「個性を磨け、愚痴を言うな」 ゴッド・ファーザーからの遺言
東京大学
野田一夫
戦後の日本経済をけん引した数多くの名経営者らと60年に渡り対話を続けた経営学者、野田一夫氏。
起業家のゴッド・ファーザーと呼ばれる名伯楽である。卒寿を迎えた今、熱いメッセージを残した。
「東大と違って良かったねえ。キャンパスはきれい。芝生もちゃんと刈ってある。女子学生も多い。冗談を交えながら、滑らかな口調で講義ができるようになった」
東大の暗い研究室から解き放たれ、野田氏は水を得た魚のように活動を始めた。フルブライト留学生の先輩から土産にもらったピーター・ドラッカーの『The Practice of Management』(日本語版は『現代の経営』)を手にしたのもそのころだ。日本に初めてドラッカーを紹介し、マサチューセッツ工科大学への留学の切符を手にした。
「本当に運が良かった。米国では大学らしい大学に身を置くことができた。エコノミストの連載など帰国後はいい仕事にも恵まれ、多くの経営者に会えたのだからね」
野田氏は関西に住んだことはないが、なぜか阪神タイガースファンである。もう勝ったと思いナイター中継を見るのをやめて寝てしまったら、朝刊を開くと負けている。
「好きになったものは仕方がない。愚痴を言いそうになるが、ここでもぐっと我慢しているんだ。おやじに聞かれたら叱られるからね」
阪神タイガースを引き合いにして、冗談めかしていうが、自分の境遇やまわりの環境をとやかく愚痴るのは相当、嫌いらしい。また哲夫の教えのように、その時「問題だ」と思えば、その場で直言し、あとでくよくよしない。
「昼間に言うべきことを言うから夜寝るときに思い悩まない。僕は夜寝られないということなんてない。長生きの秘訣はよく寝ていることかもしれない。でも誰にだって直言するから、敵も多かった。でも『この野郎』と思っていたやつもみんな死んじゃった」
受け継がれた父からのDNA
「おかしなタイトルだろう」と卒寿の野田氏は快活に笑う。『悔しかったら、歳を取れ!』と刺激的なタイトルの本を出した。そして哲夫から引き継いだ野田家のDNAは次の世代に引き継がれているようだ。
「長女は亡くなったが三男二女に恵まれた。その中で僕と一番似ているのは三男。ある外資系会社に入ったが、入社の日に『社長は最高。でも役員に生意気で気に食わないやつがいる』と言うような子供だ。案の定、その役員に目をつけられ、厳しい仕事を押し付けられたが、その部門を黒字にしてから辞表をたたきつけるような奴だ。僕は気に入ったね」
そして、三男の豊加氏はホテル、レストランの運営会社「Plan・Do・See」を創業し、順調に業績を伸ばしている。社名は野田氏が命名した。子供らも哲夫に見守られ育ったという。哲夫の生き様は子供の一夫氏に投影し、そしてその子らに引き継がれた。
1927年(昭和2年)生まれが今年歳になった。各界で活躍した昭和2年生まれを集め「昭二会」をつくったのが野田氏である。
「堤清二、城山三郎、植木等らは、みんな昭二会。みんないいやつだったがみんな死んじゃった。野田ちゃん早く来ないかなあ、とあの世で僕を待っている。死なないとあいつらに会えないし、おやじにも会えない。いつ死んでも満足だ」
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