生活の代弁者として提案するアイリスオーヤマのアイデアの源泉とは
アイリスオーヤマ株式会社
代表取締役社長
大山 健太郎
プラスチックがまだ新素材としてもてはやされていた頃、業界で初めて透明なプラスチック、ポリプロピレン樹脂を開発したのが、アイリスオーヤマ株式会社。メーカーベンダーという新しい業態を提唱した代表取締役社長 大山健太郎が語るものづくりとアイデアの源泉とはどのようなものか。グローバルな視点から語る。
蟹瀬そして別の道へ進まれるのですね。
津島そうなんです。この後、大山さんは19歳で代表に就任します。1964年、大山ブロー工業所代表に就任します。1966年、自社開発商品第一号、プラスチックブイ開発。1971年、大山ブロー株式会社に法人化、代表取締役社長に就任。そして1972年、仙台工場を建設ということです。
蟹瀬当時ですと、当然大学進学ということも視野に入れてらっしゃったと思うんですけども、19歳でこの家業を継がなきゃいけないっていう、これはどういうことからだったのですか。
大山ちょうど私が高校3年のときに、父親が胃がんにかかりまして、それでもうお医者さんのほうから1年はもたないだろうと、そういう宣告を受けまして、8人兄弟でございますし、そんなに豊かな環境でもないし、どうあれ私が大学行ったり、あるいはサラリーマンして家族を養うってことは現実問題としては不可能でございました。
そういうことで、父親にしてみれば、まさか自分ががんだということは知らせていませんし、本人もそう思いたくない。ですから当然、私が進学することを期待していましたし、ですから勉強しつつ、その父親が亡くなった後のことを想定しながら、いろいろ仕事のお手伝いを隠れながらさせていただいたということでございますね。で、翌年、私が高校卒業した7月に、43歳という若い年だったですけれども父親が亡くなりまして……。
蟹瀬40代でしたか?
大山はい。そういうことで、私も19歳になったばかりでございまして、お葬式終わって、そして取引先にごあいさつ行くと、周りからも「かわいそうだ」「応援してやろうよ」ということで、あたたかくバックアップいただいたのですけど、ですけど商売ってそんな甘いものじゃないですね。
蟹瀬全く経験のないままですね。
大山そうなんです。ですから……。
蟹瀬しかも他にやりたいことも当然おありだった頃でしょうからね。
大山ですけど、結局選択肢がなかったですからね。もう家業を継承するしかないし、そんなに資本力もない、技術力もない、知名度もない、何があるのだろうと考えたときに、私には唯一若さしかないのではないかということで、全てのお客さんに行ったときに、本来経営っていうのはビジネスっていうのは儲かる商売をやって儲からない商売はやらないというのが鉄則なのですけど、私にはその選択肢がなかったのですね。ですからなにしろお客さまにイエスで、全てお答えすると。
蟹瀬そうすると無理難題も来るでしょう?やっぱり。
大山そうなんですよ。当然儲からない商売しかこないわけで(笑)。ただ、その当時、大学受験で夜の2時ぐらいまで勉強していましたので、ですから夜遅くまで勉強すること自体に対する苦痛はなかったわけでして、その当時は朝の8時から夜の8時ぐらい、12時間労働で会社は動いていたのですが、社員の方が帰った後、自分が忙しい仕事を夜遅くまでやるということで、勉強はやったからすぐ成績に直結しませんが、仕事はやった分だけ確実に付加価値は上がりますので。
蟹瀬なるほどね。そしてその後、このプラスチックのブイというのを開発されて、これが一種のビジネスとしては起爆剤になったわけですよね? このへんの経緯というのを教えていただけますか?
大山そうですね。私はやむをえず家業を継承したわけですが、一生この下請けのおやじでは終わりたくないという、そういう志を強く持っておりまして、ですからやる限りにおいてはメーカーとして自立をしたいということでございまして、プラスチックというのは本当にその当時は金属から木製品から竹製品から素材の転換ということで、非常にビジネスチャンスがあったのです。ですけど、小資本だし技術力も、というものがありましたので、産業でいえば第一次産業、比較的オールドなビジネスですけど競争環境は少ないということで、養殖用のプラスチックのブイを第一号の自社商品として開発した……。
蟹瀬面白いところに目をつけられたなと思って、あの当時、ブイってはガラスだったですよね?
大山そうなんです。あるいは竹のいかだで養殖していたのです。
蟹瀬そうでしたよね。
大山ですからそういう点ではプラスチックは腐らないし、ぶつけても割れないと。ですから素材革命という形で、特に当社はスタートしたのは養殖真珠の……。
蟹瀬真珠の養殖の?
大山そう、ブイだったわけですけど、おかげさまでトントン拍子に伸びたのですが、真珠も供給過剰になりまして、市場が暴落して。
蟹瀬そういうことがありましたね。これは本社を大阪に置いておいて、仙台に工場を作ったっていうのは、やっぱりそういうことと関係があるのですか?
出演者情報
企業情報
関連コンテンツ
カテゴリー別特集
リンク