動き出す中で、自民党の本音部分を指摘している。「今の自民党執行部は目先、大震災の被災者対応で民主党と期限付きでの大連立を組み対応する考えでいる。しかし本音は、解散総選挙になれば、自民党が政権奪取できるのは間違いないと見て、民主党政権の延命につながる行動だけは避けたいという打算がある」という。早い話が、政党の思惑がからみ、またまた政争、権力闘争、あるいは政治的な駆け引きで政治空白が続く可能性がある、というのだ。
ただ、この経済官庁OBの自民党中堅議員は「私個人は、今の自民党執行部の体質を見ていると、できるだけ長く野党を続けるべきだと思う。その間に、かつてのような安易に官僚頼みで政策をつくるのでなく、独自の政策ビジョンを打ち出せるような汗を流しての自助努力が必要だ。そうでないと、またまた権力病にとりつかれ、政権復帰したら以前と同じことの繰り返しとなる」と冷ややかだ。彼自身は「官僚時代に、外から見ていた自民党3役とか、政策部会長らは、いざ自民党議員になって内側から見ていて、こんなにひどい政治家たちなのかとあきれるばかり。官僚をうまく活用することは大事だが、議会人としての見識や指導力が必要だ。それがないと、また元の古い政治に戻ってしまう。私はそれを断固阻む」と述べている。
政治が本当に日本を変えられるか、厳しくウオッチするしかない
当面、冒頭に述べたように、日本を襲ったまさに国難とも言える大震災、さらには原発爆発事故の影響で苦しんでいる被災者の人たちへの支援、そして復興への取組みが最優先課題だ。そのためには期限付きだろうが、与野党が政治的な利害を抜きにして「大連立」によって、取り組むべき課題にスピーディに対応してほしい。
私は、日本記者クラブでの長谷川経済同友会代表幹事の講演後の質疑応答で、経済界と政治との関係について、むしろ距離を置き、場合によって突き放すような緊張関係を持った方がいいのでないか、といった趣旨の質問をしたら、長谷川代表幹事は「政治家は、日本の国益をどう高めるかを最優先に考えるべきだ。国会議員である限り当然のことだ。経済界はその国益に沿って、政治にモノ申していく」と述べた。さあ、政治は、日本を変えることができるのだろうか。とても託せる状況でないが、厳しくウオッチしていくしかない。
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