娯楽の常識をくつがえす「パチンコはスーパーやコンビニと同等」に注目せよ!!
株式会社ダイナム
取締役会長
佐藤 公平
1967年、佐和商事株式会社として、パチンコホールをオープン。1987年、社名を株式会社ダイナムに変更し、業界最大となる400店舗のチェーンストアを展開している。創業から50年、現在のダイナムを率いるのは取締役会長、佐藤公平。パチンコを誰もが安心して楽しめる日常の娯楽へ。佐藤が目指す、「街と共に生きるパチンコ」とは?
福井本日のゲスト、株式会社ダイナム、取締役会長、佐藤公平さんです。どうぞ、よろしくお願いいたします。
宮川よろしくお願いいたします。
佐藤よろしくお願いいたします。
福井まず始めにお伺いしますが、ダイナムはどのような理念を掲げられていらっしゃるのでしょうか?
佐藤「信頼と夢を育む百年の挑戦」という理念を掲げております。
宮川100年、大変長い……。
佐藤はい。100年という意味は永遠という意味ですね。
宮川そのあたりのところを、じっくりお伺いしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
佐藤よろしくお願いいたします。
福井冒頭のVTRでもご紹介しましたけれども、ダイナムは2017年で50周年を迎えられました。この50年というのは、どういうふうに歩んでこられたのでしょうか?
佐藤そうですね。ちょうど50年前といいますと、まだ父がいて、葛飾区に2店舗のパチンコ店を経営していたのですね。しかし、その数年後に他界しまして、そのあとは、今は相談役の兄が24歳のときに、仕方なく継いだということがスタートで、その後、兄が本格的に会社を展開していくという過程の中で、ダイナムという社名に変えました。そこからだんだん大きく展開を始めたということです。
福井佐藤会長のプロフィールを拝見いたしますと、1995年に株式会社ダイナムに入社され、2000年に社長、そして、2015年に会長に就任されていらっしゃいますよね。これまでどのような取り組みをされていらっしゃったのですか?
佐藤そうですね。兄がチェーンストア経営に大きく発展するための基礎を作ってきたということで、そのあとを引き継いで、本格的にチェーンストア企業として発展させるために、コツコツと行ってきたということですね。
宮川チェーン展開をするという発想はどういうところから出てきたのですか?
佐藤これも兄が流通の世界に足を踏み入れて、大学を卒業したあとですね、流通がいかにチェーンストア経営というものを取り入れて、発展していくのかを見てきて、これと同じようにパチンコホールでもできないだろうかという発想がまずあったんですね。
でも、当初はいろいろな規則が、がんじがらめにありまして、パチンコホールの、都道府県別で。それがあるために、全国展開は非常に難しいのではないかという思いがあったのですが、でも、なんとかやってみたいということでスタートしてきたということです。
財務の考え方、出店の仕方、組織など、そのなかで採用というのが大きいんですね。「新卒採用を取り続けなさい、将来の会社のために……」、それはダイナムも行ってきました。
当初は大変苦労して、大卒採用を始める二十数年前は残念ながら、社員がアパートを契約する際に、「職業は何だ? パチンコホールか。じゃあ、ダメだ」と言われた時代もあったんですよ、残念ながら。
ですから、四大卒はパチンコホールには入らない。本人がいいと言っても、親御さんがダメだと言うケースが多くて、非常に苦労したんですけれども、これは企業を健全化、成長発展させていかなければいけない、これは従業員のためにも。
それで、今まではそういう事例はたぶんないのではないかと思うほど、変わりました、大きく。
佐藤地方の郊外、商圏人口でいうと、5万人程度の非常に安く土地をお借りできるような場所、そこに投資を少なくしていくということがずっと続いてきたわけです。ダイナムの建物の特徴は木造なんですね。これはなぜ木造かというと、これも財務的な考えで、減価償却が20年で済むんですね。鉄骨ですと40年、だから、償却が早く済むということで、健全な財務状況を確保できるという考えなんですけれども。
もう一つは、その地域に溶け込みやすいような共生しやすい店構え、そういう考えで作ってきています。
ダイナムの基本的な考え、志、大きな目標というのは、その店舗のある地域にとって、なくてはならない存在になりたい、言葉を変えると、地域のインフラになりたい。
そんなことをパチンコホールでできるのかなということを言われそうですけれども、まじめにそう思っているのですね。
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