亡き夫の意志を継ぎ、
モノづくり精神を組織に
浸透させた環境・働き方改革
株式会社ユーシン精機
代表取締役社長
小谷 眞由美
株式会社ユーシン精機は1973年設立の工業用ロボットメーカーだ。京都の小さな町工場からスタートし、後発ながらプラスチック成形品取出ロボット分野で世界トップシェアを誇るまでに成長している。代表取締役社長 小谷眞由美は創業者である亡き夫の意志を継ぎ、いまなお従業員にモノづくり精神を伝えている。小谷が推し進める「働き方改革」の現場に迫る。
蟹瀬 さて、プロフィールを拝見しますと、小谷社長は創業者の奥様でいらっしゃいますよね?
小谷 はい。
蟹瀬 ご主人はどのような経緯でこの会社を作られたんでしょうか?
小谷 立命館の機械科を出て、それから学校の就職で東京に来て、東京で2年ガスメーターの会社に入っていまして。それで辞めて京都に帰ってきて資本金400万円で作ったんですね。
蟹瀬 ご主人様はやっぱり、いわゆる技術屋さんっていうか、技術にものすごく情熱を注がれた方ですか?
小谷 ものすごい情熱ありましたね。子供の頃からそうだったって母親が言っております。
蟹瀬 そうすると奥様としてはどういう部門を?
小谷 私はもう技術以外です。経理だったり、購買だったり、人事だったり、社員が2人ほどしかいませんので、全部で4人です。
蟹瀬 当初はどんなお仕事をなさっていたんですか?一番最初の頃は?
小谷 1番初めは大学時代の友達がダイキャストの会社にいましたんで、そこの仕事とか、言われれば何でも作っていたんですけど。
会社設立から5年目の1978年、ユーシン精機に転機が訪れる。
小谷 5年ぐらい経って、ある商社さんが大阪の方のプラスチックの機械も自動機で作っていましたから、こういう射出成形機から物を取るロボットって、そういうのを作られたらどうですかって言われて、「じゃあそれしようか」ということで。
ドーキンズ 当時はプラスチックの製品っていうのはもう今みたいにメジャーになっていたんですか?
小谷 プラスチックの材料の統計とか見ていますと、年々すごく上がっていっていたんです。それは家電メーカーが、ほとんどプラスチックになっていっているんで。車も徐々になっていますし「プラスチックの時代だな」って。その材料が伸びているっていうことは使われているということですよね。
蟹瀬 「やろう!」っていうのはやっぱりご主人が決断されたんですか?
小谷 そうです。機械作っているのは彼なんで。やろうっていうのは彼で、「どう思う?」っていつも聞かれるから、「いや、いいんじゃないですか」って、なにも反対したことがない。だいたい彼の言う事で反対することは、ほとんどないんですよ。「ああ、いいじゃないですか」っていう感じ。
蟹瀬 いい奥様ですね。
小谷 やはりね、開発する、新しいことをするっていうのに応援しなければ、やる気が起きないんですね。経営者というか、トップに立っていて、みんなが反対して、でも私は絶対賛成しない事には、彼に自信が出ない。自分で2、3歳から日本舞踊とかいろいろしているんですけど。舞台に上がるとき「できないな」と思っていても「いや、いけるよ、いけるよ」って周囲に言ってもらうと自分がその気になるのがわかるんですね。だから一緒じゃないかなと思った。
蟹瀬 その時代にすでにそういう仕事をしている会社っていうのはあったんですよね?
小谷 ございました。その時は先輩企業は14社くらいおられましたね。
蟹瀬 もうすでに先行するライバル企業がいて、そこに新規参入されたわけですよね。そうすると創業者の方はどういう戦略で臨まれたんでしょう?
小谷 やはり彼は彼なりに考えて新しい機械を作ろうっていうので、新聞紙上で公募で月1回だけ研究に来てもらえる方たちっていうのを出したんですよ。大学教授の方とか大手の商社系の人とか、それからエンジニアの人とか、4人ぐらい呼びまして、毎月毎月3年ぐらい勉強会を開いて、88年にサーボモーターを使ったロボットを作ったんですね。
1989年、業界では世界初となるサーボモーター駆動の取出ロボットを発売した。サーボモーター駆動の取出ロボットは、現在では世界のスタンダードになっている。
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