工程管理やデータ駆使で農業に挑戦 脱サラ東海大OB3人が見事に成長経営


有限会社大崎農園
代表
山下義仁

時代刺激人 Vol. 258

牧野 義司まきの よしじ

経済ジャーナリスト
1943年大阪府生まれ。
今はメディアオフィス「時代刺戟人」代表。毎日新聞20年、ロイター通信15年の経済記者経験をベースに「生涯現役の経済ジャーナリスト」を公言して現場取材に走り回る。先進モデル事例となる人物などをメディア媒体で取り上げ、閉そく状況の日本を変えることがジャーナリストの役割という立場。1968年早稲田大学大学院卒。

私が現場取材して思わず「これは素晴らしい」と思った農業チャレンジの事例があるので、ぜひコラムで取り上げてみたい。

私が現場取材して思わず「これは素晴らしい」と思った農業チャレンジの事例があるので、ぜひコラムで取り上げてみたい。大学生時代の仲間3人が、それぞれ別々の道を歩んでいたサラリーマン生活に区切りをつけて再集合し、未体験の農業、それもハウスや露地での野菜栽培にチャレンジして今年で12年になるが、今や収益力ある企業にたくましく成長している事例だ。
今、農業にビジネスチャンスを求めて新規就農するさまざまな脱サラ組の人たちが急速に増えている。正直言って、農業現場をよく歩く私でも、すべてのチャレンジ例を知っているわけでないので、比較評価が難しいが、共通して言えるのは、今の農業の現場経営に欠けているものが何なのかを見抜き、独自の強みづくりにチャレンジしていることだ。

脱サラチャレンジの共通点は農業現場に欠けている
独自経営手法による強みづくり

端的には、「マーケット調査をベースにした顧客ニーズ対応の売れる農産物づくり」は当然だが、「農協系統出荷を通じた卸売市場流通に頼らず、独自のバイパス流通ルートをつくるとともに農業生産加工、場合によっては川下の販売現場までの、いわゆる六次産業化を手掛ける、川上から川中、川下までの一貫経営」、「IT(情報技術)を駆使して共通の品種モデルをつくり、全国生産ネットワークでリレー生産する仕組みを構築して切れ目なく年間供給体制を確立するとともに、農産物のブランド化、マーケッティング力を生かす経営」、さらには「生産や品質、作業などの管理をデータ化して、いわゆる『見える化』によって工程管理も行くことで合理的、効率的な経営をめざす」など企業経営手法を大胆に取り入れる手法が1つの流れだ。
これ以外に、自然環境に配慮してエネルギー源もバイオエナジーや太陽光などを活用する一方、有機質の肥料などに工夫をこらして安全・安心の農産物づくりに徹する農業経営も大きな流れになっている。

鹿児島の大崎農園は勘や経験に頼らず
製造業の経営手法で法人企業と契約生産

今回取り上げるのは、前者の企業的な経営手法を導入したケースだ。具体的には鹿児島県志布志市に隣接する曽於郡大崎町で有限会社大崎農園を経営する東海大海洋学部出身の山下義仁さん、中山清隆さん、佐藤和彦さんの3人の取組みだ。
陸の農業とは無縁の海洋学部卒業の学士ばかり、と言う点が何とも興味深いが、持ち前の研究熱心さ、フットワークのよさに加え、農業に対する積極的な取り組み、とくに勘や経験といった伝統的な農業手法に頼らず、むしろデータ管理を含め製造業の経営手法を生かした生産工程管理を導入した点が大きな特徴だ。

山下さんらは、鹿児島の風土に合った適地適作方針に沿った畑作で、ダイコン、ネギ、キャベツなど品目をしぼっての安定生産で、しかも市場流通に頼らず、大手スーパーマーケットなどとの企業の業務用野菜の供給契約を結んでいる。法人との契約率が80%に及んでいる。これによって、農業体験なしのゼロスタートなのに、今や社員1人あたりの売上高が年間1500万円に行くほどで、当然、1人あたりの生産性が高い。年商も5億円にのぼり、資本金660万円の有限会社としては、優れた成長企業と言える。

山下社長「学生時代に、将来、3人で一緒に
仕事しようと約束、それが農業だった」

誰もが関心を持つのは、東海大海洋学部の友人仲間とはいえ、それぞれ卒業後、企業に就職しサリーマン社員として独自の道を歩んでいたはずなのに、再集合して簡単にサラリーマン生活に区切りをつけ、農業へのチャレンジの道に踏み出したのか、しかも農業にはさまざまなリスクがあるのに、どのようにして克服できたのか、という点だろう。
3人のうち、社長になったリーダーの山下さんに聞いてみよう。

「私がニチロという水産会社でのサラリーマン生活に区切りをつけたあと、鹿児島の私の実家の山下水産に1997年に転職したのです。ところが、漁業の先行きが先細りで展望がなかったため、1年中働ける仕事はないかと始めたのが農業だったのです」という。

山下さんは、東海大のクラブ活動仲間だった中山さん、佐藤さんとの間で、将来、一緒にやれる仕事を見つけてチャレンジしようという約束し合っていたため、焼津の水産会社にいた中山さん、東京の道路会社に勤務していた佐藤さんに「一緒にやる仕事は農業だ。苦労は多いが、面白い仕事になるかもしれない」と話を持ちかけた。2人ともそれぞれ自分たちの仕事、家庭を持っていたにもかかわらず、学生時代の約束を優先したのか、「わかった。やろう」となって、山下さんが2002年に立ち上げた有限会社大崎農園に合流する形になった、という。言ってみれば、3人に強い農業への使命感があって、新しい農業づくりにチャレンジしよう、といったものでなかったことだけは間違いない。

農業へのチャレンジ精神がすごい、
イロハからどん欲に学び先進農家にも教え乞う

ところが興味深いのは、そのチャレンジ精神だ。山下さんは、中山さんらを代弁する形で「ゼロからのスタートでしたので、農業のイロハを知るため必死で学び取る努力を行いました。種まきから土壌、肥料、水などの管理まで、すべて実践しました。同時に、いろいろな先進事例を学ぶため先進農家に行って教えを乞うたほか、研究所など書物を読んで実践してみることも必死で繰り返しました」という。
とくに山下さんらが意識したのは、先進事例を学習することだった。葉ネギ栽培でカベにぶつかっていた時に門をたたいたのが静岡県浜松市の有限会社グリンオニオンの河合正博社長だ。河合さんは、葉ネギのブランド化を実現したプロ農業者だが、山下さんらの技術を盗むというよりも、自分たちがカベにぶつかった現実を率直に伝えて教えを乞いたい、という姿勢に納得し積極的に学習指導に協力してくれた。今でも3人の師匠だという。

山下さんによると、鹿児島の畑の土は桜島の噴火降灰によって黒ぼく土壌という、リン酸吸収係数が高くて、しかもクセのある土壌だそうだ。葉ネギにはあまり向いている土質ではなく、かなりの問題土壌のため、対応に苦しみ、本当に数多くの関係図書を読み漁りました。作物に適した土壌改善として葉ネギの好む粘土分のある土への改善がポイントとわかり、いろいろ検討した結果、黒ぼく土壌の下にある粘土質のカマ土を掘り起し、天地返しといって粘土分の多い土を上に持ってくる作業を行った。するとネギの葉肉や品質の改善が顕著に出た、という。

経営の強みポイントは生産工程管理の導入、
飛騨高山の和仁農園と同じ手法

さて、山下さんらの経営の最大ポイントである生産工程管理の話を申し上げよう。農業に工程管理手法を導入して成功した事例として、以前のコラムで取り上げた岐阜県高山市の株式会社和仁農園がある。本業の土木建設会社を経営する和仁松男社長が、地元の飛騨高山地域の耕作放棄地の土地活用を委ねられて農業経営に乗り出し、いまやおいしいコメづくりでは全国表彰を受けるほどの本格経営だが、和仁さんのすごさは、土木経営分野では当たり前の工程管理を積極導入して時間や機材、人繰りのロス、ムダを省いたばかりか効率的な生産手法を定着させた。

山下さんの場合、和仁さんのようなプロ経営には至っていなかったが、山下さんによると、さまざまな生産データをすべてデータ管理して一目瞭然に「見える化」すること、毎日、担当者それぞれの作業工程をすべて示した農作業マニュアル表を配って役割分担を明確にすること、それに合わせて作業時間管理、そして全体の生産工程管理ができるようにした、という。
また、山下さんらは、一品目ごとの販売計画をつくり、それらを束ねた全体の年間生産計画をたてること、同時に月間、週間の作業計画もたてて作業の平準化、必要資材の確認、土壌分析、薬剤散布などの手順を決める。そのあとは作業実績から収穫実績、出荷・販売実績と進むが、これらの工程管理をしっかりと行うと同時に、品目ごとのコスト管理も厳しく行った。

首都圏スーパーなど法人契約は80%で安定、
地元に大消費地ないハンディを克服

大崎農園が立地する鹿児島県志布志市周辺は、畑作に適した地域だが、大消費地がないため、いわゆる川上から川中、川下に至る6次産業化といった一貫農業経営はできない。北海道などと同じだ。このため、ビジネスモデルとしては、農協の系統出荷を通した卸売市場への出荷でいくか、首都圏や関西地域の大消費地の大手スーパー、コンビニ向け、さらに地元のスーパーにも契約で出荷する、というやり方などが考えられるが、大崎農園の場合、市場流通には頼らず、大消費地の大手スーパー、コンビニなどとの契約栽培で臨んだ。
大崎農園の強みは冬場露地ダイコンなど季節性を生かした生産だ。山下さんによると、ダイコン、キャベツなどの露地野菜は冬場の鹿児島の温暖な気候を生かした生産力があるため、業務加工業者や小売業などの契約企業先からの注文ニーズが高い。一方、葉ネギは周年栽培で年間を通し安定的に生産・出荷が可能なので、この葉ネギをベースにしているが、法人企業からの注文は品質評価をもとに、伸びているのが何ともうれしい、という。

大崎農園は新興アジアのASEANでの
現地農業生産にも夢、チャンスは広がる?

ところで、大崎農園には今後、世界の成長センターになる余地を十分に持っているASEAN(東南アジア諸国連合)で現地生産して事業展開する、という夢も持っている。3人のうち、積極経営の中山さんが以前、マレーシアに農業指導に行く機会があった際、マレーシアの高冷地のキャメロン高原などいくつか生産適地の場所があること、またアジアで経済成長に弾みがついており野菜などへの消費需要が見込めること、高品質で安全・安心の日本食文化に広がりが出る可能性が大きいことから、アジア進出を主張している、という。
ただ、山下社長自身は、「今は日本国内での経営展開があり、足元を固める必要が先決ですが、将来的にはアジア展開は十分、視野にあります。夢だけは持っておきたいです」と語っている。要は、大崎農園としては、将来への布石として、ASEANを中心に新興アジア市場研究を続けるが、いまは国内市場で経営基盤をもっと固めておきたい、ということだと、私は理解した。でも、この山下さんらの好奇心の強さ、フットワークのよさ、常に市場動向などの研究を怠りなく続ける研究熱心さを見ると、もちろん、課題は新たな経営人材の確保といった問題があるにしても、何かやるのじゃないかな、という期待感を抱かせるところが頼もしい。

農業現場での人口高齢化や離農ケースの中で、
新規チャレンジ者には大いに期待

農業の現場、とくに中山間地域のみならず平場の農業地帯でも、人口の高齢化が進むと同時に、後継者難で耕作放棄地を野放しにしたり、あるいは離農していくケースも多い。そうした中で、新たな戦力として、脱サラ組に限らず、新規就農に取り組む人たちが増えていることは、農業を支えていく基盤確保になるわけだから、大歓迎だ。ただ、問題は、今回取り上げた大崎農園の山下さんらのケースのように、歯を食いしばって現場経験を踏み、また先進農家に積極的に教えを乞うてがんばる、という姿勢がどこまであるかだろう。でも、社会現象として農業の現場が壊れつつあるだけに、新規就農している人たちには、本当にチャレンジ精神旺盛な取り組みを期待したい。

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