南相馬で東電元役員が新プロジェクト 原発事故の「贖罪」で必死に地域起こし


時代刺激人 Vol. 227

牧野 義司まきの よしじ

経済ジャーナリスト
1943年大阪府生まれ。
今はメディアオフィス「時代刺戟人」代表。毎日新聞20年、ロイター通信15年の経済記者経験をベースに「生涯現役の経済ジャーナリスト」を公言して現場取材に走り回る。先進モデル事例となる人物などをメディア媒体で取り上げ、閉そく状況の日本を変えることがジャーナリストの役割という立場。1968年早稲田大学大学院卒。

世の中にはさまざまなドラマを持つ人がいる。今回、ご紹介する人もその1人だ。
その人は東京電力の新規事業プロジェクトを担当の執行役員だった人で、2010年に福島第1原発から20キロ圏にある福島県南相馬市の生まれ育った土地で地域起こしのプロジェクトの立ち上げを計画し役員を退任、同時にそのあと関連会社役員も辞める予定でいたら、突然、2011年3月の原発事故に遭遇してしまった。
原発事故そのものは、その人にとっては文字通り予期せざる事態だったが、東電が原発事故を引き起こしてしまったこと、自分が生まれ育った南相馬市からそう遠くない地域で取り返しのつかない事故を引き起こしてしまった、という贖罪意識が強まり、退任が先送りになっていた出向先の関連会社役員を2011年6月に辞め、南相馬市で地域起こしの太陽光発電とドームハウスでの農業生産のプロジェクトを立ち上げ、必死でがんばっている、という。

半谷さん、「被害者と加害者の複雑な立場を運命と考え地域再生に取り組むことに」

 こんな話を聞きこんできた私は、ジャーナリストの好奇心でぜひ一度会ってみたい、と思っていた。すると、最近、運よくチャンスがあり、その人に会えた。半谷(はんがい)栄寿さんという人だ。
半谷さんは「私は、原発事故で南相馬市内にいた実家の母親らを避難させる被災者であると同時に、事故を引き起こした東電の経営に携わっていたという意味で加害者である苦しい立場です。しかし、私はそのことを運命と考え、地域再生のためのプロジェクトに取り組むことにしました」と語る。なかなか気骨のある素晴らしい人物だった。東電の現役、OBの経営者の人たちに聞かせたいと思ったほどだ。

そこで、今回は、この半谷さんにスポットを当てながら、南相馬市で半谷さんが取り組む地域起こしのプロジェクトなどをレポートしてみよう。

南相馬市では代々の政治家家系、
東大卒業後に独自の判断で東電に就職

 まず、半谷さんの話から始めよう。半谷さんは1953年生まれの60歳。南相馬市の中でも南に下がって東電福島第1原発までは15キロという今では立ち入り制限区域になっている小高(おだか)区の出身。実家は、代々が政治家の家系だ。曾祖父が国会議員、祖父が旧小高町長、父が旧小高町議会議長という地域でも抜群の名士の生まれだ。

東大法学部を卒業した半谷さんは政治家の家系を踏襲する道もあったのだろうが、なぜか東電に独自の判断で入社を決めた。小さな時に、父親に連れられて福島第1原発を見学したこともある、という話なので、たぶん、地元に原発立地した東電で働いてみよう、と思ったのかもしれない。
半谷さんは東電入社後、中核部門の総務部に配属となった。ところが興味深いのは、官僚組織ならぬ民僚、つまり民間官僚組織の東電で、入社10年を過ぎたあたりに、半谷さんは当時の直属上司だった勝俣恒久氏(東電元社長、元会長)に対し「総務部の業務とは別に、非営利のNPOを立ち上げ、東電にとっても社会貢献活動という意味でプラスになることをしたい」と申し入れ、渋々と認めさせたことだ。

当初から異色の人生、
エリート職場の総務部とは別に環境NPOを立ち上げ

 そのNPOは、ユニークな発想の環境NPO「オフィス町内会」だった。東京のビジネス街の企業内で吐き出されるさまざまな紙のごみ、たとえばプリントアウトされて会議用に使う紙などのごみが当時、膨大な量にのぼっており、それらをリサイクル用に分別回収するNPOなのだ。シュレッダーで切り刻む紙の処理を含めて、ビジネス街での紙ごみの資源化、リサイクル化をめざしたのだが、東電のような社内競争意識が激しい企業の中で、環境NPOを発想するところが東電エリート社員らしからぬ行動だ。

その後、半谷さんは新規事業部門の担当になり、その延長線上で、福島県内にサッカーのトレーニングセンターとなるJビレッジを計画して実現させた。このJビレッジは原発事故後、危機管理センターの役割を果たせなかったが、逆に、事故の現場対応に追われる作業員の人たちの重要な宿泊や休養の施設となった。

町議会議長の父親の葬儀で地域に足跡残した生き方に刺激受け東電辞める決断

 半谷さんの手掛けた新規事業が東電内部で評価の対象となり、2008年に東電執行役員に就任する。そして2年後にはグループ企業の尾瀬林業の代表取締役常務となる。ところが小高町議会議長だった父親の死に接した際、1000人を超す町民が死を惜しむ姿に父親が地域に残したいろいろな足跡の大きさに強い刺激を受けて、半谷さんは地元の南相馬市で新たな人生の再スタート切る決意をする。それがあとで述べる太陽光発電とドーム型ハウスでの野菜生産をリンクさせた地域再生プロジェクトなどを通じた地域起こしだ。

そして、半谷さんは社長に就任予定だった尾瀬林業常務を退き、同時に東電にも区切りをつけることにし、2011年1月に当時、経営トップの職にあった勝俣会長に了解を求める。勝俣会長からは「東電の看板を外して、肩書もなしに世の中を生きていくのは厳しいぞ」と翻意を求められたが、半谷さんの決意は変わらなかった。

役員辞任了承後に事故に遭遇、全電源喪失にショック、
地域への償いが必要と判断

 ところが、それから2か月後の3月11日に、東日本大震災と同時に福島第1原発は全電源喪失という事態に見舞われ、原発メルトダウンという、決して起きてはならない事故が現実のものになった。半谷さんは「本当にショックでした。私自身は経営の一角にいた時も、原発の安全性に関しては、原子力本部の技術陣を100%、信頼していましたので、 まさか全電源喪失で機能停止し、原子炉がメルトダウンといったことなど、思いもよらぬことだ。しかし東電の責任は免れない。事故処理と同時に何としても償わねばならない」と思った、という。

原発事故の影響で3か月以上たった2011年6月末に尾瀬林業の従業員向けのあいさつの際、東電の結束が重要なときに、役員の「敵前逃亡」のように受け止められるのが辛かった、という。ただ、半谷さんは東電にはすでにけじめをつけており、原発事故が起きるずっと以前から温めていた地域再生、地域起こしのプロジェクトが、この原発事故でますます重要なものになってきたため、必死で取り組むことにした、と述べている。

半谷さんの後半生の仕事は「南相馬ソーラー・アグリ」プロジェクト

 さて、半谷さんが今後の人生を賭して、自身で南相馬市の地域再生のため、と取り組んでいるのは、「南相馬ソーラー・アグリパーク」プロジェクトだ。具体的には南相馬市から借り受けた市有地2.4ヘクタールの土地に太陽光パネル2160枚をちりばめて500キロワット分の電力を起こす太陽光発電所をつくる。
そこで発電される電力のうちの100キロワット分を隣接するドーム型の野菜工場に供給し、地元の農業生産法人がレタス栽培などに活用、出来た生産物を地元のヨークベニマルというスーパーで買い取ってもらう。
また太陽光発電で得た残る400キロワットの電気は、国の新エネルギーの固定買い取り制度を活用して地元の東北電力に売電し、このプロジェクトのためにつくった福島復興ソーラー株式会社の収益にしていく、という。

原発事故きっかけに環境未来都市づくりめざす南相馬市プロジェクトとリンクも

 このプロジェクトは、2013年春にやっとスタートしたものだが、半谷さんによれば、2つポイントがある。1つは、原発事故で大きなダメージを受けた南相馬市が新たに計画中の環境未来都市づくりとリンクさせることだ。南相馬市は今、津波被災地域や山間部を中心に大規模再生可能エネルギー基地をつくる予定で、そのカギを握るのが太陽光発電だが、半谷さんのプロジェクトともリンクさせていく予定だ。

南相馬市は2011年12月に「環境未来都市」の指定を受け、脱原発依存、低炭素型社会をめざしてスマートシティによるエネルギー循環型都市づくりに取り組む、という計画をたてている。この計画では、防災集団移転に伴い、移転先の集落でエコ化を推進し、省エネ集落を増やす。とくに各住宅に太陽光パネルの設置を行い、家庭用エネルギー管理システム(HEMS)を取り入れた省エネ集落にする、という。
私としては、南相馬市が主導して、半谷さんの太陽光パネルを使ったソーラー・アグリパークのプロジェクトとリンクさせ、大型のプロジェクトにするのかな、と期待したが、南相馬市役所の復興支援部の担当者に取材したところ、まだ遅々として進まず、というところだった。

太陽光発電を軸に子供たちに体験学習させる「グリーンアカデミー」事業も始動

 もう1つは、半谷さんが代表理事の一般社団法人の福島復興ソーラー・アグリ体験交流の会が「グリーンアカデミー」事業と銘打って、南相馬市の小中学生、高校生を対象に太陽光パネルを使った発電の仕組み、電気自動車への電気供給、さらに電気と太陽光を活用しての水耕栽培でなどを体験学習してもらうプロジェクトの展開だ。
半谷さんは、このプロジェクトに強い思いを持っている。「小中学生はもとより、高校生や大学生、さらには社会人までが参画して、太陽光発電やドーム型の植物工場での野菜生産の夢あるプロジェクトの存在を知り、自分たちの地域再生に関して、こういったプロジェクトを推し進めれば、未来が開けてくるかもしれない、と自信や期待を持ってくれればいいのです」という。

企業も復興支援の一環で半谷さんのプロジェクトを積極支援

 「グリーンアカデミー」事業に関しては、半谷さんによると、三菱商事復興支援財団が3000万円の基金を支援、また東芝、大成建設、三井住友海上、三菱自動車、ヨークベニマルなどの企業が全体で2000万円の支援、さらに南相馬市以外に国からも補助金を得て、被災からの立ち直りに必死の子供たちの体験学習に活用される。
半谷さんら役員はすべて無報酬だ。また東京で起業家型リーダーの人材育成や復興支援のための人材派遣を進めるNPO法人ETIC(代表宮城治男代表理事)も、半谷さんの生き方に共鳴し、右腕になるリーダー人材を送り出したい、と協力を申し出ているという。

東電の原発事故が起きる前に東電を辞めた半谷さんは、事故に直接に関与する立場になかったものの、事故現場に近い南相馬市で生まれ育った、しかも歴代、政治家を出して地域に深くかかわった家の出身でもある、ということが半谷さんの背中を押して、地域の新たな再生のためにエネルギーを注ぐのだ、という決断をさせたのかもしれない。半谷さんには今後、まだまだ重い課題が横たわっているかもしれないが、この人にはやり遂げる強い責任感や使命感があるように思える。
東電福島第1原発の事故現場は、目先の汚染水処理を含めて、問題が山積しているが、東電OBの半谷さんに生き方を見習って、被災者目線、国民目線で事故処理に取り組んでほしいと、思わず言いたくなる。みなさんは、半谷さんの生き方をご覧になって、どう思われるだろうか。

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