「やっぱり夢を発信する企業にしたい」。通信販売にかけた男の気迫。
株式会社ジャパネットたかた
代表取締役社長
高田 明
「ショッピングはエンターテインメント性を持たなければ駄目だ」。観光写真撮影販売からスタートし、通信販売事業に乗り出し年商1,000億円を超えるまでに至ることができた理由がどこにあるのか。自らスタジオを作り番組製作にまで乗り出した高田明が語る販売の秘密とは?
高田兄弟でやってますから、将来を見たら、それぞれ兄も私も弟も独立したほうがいいのではないかとみんなで話しまして、その当時弟の会社も独立、兄はもう平戸でやってますから、私も会社を作って、そして独立しました。もう21年目になるんですけどね。
蟹瀬ソニーの特約店になったというのは、一つのターニングポイントというお話も伺いました。
高田ええ、それはやっぱりありました。カメラだけではなくて、当時パスポートサイズというビデオカメラが……。あれを見たときにちょっとまた感動しまして、これなんとか扱わせていただきたいと思ったですよ。それで佐世保営業所ってもうなくなったんですけども、そこに飛び込んでいきまして、「ソニーの商品を扱わせてほしい」と言いましたら、やっぱりソニーショップとかにはしていただけないんです、実績も何もないですからね。で、「特約店でなさいますか?」という話になりまして、「じゃ、特約店でお願いします」ということは、ソニーの商品を扱わせていただけるようになりました。それから2年ぐらいで訪販しましたね、お子さんがいらっしゃるお家とか。
蟹瀬訪問販売?
高田はい。ビデオはすごくいいんですよ。それは、畳に上がりこんでお子さんを写してテレビに映してあげるんですね。
蟹瀬それを見せる、「ああ、これ欲しいな!」と思う訳ですよね?
高田ええ。で、撮ってあげて再生したら、お父さんお母さんもう満面の笑みですよ、自分のお子さん映ってらっしゃるってね。それで販売して1ケ月に、当時19万8,000円ぐらいのビデオが、私が三川内(みかわち)でやったときに100台ぐらい。これ100台というのはすごかったんですよ、やっぱり。
蟹瀬ですよね。
高田ちっちゃい店でやってましたから。
蟹瀬ええ。
高田それで九州でやっぱり2番か3番に当時ならせていただいたんですね、ビデオの販売で。
蟹瀬その頃どうなんですか、その仕事をしていく上で感じられたことというのは?
高田当時、レーザーディスクのカラオケも出てきまして、じゃあカラオケ扱ってみたいと。たら売り出しではカメラとビデオだったけど、今度はカラオケをポスティングしたら、売上の3割ぐらいはカラオケが売れるんですよ。だから新しいものをやっぱりお客さん求めていらっしゃる、これはちょっと人気出てくるのかな、というものを、積極的に取り込んでいく。
蟹瀬そこへガーッとエネルギーを集中してしまうと。
高田そこに集中してしまうということですね。
1990年、ラジオショッピング・通販事業を開始します。1994年、テレビショッピング事業を開始します。1999年、『株式会社ジャパネットたかた』に社名変更。そして2000年、カタログ通販事業開始、CSデジタル放送委託業者の許可を取得しました。
蟹瀬いよいよ通信販売という言葉が出てきましたけれども、まずは最初ラジオショッピングからやられた?
高田そうですね。
蟹瀬きっかけというのはどのあたりから?
高田それも先ほどのお話の続きになるんですけど、お店を三川内という所につくりました。そこは4,000~5,000人の町ですから、その近くに早岐(はいき)とか黒髪(くろかみ)とか佐世保市の中の1万人ぐらいいる町があるんです。そこに今度お店を出していたんですよ、川棚(かわたな)とかですね。
そこでオープニングのときにラジオカーを長崎放送さん来ていただいて、ちょっと宣伝をしゃべるんですね、「今日オープンしてますよ、来られたら100名さまフィルム5円でおあげします」とか言ったら、ワーッと聞いた人は来られますよね。そのときにラジオでちょっとカメラの紹介をするとか、そういうのがきっかけでラジオをうまく、本当に活用させていただいて。そういう中で長崎NBC放送が「年に2回ラジオショッピングというのを局の提供でやりませんか?」というお話がありまして、ちょっとやってみたんです。
蟹瀬売れました?
高田売れました、当時はですね。やっぱり小さいお店で、やっぱり何百万しか売れないお店で、カメラでも月に店頭で販売というのは50台、100台売るのは大変なことですよね?
蟹瀬ええ。
高田それが5分間で、当時1万9,800円の富士フイルムのカメラだと思うんですけど、それが50台ぐらい電話がきまして、臨時のフリーダイヤルを3回線ぐらいお店に引きまして、そしたらかかってきて、それでびっくりしまして、一応100万ぐらい……。
蟹瀬やっぱりマスコミの力はすごいと。
高田ええ。これだな、ということはずっとそこから感じ始めていたんですね。
蟹瀬だけど、その長崎放送では年に2回しかない。
高田そうなんですよ。商売になりませんね。
蟹瀬どうなさったんですか?
高田それは本当に、段階を追ってお願いしてまいりましたね。それを「月に1回にしてください」と言うまでに、やっぱり何年か掛かってきましたし。そうするうちに、やっぱり地域も長崎で増やしてきたら、待てよ、長崎だけじゃなくて、これ全国にできるんじゃないかなと、ちょっと思ったんですね。じゃ、動いてみようと。
蟹瀬ラジオの電波、届きますからね。だけどどうなんでしょうか、ラジオ、ものが見えないものを、要するに聞いてる人は見えないわけですね? それを売らなければいけない。それなのに、そんなに売れるというのはどういう理由だというふうに分析されたんですか?
出演者情報
企業情報
関連コンテンツ
カテゴリー別特集
リンク