津波被災地で農業再生にチャレンジ 会社組織立ち上げや「植物工場」化も


時代刺激人 Vol. 139

牧野 義司まきの よしじ

経済ジャーナリスト
1943年大阪府生まれ。
今はメディアオフィス「時代刺戟人」代表。毎日新聞20年、ロイター通信15年の経済記者経験をベースに「生涯現役の経済ジャーナリスト」を公言して現場取材に走り回る。先進モデル事例となる人物などをメディア媒体で取り上げ、閉そく状況の日本を変えることがジャーナリストの役割という立場。1968年早稲田大学大学院卒。

 「3.11」の大地震、大津波によって、水田や畑が一瞬のうちに被害にあった農業者の人たちが今、必死で復興に立ち上がっているのか、あるいは茫然自失で何も手つかずのままなのか、ずっと気になっていた。
そんな折、大きな津波被害を受けた宮城県仙台市若林区の現場を見て回るチャンスがあり、3人の農業者に出会っていろいろな話が聞けたので、今回は、それをレポートしよう。結論から先に申上げれば、それぞれの人たちは立場を違えども屈することなく農業再生にチャレンジしつつあった。そのうちの2人は文字どおり、一からの出直しなので、言い知れない苦労ぶりが感じられたが、そのチャレンジ精神がとてもうれしかった。

大津波直撃の仙台市若林区は未だにがれき、車が散乱
 まず、現場の状況を説明しよう。JR東日本の仙台駅から車で20分ほど走ると、若林区の被災現場にたどりつく。かなり広大な若林区を突き抜ける高さ4、5メートルの国道東部自動車道の海岸側と内陸部側がまさに地獄と天国の違いといっていい状況だ。高さのある国道が遮断壁となって大津波の行く手を阻んでくれたのだが、大被害に遭遇した海岸沿いの農地は至るところ、がれきが3カ月たった今も散乱したままだ。

流されてきたトラクターや耕運機、さらにはトラック、乗用車などが未だに田んぼや畑の上に放置されている。荒涼たる世界で、地獄絵を見る思いだ。そればかりでない。随所で田んぼの表面が白っぽくなっている。海水の塩分が乾燥した結果であるのは一目瞭然だが、これが塩害となって土壌を浸食してしまうだけに、農業者の人たちには難敵だ。

複合経営の相澤さんはじっとしておれず早くも野菜に挑戦
 最初に出会った相澤直さんは58歳で、専業農家。若林区種次地区で2ヘクタールの稲作とビニールハウス8棟でチンゲン菜などの野菜生産に携わっていたが、今はがれきが散在し、その整地に追われている。三菱商事の企業ボランティアの助けでビニールハウスの金属パイプやがれきを撤去してもらっていて、「とても1人では対応しきれなかったので、助かっている。本当にありがたい」と相澤さんが述べていたのが印象的だった。

相澤さんによると、「3.11」の時は大地震で父親を連れて近くの避難場所に逃げ込んだ。もう大丈夫だろうと自宅に戻った瞬間に、海岸側から真っ黒い津波が激しく押し寄せたため、逃げ場を失って松の木に駆け上がって命拾い。父親も運よく助かった、という。
相澤さんが見積もったところ、被害総額は農機具やパイプハウス、それに得べかりし農業所得を合わせれば4000万円に及ぶ。じっとはしておれないと、畑のヘドロを取り除き、土も山砂に入れ替えて小松菜のタネをまいたら、最近、うれしいことに芽が出てきた。「放射能汚染地区とは違うので、土壌改良しながら挑戦してみる」と力強い話が聞けた。

タクシー運転手の第2種兼業農家、平山さんも壊滅的な被害
 次に出会ったのが同じ若林区の平山正司さん。タクシー運転手を36年間続けながら1.6ヘクタールの水田で銘柄米「ひとめぼれ」を生産する典型的な第2種兼業農家だ。60歳。仙台市で唯1つの海水浴場、荒浜からそう遠くない場所に住んでいたが、大津波の直撃を受けて2階建て住宅、作業場すべてが全壊した。その荒浜はきれいな松林が続いていたそうだが、今は見る影もない。大津波が食い散らかしたようになってしまっている。

平山さんは「私の場合、タクシー運転手を続け、妻も看護師をしている第2種兼業農家なので、すぐに路頭に迷うということはなかったですが、田んぼや畑が壊滅的な被害で、復興するには相当の時間がかかる。でも、専業農家は一時、みんな頭を抱えた」という。

会社組織で大規模経営化へ、大津波が被災集落の背中を押す
 ところが、平山さんによると、事態打開に向けて、新たな動きが出てきた。平山さんも地区役員を務める集落の会合で最近、今後の対策を話し合ったところ、農事組合法人で協業化している8人に約50人の小規模経営の農業者が加わって、会社組織を立ち上げ、120ヘクタールの農地を大規模経営に切り替えていくことでまとまった、というのだ。

はっきり言って、これはグッド・ニュースだ。大津波が農業者の背中をぐいと押した、と言っていい。今までのように、小規模経営で競い合っていては、いつまでたっても成果が出にくい。それどころか、この大津波でトラクターも耕運機もすべてが押し流され、修理費用だけでも莫大な額にのぼるうえ、ローン負担だけが重々しくのしかかっている。
それならば、会社経営に切り替え大規模化でコストダウンを図ると同時に、経営マインドを取り入れて儲かる農業をめざそうというのだ。災い転じて福となすかどうかは今後のことだ。しかし、これまでのような農協頼み、役所頼みから離れ、自分たちで消費者ニーズに対応するマーケットリサーチはじめ、経営意識の芽生えが出たのは素晴らしい。

高速道の壁で助かった「舞台ファーム」は素早く復興支援で活躍
 次に紹介するのは、運よく東部自動車道が壁になってくれたため、奇跡的に大津波災害を免れた若林区日辺で野菜の生産・加工・流通に取り組む株式会社「舞台ファーム」社長の針生信夫さんだ。49歳のバリバリの中堅経営者だ。地域リーダーの1人でもあり、「3.11」当初から、地域の復興支援に精力的に取り組んで活躍している。

実は、私はもともと、日本政策金融公庫発行の月刊誌「AFCフォーラム」の「変革は人にあり」というインタビュー企画の取材で針生さんに会う予定でいたが、経済ジャーナリストの好奇心もあって、被災地農業の現状を取材しようと考え、いろいろ歩き回った。しかし、率直に言って、この針生さんの農業への取り組みは、若林地区の他の農業者にない先進モデル事例になるので、ぜひレポートしてみよう。

針生さんは大地震時、花巻市からとんぼ返りし食材を無料放出
 その前に、針生さんが「3.11」の時に被災者支援で全力投球したことを少し述べておきたい。針生さんは実は、大地震発生当時、仙台から150キロ離れた岩手県花巻市で講演依頼があり、会場に向かう車の途中で地震に遭遇した。直観的に重大事態と判断し、とんぼ返りで引き返したが、積雪6センチの悪天候のうえ、道路が大渋滞で自宅そばの「舞台ファーム」本社に着いたのは翌日12日午前4時。その間、車の中で映し出されるテレビの映像で大津波に襲われた若林地区の、濁流にのまれる1軒、1軒の家が誰の家かがわかったため、身につまされる思いだった、という。

針生さんによると、「舞台ファーム」は大手コンビニの東北地区の野菜など生鮮・加工食品の拠点バックヤードも兼ねていたので、巨大な冷蔵庫にはさまざまな食材が保蔵されていた。そこで、直ちに大手コンビニの了承をとりつけて、すべて地元の被災者向けに炊き出しなどの形で提供した。最初の3日間、ほとんど無料で配った。東部自動車道の反対側に住む農業者らは何も持ち出せないまま、避難所生活を余儀なくされたので、この支援は何物にも代えがたい贈り物だったことは言うまでもない。

6次産業化を実践、千葉の「和郷園」とともに先進モデル事例
 さて、針生さんの経営が農業者の先進モデル事例になる、というのは、農業の6次産業化を一早く実践しているからだ。ご記憶にないかもしれないが、この「時代刺激人」コラム第3回で、先進野菜生産農家の集まりである千葉県の農事組合法人「和郷園」(木内博一代表理事)を取り上げた。木内さんは文字どおり農業のフロントランナーで、農業の6次産業化のモデルにもなっている。

今やこの6次産業化は、農業の現場では大きな広がりを見せている。第1次産業の農業が主導して、第2次の製造業、第3次の流通・サービスにまでかかわりを持つという点で、3つを足しても、掛け合わせても6になるため、正しくは「農業の6次産業化」という。
針生さんの場合、実家が15代も続く農家で、「舞台ファーム」というユニークな名前の株式会社を立ち上げ、野菜生産に始まってカット野菜の製造工程にかかわり、さらには仙台市内で野菜の直売所に出店すると同時に、プロ野球の楽天イーグルスのホームグラウンド野球場や中央競馬会の東京競馬場などで直営の飲食店を出して加工野菜の調理にもかかわるやり方だ。大手コンビニに生鮮あるいは業務用野菜を出荷しているからすごい。

若林区の若手中心に「未来農業研究会」立ち上げ時代先取り
 しかし、私がここで、針生さんを紹介したいのは今回の東日本大震災での復興に際して、極めて意欲的な取り組みをしていることだ。1つは、被災地になった若林地区の40歳以下のやる気のある若手の農業者15人を束ねて「未来農業研究会」を最近、立ち上げた点だ。この研究会では毎月1回、外部講師を呼んで太陽光パネル、新電力システムのスマートグリッドから塩害など土壌改良への新たな対応など幅広く勉強する。

針生さんは「3.11以前の豊かな若林区には戻ることは難しいです。それよりも時代の先を見据える手がかりを研究会で得て、いい意味での問題意識と理論武装を培おうというのが狙いです」という。研究会に参加予定の若者たちは、針生さんの問題提起に呼応して、次代の新農業を見つけようと意欲を持ち始めた、というから、うれしいことだ。
実は、針生さんは10年前に当時、20代の若林地区の若者2人に農業ベンチャービジネスを働きかけ、有限会社六郷アズーリファーム、仙台スカイファームという2つの会社の大株主として今もバックアップしている。そのうちの1人、六郷アズーリファーム社長の菊地守さんは今回の大津波で野菜畑、それに実弟を失ったが、必死でがんばっており、針生さんはさらに支援を続けるという。

大津波で弱かった露地野菜、ハウス栽培に代わり「植物工場」めざす
 それと、この針生さんの今後の取り組みで素晴らしいと思ったのは、時代の先取りもあるが、6700万円をつぎ込んでソーラーパネル付きの植物工場を建設する計画だ。今回の大津波で、露地野菜生産、ハウス園芸の野菜生産がダメージをうけたので、ガラス張りの頑丈な、しかも太陽光を活用しての野菜生産にチャレンジし、若林地区での新しい野菜生産モデルにしてみたい、というのだ。

今、被災地の農業者が抱える課題は、山積している。でも、仙台の有力農業地域、若林区でこういった形で、新たなチャレンジの動きが起きてきていることは、本当にうれしいことだ。ぜひ、応援したいと思う。
私の友人で、外食産業の日本フードサービス協会専務理事の加藤一隆さんが5月の連休を利用して東北の被災地の農業を見て回った結果を踏まえ「外食企業、それに消費者が生産者支援のため、消費者が安定的に消費すると同時に、外食企業も国産野菜をしっかり購入の約束ができるようにすることが大事かもしれない」と述べていたのは、とても大事なことだと思った。

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