自らつかんだ転機!「売り上げを今から10倍にする企業にします」の決意
株式会社エイチーム
代表取締役社長
林 高生
最終学歴は中学卒業の男が、起業していまや世界に打って出る会社へと成長させた。「やりたくないことを書くことでやりたいことが明確になる」。ITのベンチャー企業として成功をおさめる至った戦略に迫る
新井まず初めにお伺いしたいのですが、エイチームは一言で言うとどのような会社でしょうか?
林エイチームはパソコンとか携帯電話でインターネットを通じて暮らしを便利にするサイトや、スマートフォンでゲームアプリなど2つの柱を展開する会社になっております。
株式会社エイチーム代表取締役社長 林 高生は、1971年岐阜県で生まれる。多治見市立多治見中学校卒後、高校へは進学せず、様々なアルバイトを経て1997年個人事業としてエイチームを創業。2000年有限会社エイチームを設立。代表取締役社長に就任。2004年株式会社に組織変更。現在に至る。
新井林社長の最終学歴を見ますと、中学卒業となっておりますが、失礼ながらなぜ高校には進学されなかったのでしょうか?
林進学しなかったというよりは、普通の公立高校の受験に失敗したということなんですけど。
諸星15歳ですよね。日本の社会というのは、選挙権もなければ車の運転もでいない。お酒も飲めない。家を買う事も出来ない。ほとんどできないですよね、15歳の少年少女には。居場所がないという感じは、45歳を過ぎてあの頃を振り返ると、その数年間どうでした?
林寂しかったですね。高校を舞台にしたドラマをやっていると、うらやましかったりしましたし、寂しかったですね。
諸星窮屈ではなかったですか?
林自分でお金を稼げるようになるという喜びの方が大きかったです。
諸星ご自分が振り返ってみて、結構個性的なお子さんでした?
林おもちゃを分解して中の仕組みを知ったり、家電製品を分解して仕組みを知ったりだとか、父親が陶芸家だったという事もあって、母親もそうなんですが、毎日、粘土、土で色々なものを作ったり、理系っぽい子ではありました。仕組みを理解するのが好きで、家が陶芸だったので、手間うちの轆轤がたくさんあるんですね。長い金属のパイプとか、そういうのに水を流したりして、水が目的地まで行くような仕組みを作ったり。庭いっぱいに、石が当たるとくるくる回って向きが変わって、ここに水が落ちるとか。そういうのを作るのが大好きだったですね。知識探求がすごく強いですね。
諸星本はちゃんと読みました?
林技術書ですね。パソコンをはじめて覚える時も説明書を一生懸命読んで、インターネットがなかったので、プログラミングに関する知識は本でしか吸収できなかったし、数も少なかったので。本も数が少なく、町の田舎の本屋さんで関連する本があれば、必ず購読したり立ち読みしたり、どん欲に知識は吸収していました。
小さなころから知識探求心が旺盛だった林。しかし、高校受験は失敗。中学卒業後はどのように生活していたのか?
林母親が喫茶店をはじめまして、喫茶店を僕が朝から手伝ったりして、その後新聞配達とか住み込みでその配達とか、集金とか、色々な地元のソフトハウスでアルバイトをしたりとか。一回学習塾を作ったこともあるんですけど。
諸星学習塾?何を教えるんですか?
林普通に勉強を。僕は高校生を教えると危ないので、低学年とか小学生、中学生。仲のいい、勉強のできる僕のお友達も誘って、塾を作って。
諸星その時から人を使って稼いでいたというわけですね。
林19歳の時ですね。
新井塾の経営はうまくいったんですか?
林最初はうまくいかなくて、生徒さん1人しか集まらなかったんですが、最後は数十人集まって、僕は最初アルバイトしながら先生たちの給料を払ったり赤字を補填していたんですが、最後は働かなくても上手く回るようになって、最後友達にあげたんですけど。
諸星それを辞めようと思った理由は何ですか?
林疲れちゃって。塾は僕は向いている仕事じゃないなという事もありましたけど。
新井アルバイトで塾の先生の給料を払っていたというのは、どれだけアルバイトで稼いでいたんですか?
林金額は忘れましたけど、朝から引っ越し屋さんに入って、塾に戻って、夕方から先生の送り迎えして、夜は地元のソフトハウスでプログラミングをして、また朝から引っ越し屋さんでアルバイトして、製本屋さんでアルバイトしたりとかやってましたね。僕ほとんど手元にお金なかったですね。
新井25歳の時に、今の会社の前身となるエイチームを立ち上げたわけですが、この立ち上げるきっかけは何だったんですか?
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