普通の男が大胆な決断! 人生のスイッチを捉えて上場企業の社長に
株式会社LIFULL(前・株式会社ネクスト)
代表取締役社長兼最高経営責任者
井上 高志
東京都中央区に本社があるネクスト、不動産情報をインターネットで提供している。リクルート出身の井上は不動産情報業で起業、紙媒体の情報掲載料が1件あたりだったのを改め1社あたりにして、物件情報を掲載し放題にした。これが受け、2005年には掲載情報が日本一となり、翌年東証マザーズに上場、現在では不動産だけでなく、暮らしのコミュニティーサイトLococomを運営、売上高47億円を見込んでいる。
井上高校生ぐらいのときに、兄が学区内で一番頭のいいと言われる高校に進学して、私2番目の学校だったんですね。で、兄が慶應義塾大学ストレートで合格して……。私は青山学院大学だったんですけれども、なんとなくちょっとずつ差がつけられているぞという感じがあったので、同じコースで追い越すのはちょっと厳しいかもしれないと。じゃ、別ルートから独立起業なんていうのあるかもしれないぞ、いうのはなんとなく、憧れ程度ですけど。
蟹瀬ぼんやりと、でもそういう自分で事業を興すことによってお兄さんを抜ける。
井上はい。
蟹瀬アルバイトはされていたのですか?
井上中学時代バスケットやっていたですけれども、全然、私背が低くて160センチなくて、高校入ってもレギュラーにもなれない。少年野球と一緒ですね(笑)。で、結局帰宅部になりまして、何もしないというのもなんなんで、じゃあアルバイトしようかというので、学習教材を訪問販売するような歩合制のアルバイトやったりとか、喫茶店でウェイターやったり……。
蟹瀬意外ですね。だって引っ込み思案であんまり出たがりではない人が、歩合制のその営業をやったり。そこでピンとくるものってありました?
井上ありましたね。やってみればできるんだというね(笑)。
蟹瀬僕も子どもの頃から親父にそう言われて、やれないままきています(笑)。
井上(笑)私、母親に「おまえは大器晩成だから、大器晩成だから」って自信を付けられるセリフはずっと言われていました。
1986年、青山学院大学経済学部に入学します。1989年、人生のスイッチがONになります。1991年、青山学院大学経済学部卒業、リクルートコスモス株式会社入社、分譲マンション・流通物件仲介を担当しました。
蟹瀬青山学院大学経済学部を選んだ理由というのは、なんか具体的なものがあったんですか?
井上はい。これはやっぱり具体的なものはなくて、理科系は全く苦手だったので数学とか全く分かりませんから理系はないなと。で、文系の中で、別に弁護士になりたいわけでもない、国際政治学やりたいわけでもない、と一番つぶしの効く経済(笑)。
蟹瀬消去法でここかなと。井上さんの大学生の頃はバブルの時代ですよね?
井上そうですね。
蟹瀬なら何も考えなくても……。
井上何も考えてない、ちゃらんぽらんな。
蟹瀬なんか生きていける。
井上はい、調子のいいやつでした。
蟹瀬だけど高校でなんとなくお兄さん抜くためには起業しなきゃいけない、大学へ進んだ、大学ではやっぱりそれの下地をつくるというか、そういう気持ちというのはなかったんですか?
井上青山学院に入ったら、遊びの得意な友達がたくさんできまして、もうそんな起業するなんて野心はどこかに吹っ飛んでしまいまして、だらだらと過ごしていました。
蟹瀬志は?
井上なかったです。
蟹瀬消えてしまった?
井上はい。ですから人生がずっとOFFなまんま、21歳までずーっと流されるまんまきてしまいました。
蟹瀬ところが人生のスイッチがONになる。1989年、何があったんですか?
井上二つきっかけがありまして、まず就職活動でスイッチがONになったんですけど、21年間ちゃらんぽらんに生きてきた自分が、就職活動をしていて他の大学生と比較される身になるわけですよね。初めて自分ってこんなにイケてないやつだったんだっていうことを自覚しまして。
蟹瀬イケてないというのは具体的にどういうことなんですか?
井上何も志もないし、一生懸命努力もしていないし……。人に何か自慢できる、成し遂げた!と言えるものもないし、これからこんな状態で社会に出て本当に自分の人生、これでいいのだろうかということを結構真剣に考えまして、これ過去に対する後悔ですね。
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