初の宅配ロッカーを生む「お客様にサービスしかできない」24時間顧客主義
株式会社フルタイムシステム
代表取締役
原 幸一郎
目まぐるしく変化する世界経済と地球環境、かつてない変化とスピードの時代に我々は、どう向き合うのか?時代を牽引する賢者にその答えを聞く。ターニングポイント、賢者の選択。宅配便年間取扱量32億個。不在時でも受け取れる宅配ロッカーで成長を続ける株式会社フルタイムシステム。
蟹瀬こうして拝見すると至れりつくせりって感じがしますけれどもね。これはあれですか。順番にいろんな形で思いつかれて行ったんですか。
原そうですね。思いつきというよりもセンターに寄せられた声を反映していったと。
蟹瀬お客さんのニーズが。それを実現していくと。
原もともと僕が管理会社をやってたものですから。管理会社が困ったら困るなということよく分かっていますから。そっちをサービスに切り替えていったと。
蟹瀬いろいろと不満の声もあるんでしょう。
原クレームっていうのはやっぱりこう送ってきたのは、郵便局のですね。小包は受取が出来ないの何でやと。こう来たわけですよ。
蟹瀬石田はい。
原滋賀県の方でしたけれどもね。
それを僕は聞いて、そんなことないでしょうと言ったんですけど。平成3年の頃でしたか。それで調べたら法律があるわけですよ。省令があってですね。宅配便は、手渡しか原則、判子かサインがなかったらいかんと。こうなってる。これはいかんと思ってですね。本社の東京にバーンと着いてですね。郵便局、よし行ったるでと、乗り込んでいきました。
蟹瀬もうほとんど話を聞いててもラグビーの試合をやってる雰囲気が漂ってますけどね。
原3年かかりましたけどね。
蟹瀬そうとうご苦労なさったでしょう?
原これは大変でしたわ。これはもう本当に苦労しましたな。郵政省さんの法律改正っていうのはとんでもないことです。当時の郵政省さんですから。宅配便っていうか小包というのは、溜まってるんですよ。僕もばんばん写真を撮りに行ったりですね。溜まってる写真、こういうモノですよとか。ここで、こういう困った声がありますよとかですね。いっぱい作り上げましてですね。これ本当に事実のことばっかりですから。それを合わせて役所の方にお願いに行ったと。
蟹瀬どんな反応だったんですか?
原もう初めは、、、、
蟹瀬何しに来たんだお前はと。
原大阪弁で何言うてまんねんと。それでいかんと思って本社も東京に移して、まあ、徐々に変わってきて段々上の方も会うてですね。分かってきて宅配物の促進の委員会っていうのを作っていただきまして。こういう現状や、こういうことや、こういうこやっていうのをですね。いろいろ説明させていただきました。
そこで、まあ補助金もちょっと頼みますよと。補助金は何ぼでも良いんですけど。補助金を貰うということは、その前に郵便ポストがあってね。3階以上の建物には、1000円の補助金が出たのをチラッとね。やってるうちに教えていただいた。よしこれやと。ロッカーもやったれと。それをパッとお願いしたんです。その委員会で2回言うてですね。必ずこれは記憶に残してくださいよというてですね。そしたらちゃんと1ボックス2000円ですけどね。つけていただいた。これは、国がロッカーを認めた。こういうことじゃないですか?
蟹瀬その後押しをしたのは、時代の流れというか変化というか、そういう需要が大きくなってきたというのが背景にあるってこと……。
原それから途端に大手さんが。
石田はい。
原大手さんとかね。三井さんとかがガーンといただいたものでね。その頃、宅配便もこうグワーっと伸びてきよった。おかげで省令が変えていただいて、うちから出るくらいのレシートなんですけども。これは細かく出るものですから。どこのロッカー、どこで何時何分入ったとか。そのレシートが受取なりますよということで全国に省令を流していただいた。
蟹瀬今はどうなんですか?そういう宅配ロッカーって手掛ける企業は当然出てくるわけじゃないですか。どのくらいあるんですか?
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