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超高齢社会時代に向け「身軽化」作戦、ぜひ事例研究を
超高齢社会時代に向け「身軽化」作戦、ぜひ事例研究を
人生100年時代という言葉に、今や誰もが違和感を持たなくなった。高齢化社会を飛び越えて「超」がつく高齢社会を実感する状況になりつつある。今後、「団塊の世代」といわれる巨大な人口の塊、推定650万人の人たちが2025年に75歳の高齢者領域に到達すると、日本の超高齢社会は本格始動する。新たな制度設計が間違いなく課題になる。
そんな中で、私は最近、こうした超高齢社会時代到来に向け、「身軽化作戦」にチャレンジした。「えっ、何のことだ?」と思われるかもしれない。要は、21年間、住み慣れた東京都下の調布市内にある2階建て住宅を売却という形で資産処分して一区切りつけ、新たに住宅メーカーが東京都内に開発したシニア向け賃貸マンションに転居したのだ。
認知症リスクを抱えて身動きがとれないなどの事例を周囲で目にして、「余力」があるうちに早く資産処分などを行い、身軽になっておくことが大事だ、と考えたわけだ。引っ越しなどで予想外の苦労があったが、結果的に早期のアクションは大正解だった。
「終活」発想でなく人生終盤への再チャレンジめざす
私の場合、「終活」といった、人生の店じまいの発想ではない。人生終盤時に再活性化チャレンジのきっかけにするため、身軽になっておこう、という積極対応策だ。それに、私が生涯現役の経済ジャーナリストの問題意識でもって、超高齢社会システムのデザインを、と主張している手前、率先垂範して個人ベースで実行に移すことが必要だと考えた。
そんな意味合いを込め友人や知人に転居あいさつの連絡をしたら「キミが書いている時代刺激人コラムで、事例研究材料として、と書いたらどうか。同じ問題で悩んでいる人の背中を押すきっかけになるはずだ」と、異口同音に言われた。私のプライベートな話が参考事例になるのかなと悩んだが、先行事例になるならば、と意を決し、今回、書くことにした。ぜひ、皆さんには事例研究の対象として、見ていただけば、と思う。
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3代にわたり日本人移住者支援のすごいブラジル人医師
3代にわたり日本人移住者支援のすごいブラジル人医師
南米ブラジル南部サンタカタリナ、リオグランデドスール2州で、医療施設の不足する地域に住む高齢者ら日本人移住者400人の人たちを毎年、診療バスで巡回訪問し、ボランティアワークで診療するだけでなく心のカウンセリングも行うすごいブラジル人医師がいる。しかも祖父、父を含め医師一家3代にわたって続けているというから、さらにすごい。
デジタル化が進み、最近は緊急時にインターネット対応が可能になった。だが、医師は巡回診療し、とくに現場での個別面談をとても重視している。理由は、日本人移住者のうち移住第1世代の人たちが、ポルトガル語を十分に話せず、地元クリニックにも行けないハンディを抱え、毎年1回とはいえ心の悩みを聞いてくれる医師の来訪を待ち焦がれているためだ。まさにブラジル版「赤ひげ先生」と言ってもいい存在だ。
医師はブラジル国籍の日本人森口さん、老年医学分野で有名
このすごい医師は、森口エミリオ秀幸さんという。いま63歳。ブラジル国立のリオグランデドスール連邦大学の大学院教授、かつ大学付属病院の内科学部長の要職にある。そればかりかブラジル国内では老年医学の専門家としても有名。森口さんは、巡回診療に関して、日本でいう中山間地域で生活する日本人移住者らの役に立ちたいためだ、という。そのパブリック(公共)マインドの強さには、思わず脱帽だ。
名前から見ると、日本人でないかと思われる。そのとおり。実は、東京荻窪の生まれで、9歳の小学生時代まで日本にいた。父の森口幸雄さんが、ブラジルに先行して在住していた義父の医師、細江静男さんの強い勧めもあって、移住を決意した際、森口さんも家族と一緒に移住することになって日本を離れ、今やブラジル生活が54年に及ぶ。
ブラジル国立大教授職取得でやむなく帰化、「心の中は日本人」
ブラジルで苦闘する日本人移住者のための巡回診療に情熱を傾ける医師の祖父、そして父のたくましい姿を、森口さんは見て、その影響を強く受け、若い時期に日本に戻り、東海大医学部大学院で医学博士号を取得、そして医師の国家資格を得た。ところがブラジルでは日本の医師免許がなぜか通用せず、新たに医師の国家免許取得が必要。それだけでない。ブラジルの国立大学の教授職の資格を得るにはブラジル人国籍が必要だった。このため、やむなくブラジルに帰化、国立大で学位をとり、医師免許も取得して現在に至った、という。
森口さんは日本との医学研究の交流を続け、今では千葉大、横浜市立大の客員教授として年2回、来日して集中講義を行うほど。最近、長年の巡回診療を含めた数々の取り組みが日本で評価を得て社会貢献特別表彰を受けた。その表彰でコロナ禍に来日した際、私は森口さんに会える機会があった。話を聞いていても広がりが多く、素晴らしいの一語に尽きる。
ところが、その森口さんに今、抑えがたい気持ちがある。ブラジル国籍取得で失効を余儀なくされた日本国籍の問題だ。日本の国籍法は、複数国籍を持つ人には原則22歳までにどの国籍を選択するかの判断を義務付けている。「私の心の中は日本人です。日本国籍は私のもので、日本政府には何とか返してほしい」という。その気持ちが、実によくわかる。