日本の老舗製油メーカーが
目指す「小さくて強い会社」
その世界戦略とは
太田油脂株式会社
代表取締役社長
太田 健介
太田油脂株式会社は、1902年に愛知県で創業し、1930年から製油製造業に事業転換を行った老舗製油メーカーだ。その技術力と質は高く評価され、宮内庁や伊勢神宮にも献納されるほどだ。代表取締役社長 太田健介はもともとやっていた音楽活動と経営に相関性を見出し、経営戦略にも取り入れている。その大胆かつ綿密な事業展開は、日本のモノづくりメーカーの道標になる可能性を秘めていた。
蟹瀬 そして2003年に、今の太田油脂に入社されたわけですけれども、これはほぼ勘当状態で飛び出してったわけですよね?これは入るのは大変だったんじゃないですか?
太田 両親に頭を下げて。毎週月曜日朝礼があるんですけど、そこで前に立って「申し訳ございませんでした」と謝りました。
蟹瀬 そのときはどういう気持ちだったんですか?
太田 この会社を守っていくんだっていう、やはりこう強い気持ちに火がついたっていうような記憶をしてます。
蟹瀬 実際に会社に入ってみて、自分が思ってた会社のイメージと大分違いました?
太田 大手の食品メーカーのOEMを中心にやってましたので、委託されるっていうことでのお仕事が中心かと思いましたら、意外とえごまオイルという商品であったり、それから園芸肥料の商品であったり、スポットが当たってないだけで、すごく可能性があるなと。結構面白いことやってるんだな。それからそういうことをやらせてもらえる会社、それからそういうスタッフがいるんだなっていうことは、外から見て気付いたことでした。
太田油脂は長年、大手食品メーカーのOEM事業を展開し、順調に業績を伸ばしてきたという。
太田 ずっとOEMを中心に事業展開してきたんですが、やっぱりモノ作りの会社なので、自分たちで作ったものを自分たちの名前で売っていきたいなと、私よりも若い世代のプロジェクトチームを組んで、そして新商品開発を自分たちで立ち上げて、ブランドを立ち上げ、そしてそれを展開していく、ということをやっていきました。
蟹瀬 OEMでやっていれば安定しているけれど、急にBtoCって言ったら、これ相当リスクをとるわけですから。この辺は社内から反発ってのはなかったんですか?
太田いや実はものすごいありまして。ある意味今までのお客様とライバル関係にもなる可能性もあるので。もちろんリスクはあるけども、やはりそういった自分たちのモノ作りのアイデンティティと、それからブランドをしっかりと伝えていくことが、小さくて強い会社になっていくコンセプトの一つだというふうに考えて、強引に推し進めた記憶がございます。
営業部長に就任した太田は、商品開発を推し進め、エゴマを中心とした新商品を次々に生み出していった。
坪井 お話を伺ってますと、直前までミュージシャンを目指されていたとは思えないほど、最初からビジネスに精通されてるなと思うんですが、入社前に何か勉強などされたんでしょうか?
太田 これは今になって思えばですけど、メンバー4人が大手のメジャーレコード会社の会議室に集まって会議したときに、「お前達どこまで行きたいんだ?(レコード会社役員)」と。「武道館3年後にはやりたいですよね(メンバー)」と。「お前達3年後武道館か。CDやっぱり30万枚ぐらい売れてないと駄目だぞ。2年後には10万枚いってないと駄目だな(レコード会社役員)」っていうことを聞いたんですね。これ今考えると、会社でいう中期経営計画。それから二つ目が、ターゲットは誰なんだ?10万枚売れるためのメロディ、歌詞、演奏それからパッケージ、販売戦略、これも今商品のマーケティングなんですよね。
蟹瀬 音楽やってらっしゃった頃は、そういうことは多分自覚はされないで、やりたいことやってるっていうことはあるでしょうけど、無駄にはならなかったわけですね!
太田 今思えばですけれども。
老舗という歴史と安定したビジネスに落ち着くことなく、常に未来に向かってチャレンジをし続ける。それが太田油脂が紡いできたモノ作りのDNA。
坪井 さて、太田社長は2008年に社長に就任されました。就任されたときには、どのような会社にしていきたいとお考えだったんでしょうか?
太田 モノ作りと曲作りって僕同じだと思ってまして。どちらかといえば、OEM事業っていうのはバックバンド。作詞、作曲、演奏、歌う人、自分たちで演奏して、自分たちの名前で売っていきたい。それをせっかく社長になったので、ぜひやってみたいなっていうことで、取り組むことにいたしました。特に力を入れたのが、えごまオイルという非常に良い商品があったので、一番力に入れてく重点商品だと決めまして、3年ほど前に健康オイルのブームがきまして、よく売れました。はい。
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