「失われた30年」突入だけは避けたい、日本は今こそフルモデルチェンジを 藻谷さんの新著「デフレの正体」もヒント、やれることすべてにチャレンジ


時代刺激人 Vol. 115

牧野 義司まきの よしじ

経済ジャーナリスト
1943年大阪府生まれ。
今はメディアオフィス「時代刺戟人」代表。毎日新聞20年、ロイター通信15年の経済記者経験をベースに「生涯現役の経済ジャーナリスト」を公言して現場取材に走り回る。先進モデル事例となる人物などをメディア媒体で取り上げ、閉そく状況の日本を変えることがジャーナリストの役割という立場。1968年早稲田大学大学院卒。

2010年最後の「時代刺激人」コラムで、デフレにあえぐ日本経済が、このまま状況に流されていけば「失われた30年」突入という不名誉な事態になりかねない問題をとりあげたい。率直に言って、誰もがそんな事態を望んでいない。それどころか政治も行政、それに経済界、生活者としての国民の誰もが、デフレ脱却のいい手だてがあれば即刻、活用し、それによって日本経済の「失われた20年」打ち止めを高らかに宣言したい、と思っているのに、現実は、まるでアリ地獄のように次の10年への突入リスクが高まっている。しかし、ここはデフレ脱却の日本モデルづくりにチャレンジすると同時に、今こそ日本自体の大胆なフルモデルチェンジに取り組むべきだ。

「失われた10年」は日本の専売特許ではないが、20年も続いた国は見当たらず

この「失われた10年」は、日本の専売特許の言葉ではない。いろいろな国々で、長く停滞が続いた時期が10年という長期に及んだ時に、そのころを振り返って「失われた10年」と呼ぶことが多い。日本の場合、1990年代前半から2000年代初めにかけて、バブル経済が崩壊して不況に陥っただけでなく、名のある銀行や証券会社が経営破たんして金融システムそのものを揺るがす事態に及び、企業などが借金や負債の重圧から抜け出すために前向き投資よりも借金返済、リストラに走るバランスシート調整が経済をさらに委縮させてしまった。2001年3月、政府は「デフレ突入宣言」を行い、財政政策や金融政策といったマクロ政策総動員で手を打ったが、実体経済は大きく浮揚しないまま、低成長が当たり前となって「失われた20年」に入った。これほど長期に経済停滞が続いた事例は他の国を探しても見当たらない。

欧米では、デフレ長期化の日本の二の舞回避から「日本化を避ける」が合言葉?

今やそれが「失われた30年」突入という事態に陥ろうとしている。何とも不名誉なこと、極まりない。アジアの新興経済国からは、「日本っていう国は豊かな成熟国だが、経済政策の失敗などで長期経済停滞に入って身動きがとれなくなっている。経済社会に活力がなく、惨憺たる状態だ。政治の指導力もなくなっていて、改革に必要な荒療治のリスクをとりたくない、という状況だ。最近、欧米の先進国と称される国々の政策担当者の間では、日本の長期デフレ現象を見て『日本化を避ける』が合言葉になりつつある。われわれ後発の新興経済国にとっては、日本経済の長期停滞を失敗の研究の対象としてしっかりと見据える必要がある」と、言われかねない。

ここで、みんなが本気で態勢を立て直して、日本の強み、弱みを見極め、内向きの縮み志向から脱却する手立てを講じないと、アリ地獄からますます抜け出せなくなる、という感じがする。いま、こわいのは、いつも申し上げることだが、日本の周辺で地殻変動が起きていることを真剣に受け止めないと、日本は取り残される、置いてきぼりにあいかねないことだ。日本が「失われた20年」で内向きになっていた時に、グローバル社会では、すさまじい形でパワーシフトが起き、政治や経済の再構築を話し合う会議1つとっても、G7(欧米、日本の主要7カ国首脳会議、主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議)が新興国を加えたG20に移行している。

新興経済国台頭でパワーシフト、日本は取り残されない努力が何としても必要

と言っても、G20で新たなルールづくりが行えるかと言えば、現実問題として難しい。まだまだ欧米先進国の経験やノウハウが必要視されている。日本は、その面で同じ力量を持っているので、積極的にリーダーシップをとったりして復活するチャンスがある。ところが、今の日本のように、このまま内向きを続けていると、グローバルなパワーシフトに対応できる力を自ら、そぎ落としてしまい、ハッと気が付いたら、誰もが見向きもしなくなっているという最悪の事態もないではない。その意味でも、まずは「失われた30年」に突入しないように、デフレ脱却への手立てを真剣に講じるしかない。

「そんなことはわかっている。みんな、危機感をもって対応しているのだが、決め手を欠いて、ズルズルと現在に至っているのだ。あんたは、どうすればいいと思っているのだ」とお叱りを受けそうだ。

フルモデルチェンジのキーワードは「課題克服先進国」、新たな制度設計しかない

私にも「これしかない」という絶対的な妙案はない。しかし私がこれまで申し上げてきたのは、キーワード的には「課題克服先進国」「課題先進国」だ。社会システムデザイナーの横山禎徳さん、それに東京大の元総長で現三菱総研理事長の小宮山宏さんが使われている言葉だが、ポイントは、成熟国家ながら古くなりすぎた制度、枠組みを根本的に見直し、新たな制度設計、社会システムづくりを大胆に行い、さまざまな課題を克服すれば、後発の国々にとっては先進モデルとなり、日本は胸を張って「先進国」を自負できる、という点だ。「失われた30年」突入を阻止するには、日本の戦略的な強みの部分を伸ばすと同時に、弱みの部分を強みにどう変えて行くか、そのためには新たな発想で制度設計に取り組むことだ。まさに日本のフルモデルチェンジだ。

緒方貞子さんがいる国際協力機構でも信じられないような官僚主義が横行

実は、最近、独立行政法人の国際協力機構(JICA)に外部コンサルタントとして海外事業にかかわっている友人が帰国したので久しぶりに会った際、エッと驚く話を聞かされた。アフリカと中南米の2つのプロジェクトをこなすに際して、移動するのに便利だし移動費用の節減になると、現地間の移動を、東京の国際協力機構本部の担当者に進言したら「外部コンサルタントとの契約規定に従えば、東京にいったん戻って、東京発で次の契約地に移動してもらう必要がある。だから一時帰国を」というのだ。友人は「アフリカと中南米は大西洋を越えてすぐに行ける。税金の無駄遣いを避けるにも便利」と抵抗したが、頑として譲らず、やむなくムダを承知でアフリカ――東京、東京――中南米の飛行機便を使った、という。理事長の緒方貞子さんのような素晴らしいリーダーがトップにいる国際協力機構でさえ、こんな信じられない官僚主義がまかり通っているのだ。これは一例で、霞ヶ関の行政官庁では古い制度の枠組みから抜け出せないのだ。「課題克服先進国」の意味がおわかりいただけよう。

藻谷さんの現場踏まえた分析は素晴らしい、内需縮小への処方箋が間違いと鋭い

好奇心の強い経済ジャーナリストの性分で、私は、「これは面白い」と読んだ本の著者には何としても会って話を聞いてみたくなる。日本政策投資銀行の藻谷浩介さんもその1人だ。藻谷さんが書かれた著書「デフレの正体――経済は『人口の波』で動く」(角川書店)は他のエコノミストと違って、ジャーナリストと同様、現場を足で歩いて実証分析する点が素晴らしく、話にも説得力があるのだ。 チャンスがあって、藻谷さんに会ったが、本を読むよりも、同じテーマでも話を聞いた方が、なるほどと思わせてくれることが多く、はるかに面白かった。「時代刺激人」を広言する私が逆に刺激されてしまったほどだ。

藻谷さんの主張ポイントは、「日本経済は、個人消費が生産年齢人口の減少によって下ぶれてしまい、企業業績が悪化して、さらに勤労者の所得が減って個人消費が減るという悪循環に陥っている。それを何とか断ち切ろう」という点だ。
藻谷さんによると、生産年齢人口の減少に伴う内需縮小に対する処方箋として描かれがちな、生産性を上げろ、経済成長率を上げろ、景気対策として公共工事などを増やせ、インフレ誘導しろ、エコ対応の技術開発でモノづくりトップランナーとしての立場を守れ、といったことはどちらかと言えば筋違い。デフレがどうして起きたのか、その原因を見極めたら、そうした処方箋には至らない、という。

大都市、地方で現役世代の生産・消費年齢人口の減少、高齢者の激増に直視を

藻谷さんが日本各地の現場を歩いて見て得た経済実体のヒントは、人口変動の問題にある。端的には地方でも大都市でも現役世代の生産年齢人口の減少、裏返せば中核の消費年齢人口が減少していること、その一方で高齢者が激増していることが同時進行で起きている。人口流入が進む首都圏では、とくに顕著にその傾向がみられ、一見して、人口増で所得も小売売上高も伸びてしかるべきなのに、実体はその逆。高齢者が消費しないため、伸びない。都心部の大手百貨店の経営統合が進むのも、その表われだ、という。
だから、藻谷さんの結論は、1)生産年齢人口が減るペースを少しでも弱める、2)生産年齢人口に該当する世代の個人所得の総額を維持し増やす、3)個人消費の総額を維持し増やす3つの目標を掲げ、その目標到達に向けての手立てをとることだ、という。早い話が、消費拡大が経済を元気にするポイントというものだが、その消費を増やすための個人所得、家計所得の引上げを図るように知恵をめぐらすことだ。同時に、金融資産などの形で所得をすでに保有している高齢者には、現役世代におカネが回るようにモノの消費だけでなく健康確保のさまざまなサービス消費に向かうような手立てをみんなで考えるべきだ、というものだ。

私は、大胆にさまざまな分野での制度設計を行い、「課題克服先進国」につなげることが大事、それに関連して改革も随所に行って新たな需要創出につなげろ、という立場だが、藻谷さんの指摘は、デフレが何で起きたか、その原因分析を行い、そして処方箋を講じることだ、というもので、傾聴に値するものだ。ぜひ、その著書を読まれたらいい。

浜さんの「デフレが日本人の優れた感性を蝕む」という指摘にも共感

 ”なかなか鋭い分析で感心し、私がファンになりつつある同志社大学教、授浜矩子さんが書かれた「ユニクロ型デフレと国家破産」(文春新書)で、デフレの状況をうまくとらえておれるので、ポイント部分を少し引用させていただこう。

「ついこの前まで750円で売っていた弁当が、250円で手に入るのだ。その値段に一度馴れてしまったら最後、元の値段の弁当や食事は『高すぎる』ことになってしまう。さらには、食材を買ってきて調理することさえ、損だとみなされないとも限らない。激安衣料も同様である。このままではまともな値段の商品はどんどん売れなくなり、気がつけば『格安商品』しか生き残らなかった、という事態も起きかねない。そして、もっと憂慮すべきは、安売り競争を可能にしている極端なコスト圧縮が、労働者の賃金切り下げと直結している、という点だ」と。
さらに浜さんが指摘する「デフレが日本人の優れた感性を蝕む」という点はまさにそのとおりだと思う。「デフレが続けば家のリビングに置くものも、食べるものも単調になって、五感を刺激することがますます減っていく。デフレは人をバカにする。そして、確実にいま、日本の世の中から創造性が失われつつある」と。
2011年は、日本をフルモデルチェンジするきっかけになる年にしたいものだ。

2010年最後の「時代刺激人」コラムで、デフレにあえぐ日本経済が、このまま状況に流されていけば「失われた30年」突入という不名誉な事態になりかねない問題をとりあげたい。率直に言って、誰もがそんな事態を望んでいない。それどころか政治も行政、それに経済界、生活者としての国民の誰もが、デフレ脱却のいい手だてがあれば即刻、活用し、それによって日本経済の「失われた20年」打ち止めを高らかに宣言したい、と思っているのに、現実は、まるでアリ地獄のように次の10年への突入リスクが高まっている。しかし、ここはデフレ脱却の日本モデルづくりにチャレンジすると同時に、今こそ日本自体の大胆なフルモデルチェンジに取り組むべきだ。

「失われた10年」は日本の専売特許ではないが、20年も続いた国は見当たらず

この「失われた10年」は、日本の専売特許の言葉ではない。いろいろな国々で、長く停滞が続いた時期が10年という長期に及んだ時に、そのころを振り返って「失われた10年」と呼ぶことが多い。日本の場合、1990年代前半から2000年代初めにかけて、バブル経済が崩壊して不況に陥っただけでなく、名のある銀行や証券会社が経営破たんして金融システムそのものを揺るがす事態に及び、企業などが借金や負債の重圧から抜け出すために前向き投資よりも借金返済、リストラに走るバランスシート調整が経済をさらに委縮させてしまった。2001年3月、政府は「デフレ突入宣言」を行い、財政政策や金融政策といったマクロ政策総動員で手を打ったが、実体経済は大きく浮揚しないまま、低成長が当たり前となって「失われた20年」に入った。これほど長期に経済停滞が続いた事例は他の国を探しても見当たらない。

欧米では、デフレ長期化の日本の二の舞回避から「日本化を避ける」が合言葉?

今やそれが「失われた30年」突入という事態に陥ろうとしている。何とも不名誉なこと、極まりない。アジアの新興経済国からは、「日本っていう国は豊かな成熟国だが、経済政策の失敗などで長期経済停滞に入って身動きがとれなくなっている。経済社会に活力がなく、惨憺たる状態だ。政治の指導力もなくなっていて、改革に必要な荒療治のリスクをとりたくない、という状況だ。最近、欧米の先進国と称される国々の政策担当者の間では、日本の長期デフレ現象を見て『日本化を避ける』が合言葉になりつつある。われわれ後発の新興経済国にとっては、日本経済の長期停滞を失敗の研究の対象としてしっかりと見据える必要がある」と、言われかねない。

ここで、みんなが本気で態勢を立て直して、日本の強み、弱みを見極め、内向きの縮み志向から脱却する手立てを講じないと、アリ地獄からますます抜け出せなくなる、という感じがする。いま、こわいのは、いつも申し上げることだが、日本の周辺で地殻変動が起きていることを真剣に受け止めないと、日本は取り残される、置いてきぼりにあいかねないことだ。日本が「失われた20年」で内向きになっていた時に、グローバル社会では、すさまじい形でパワーシフトが起き、政治や経済の再構築を話し合う会議1つとっても、G7(欧米、日本の主要7カ国首脳会議、主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議)が新興国を加えたG20に移行している。

新興経済国台頭でパワーシフト、日本は取り残されない努力が何としても必要

と言っても、G20で新たなルールづくりが行えるかと言えば、現実問題として難しい。まだまだ欧米先進国の経験やノウハウが必要視されている。日本は、その面で同じ力量を持っているので、積極的にリーダーシップをとったりして復活するチャンスがある。ところが、今の日本のように、このまま内向きを続けていると、グローバルなパワーシフトに対応できる力を自ら、そぎ落としてしまい、ハッと気が付いたら、誰もが見向きもしなくなっているという最悪の事態もないではない。その意味でも、まずは「失われた30年」に突入しないように、デフレ脱却への手立てを真剣に講じるしかない。

「そんなことはわかっている。みんな、危機感をもって対応しているのだが、決め手を欠いて、ズルズルと現在に至っているのだ。あんたは、どうすればいいと思っているのだ」とお叱りを受けそうだ。

フルモデルチェンジのキーワードは「課題克服先進国」、新たな制度設計しかない

私にも「これしかない」という絶対的な妙案はない。しかし私がこれまで申し上げてきたのは、キーワード的には「課題克服先進国」「課題先進国」だ。社会システムデザイナーの横山禎徳さん、それに東京大の元総長で現三菱総研理事長の小宮山宏さんが使われている言葉だが、ポイントは、成熟国家ながら古くなりすぎた制度、枠組みを根本的に見直し、新たな制度設計、社会システムづくりを大胆に行い、さまざまな課題を克服すれば、後発の国々にとっては先進モデルとなり、日本は胸を張って「先進国」を自負できる、という点だ。「失われた30年」突入を阻止するには、日本の戦略的な強みの部分を伸ばすと同時に、弱みの部分を強みにどう変えて行くか、そのためには新たな発想で制度設計に取り組むことだ。まさに日本のフルモデルチェンジだ。

緒方貞子さんがいる国際協力機構でも信じられないような官僚主義が横行

実は、最近、独立行政法人の国際協力機構(JICA)に外部コンサルタントとして海外事業にかかわっている友人が帰国したので久しぶりに会った際、エッと驚く話を聞かされた。アフリカと中南米の2つのプロジェクトをこなすに際して、移動するのに便利だし移動費用の節減になると、現地間の移動を、東京の国際協力機構本部の担当者に進言したら「外部コンサルタントとの契約規定に従えば、東京にいったん戻って、東京発で次の契約地に移動してもらう必要がある。だから一時帰国を」というのだ。友人は「アフリカと中南米は大西洋を越えてすぐに行ける。税金の無駄遣いを避けるにも便利」と抵抗したが、頑として譲らず、やむなくムダを承知でアフリカ――東京、東京――中南米の飛行機便を使った、という。理事長の緒方貞子さんのような素晴らしいリーダーがトップにいる国際協力機構でさえ、こんな信じられない官僚主義がまかり通っているのだ。これは一例で、霞ヶ関の行政官庁では古い制度の枠組みから抜け出せないのだ。「課題克服先進国」の意味がおわかりいただけよう。

藻谷さんの現場踏まえた分析は素晴らしい、内需縮小への処方箋が間違いと鋭い

好奇心の強い経済ジャーナリストの性分で、私は、「これは面白い」と読んだ本の著者には何としても会って話を聞いてみたくなる。日本政策投資銀行の藻谷浩介さんもその1人だ。藻谷さんが書かれた著書「デフレの正体――経済は『人口の波』で動く」(角川書店)は他のエコノミストと違って、ジャーナリストと同様、現場を足で歩いて実証分析する点が素晴らしく、話にも説得力があるのだ。 チャンスがあって、藻谷さんに会ったが、本を読むよりも、同じテーマでも話を聞いた方が、なるほどと思わせてくれることが多く、はるかに面白かった。「時代刺激人」を広言する私が逆に刺激されてしまったほどだ。

藻谷さんの主張ポイントは、「日本経済は、個人消費が生産年齢人口の減少によって下ぶれてしまい、企業業績が悪化して、さらに勤労者の所得が減って個人消費が減るという悪循環に陥っている。それを何とか断ち切ろう」という点だ。
藻谷さんによると、生産年齢人口の減少に伴う内需縮小に対する処方箋として描かれがちな、生産性を上げろ、経済成長率を上げろ、景気対策として公共工事などを増やせ、インフレ誘導しろ、エコ対応の技術開発でモノづくりトップランナーとしての立場を守れ、といったことはどちらかと言えば筋違い。デフレがどうして起きたのか、その原因を見極めたら、そうした処方箋には至らない、という。

大都市、地方で現役世代の生産・消費年齢人口の減少、高齢者の激増に直視を

藻谷さんが日本各地の現場を歩いて見て得た経済実体のヒントは、人口変動の問題にある。端的には地方でも大都市でも現役世代の生産年齢人口の減少、裏返せば中核の消費年齢人口が減少していること、その一方で高齢者が激増していることが同時進行で起きている。人口流入が進む首都圏では、とくに顕著にその傾向がみられ、一見して、人口増で所得も小売売上高も伸びてしかるべきなのに、実体はその逆。高齢者が消費しないため、伸びない。都心部の大手百貨店の経営統合が進むのも、その表われだ、という。
だから、藻谷さんの結論は、1)生産年齢人口が減るペースを少しでも弱める、2)生産年齢人口に該当する世代の個人所得の総額を維持し増やす、3)個人消費の総額を維持し増やす3つの目標を掲げ、その目標到達に向けての手立てをとることだ、という。早い話が、消費拡大が経済を元気にするポイントというものだが、その消費を増やすための個人所得、家計所得の引上げを図るように知恵をめぐらすことだ。同時に、金融資産などの形で所得をすでに保有している高齢者には、現役世代におカネが回るようにモノの消費だけでなく健康確保のさまざまなサービス消費に向かうような手立てをみんなで考えるべきだ、というものだ。

私は、大胆にさまざまな分野での制度設計を行い、「課題克服先進国」につなげることが大事、それに関連して改革も随所に行って新たな需要創出につなげろ、という立場だが、藻谷さんの指摘は、デフレが何で起きたか、その原因分析を行い、そして処方箋を講じることだ、というもので、傾聴に値するものだ。ぜひ、その著書を読まれたらいい。

浜さんの「デフレが日本人の優れた感性を蝕む」という指摘にも共感

なかなか鋭い分析で感心し、私がファンになりつつある同志社大学教、授浜矩子さんが書かれた「ユニクロ型デフレと国家破産」(文春新書)で、デフレの状況をうまくとらえておれるので、ポイント部分を少し引用させていただこう。
「ついこの前まで750円で売っていた弁当が、250円で手に入るのだ。その値段に一度馴れてしまったら最後、元の値段の弁当や食事は『高すぎる』ことになってしまう。さらには、食材を買ってきて調理することさえ、損だとみなされないとも限らない。激安衣料も同様である。このままではまともな値段の商品はどんどん売れなくなり、気がつけば『格安商品』しか生き残らなかった、という事態も起きかねない。そして、もっと憂慮すべきは、安売り競争を可能にしている極端なコスト圧縮が、労働者の賃金切り下げと直結している、という点だ」と。
さらに浜さんが指摘する「デフレが日本人の優れた感性を蝕む」という点はまさにそのとおりだと思う。「デフレが続けば家のリビングに置くものも、食べるものも単調になって、五感を刺激することがますます減っていく。デフレは人をバカにする。そして、確実にいま、日本の世の中から創造性が失われつつある」と。
2011年は、日本をフルモデルチェンジするきっかけになる年にしたいものだ。

2010年最後の「時代刺激人」コラムで、デフレにあえぐ日本経済が、このまま状況に流されていけば「失われた30年」突入という不名誉な事態になりかねない問題をとりあげたい。率直に言って、誰もがそんな事態を望んでいない。それどころか政治も行政、それに経済界、生活者としての国民の誰もが、デフレ脱却のいい手だてがあれば即刻、活用し、それによって日本経済の「失われた20年」打ち止めを高らかに宣言したい、と思っているのに、現実は、まるでアリ地獄のように次の10年への突入リスクが高まっている。しかし、ここはデフレ脱却の日本モデルづくりにチャレンジすると同時に、今こそ日本自体の大胆なフルモデルチェンジに取り組むべきだ。

「失われた10年」は日本の専売特許ではないが、20年も続いた国は見当たらず

この「失われた10年」は、日本の専売特許の言葉ではない。いろいろな国々で、長く停滞が続いた時期が10年という長期に及んだ時に、そのころを振り返って「失われた10年」と呼ぶことが多い。日本の場合、1990年代前半から2000年代初めにかけて、バブル経済が崩壊して不況に陥っただけでなく、名のある銀行や証券会社が経営破たんして金融システムそのものを揺るがす事態に及び、企業などが借金や負債の重圧から抜け出すために前向き投資よりも借金返済、リストラに走るバランスシート調整が経済をさらに委縮させてしまった。2001年3月、政府は「デフレ突入宣言」を行い、財政政策や金融政策といったマクロ政策総動員で手を打ったが、実体経済は大きく浮揚しないまま、低成長が当たり前となって「失われた20年」に入った。これほど長期に経済停滞が続いた事例は他の国を探しても見当たらない。

欧米では、デフレ長期化の日本の二の舞回避から「日本化を避ける」が合言葉?

今やそれが「失われた30年」突入という事態に陥ろうとしている。何とも不名誉なこと、極まりない。アジアの新興経済国からは、「日本っていう国は豊かな成熟国だが、経済政策の失敗などで長期経済停滞に入って身動きがとれなくなっている。経済社会に活力がなく、惨憺たる状態だ。政治の指導力もなくなっていて、改革に必要な荒療治のリスクをとりたくない、という状況だ。最近、欧米の先進国と称される国々の政策担当者の間では、日本の長期デフレ現象を見て『日本化を避ける』が合言葉になりつつある。われわれ後発の新興経済国にとっては、日本経済の長期停滞を失敗の研究の対象としてしっかりと見据える必要がある」と、言われかねない。

ここで、みんなが本気で態勢を立て直して、日本の強み、弱みを見極め、内向きの縮み志向から脱却する手立てを講じないと、アリ地獄からますます抜け出せなくなる、という感じがする。いま、こわいのは、いつも申し上げることだが、日本の周辺で地殻変動が起きていることを真剣に受け止めないと、日本は取り残される、置いてきぼりにあいかねないことだ。日本が「失われた20年」で内向きになっていた時に、グローバル社会では、すさまじい形でパワーシフトが起き、政治や経済の再構築を話し合う会議1つとっても、G7(欧米、日本の主要7カ国首脳会議、主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議)が新興国を加えたG20に移行している。

新興経済国台頭でパワーシフト、日本は取り残されない努力が何としても必要

と言っても、G20で新たなルールづくりが行えるかと言えば、現実問題として難しい。まだまだ欧米先進国の経験やノウハウが必要視されている。日本は、その面で同じ力量を持っているので、積極的にリーダーシップをとったりして復活するチャンスがある。ところが、今の日本のように、このまま内向きを続けていると、グローバルなパワーシフトに対応できる力を自ら、そぎ落としてしまい、ハッと気が付いたら、誰もが見向きもしなくなっているという最悪の事態もないではない。その意味でも、まずは「失われた30年」に突入しないように、デフレ脱却への手立てを真剣に講じるしかない。

「そんなことはわかっている。みんな、危機感をもって対応しているのだが、決め手を欠いて、ズルズルと現在に至っているのだ。あんたは、どうすればいいと思っているのだ」とお叱りを受けそうだ。

フルモデルチェンジのキーワードは「課題克服先進国」、新たな制度設計しかない

私にも「これしかない」という絶対的な妙案はない。しかし私がこれまで申し上げてきたのは、キーワード的には「課題克服先進国」「課題先進国」だ。社会システムデザイナーの横山禎徳さん、それに東京大の元総長で現三菱総研理事長の小宮山宏さんが使われている言葉だが、ポイントは、成熟国家ながら古くなりすぎた制度、枠組みを根本的に見直し、新たな制度設計、社会システムづくりを大胆に行い、さまざまな課題を克服すれば、後発の国々にとっては先進モデルとなり、日本は胸を張って「先進国」を自負できる、という点だ。「失われた30年」突入を阻止するには、日本の戦略的な強みの部分を伸ばすと同時に、弱みの部分を強みにどう変えて行くか、そのためには新たな発想で制度設計に取り組むことだ。まさに日本のフルモデルチェンジだ。

緒方貞子さんがいる国際協力機構でも信じられないような官僚主義が横行

実は、最近、独立行政法人の国際協力機構(JICA)に外部コンサルタントとして海外事業にかかわっている友人が帰国したので久しぶりに会った際、エッと驚く話を聞かされた。アフリカと中南米の2つのプロジェクトをこなすに際して、移動するのに便利だし移動費用の節減になると、現地間の移動を、東京の国際協力機構本部の担当者に進言したら「外部コンサルタントとの契約規定に従えば、東京にいったん戻って、東京発で次の契約地に移動してもらう必要がある。だから一時帰国を」というのだ。友人は「アフリカと中南米は大西洋を越えてすぐに行ける。税金の無駄遣いを避けるにも便利」と抵抗したが、頑として譲らず、やむなくムダを承知でアフリカ――東京、東京――中南米の飛行機便を使った、という。理事長の緒方貞子さんのような素晴らしいリーダーがトップにいる国際協力機構でさえ、こんな信じられない官僚主義がまかり通っているのだ。これは一例で、霞ヶ関の行政官庁では古い制度の枠組みから抜け出せないのだ。「課題克服先進国」の意味がおわかりいただけよう。

藻谷さんの現場踏まえた分析は素晴らしい、内需縮小への処方箋が間違いと鋭い

好奇心の強い経済ジャーナリストの性分で、私は、「これは面白い」と読んだ本の著者には何としても会って話を聞いてみたくなる。日本政策投資銀行の藻谷浩介さんもその1人だ。藻谷さんが書かれた著書「デフレの正体――経済は『人口の波』で動く」(角川書店)は他のエコノミストと違って、ジャーナリストと同様、現場を足で歩いて実証分析する点が素晴らしく、話にも説得力があるのだ。 チャンスがあって、藻谷さんに会ったが、本を読むよりも、同じテーマでも話を聞いた方が、なるほどと思わせてくれることが多く、はるかに面白かった。「時代刺激人」を広言する私が逆に刺激されてしまったほどだ。

藻谷さんの主張ポイントは、「日本経済は、個人消費が生産年齢人口の減少によって下ぶれてしまい、企業業績が悪化して、さらに勤労者の所得が減って個人消費が減るという悪循環に陥っている。それを何とか断ち切ろう」という点だ。
藻谷さんによると、生産年齢人口の減少に伴う内需縮小に対する処方箋として描かれがちな、生産性を上げろ、経済成長率を上げろ、景気対策として公共工事などを増やせ、インフレ誘導しろ、エコ対応の技術開発でモノづくりトップランナーとしての立場を守れ、といったことはどちらかと言えば筋違い。デフレがどうして起きたのか、その原因を見極めたら、そうした処方箋には至らない、という。

大都市、地方で現役世代の生産・消費年齢人口の減少、高齢者の激増に直視を

藻谷さんが日本各地の現場を歩いて見て得た経済実体のヒントは、人口変動の問題にある。端的には地方でも大都市でも現役世代の生産年齢人口の減少、裏返せば中核の消費年齢人口が減少していること、その一方で高齢者が激増していることが同時進行で起きている。人口流入が進む首都圏では、とくに顕著にその傾向がみられ、一見して、人口増で所得も小売売上高も伸びてしかるべきなのに、実体はその逆。高齢者が消費しないため、伸びない。都心部の大手百貨店の経営統合が進むのも、その表われだ、という。
だから、藻谷さんの結論は、1)生産年齢人口が減るペースを少しでも弱める、2)生産年齢人口に該当する世代の個人所得の総額を維持し増やす、3)個人消費の総額を維持し増やす3つの目標を掲げ、その目標到達に向けての手立てをとることだ、という。早い話が、消費拡大が経済を元気にするポイントというものだが、その消費を増やすための個人所得、家計所得の引上げを図るように知恵をめぐらすことだ。同時に、金融資産などの形で所得をすでに保有している高齢者には、現役世代におカネが回るようにモノの消費だけでなく健康確保のさまざまなサービス消費に向かうような手立てをみんなで考えるべきだ、というものだ。

私は、大胆にさまざまな分野での制度設計を行い、「課題克服先進国」につなげることが大事、それに関連して改革も随所に行って新たな需要創出につなげろ、という立場だが、藻谷さんの指摘は、デフレが何で起きたか、その原因分析を行い、そして処方箋を講じることだ、というもので、傾聴に値するものだ。ぜひ、その著書を読まれたらいい。

浜さんの「デフレが日本人の優れた感性を蝕む」という指摘にも共感

なかなか鋭い分析で感心し、私がファンになりつつある同志社大学教、授浜矩子さんが書かれた「ユニクロ型デフレと国家破産」(文春新書)で、デフレの状況をうまくとらえておれるので、ポイント部分を少し引用させていただこう。
「ついこの前まで750円で売っていた弁当が、250円で手に入るのだ。その値段に一度馴れてしまったら最後、元の値段の弁当や食事は『高すぎる』ことになってしまう。さらには、食材を買ってきて調理することさえ、損だとみなされないとも限らない。激安衣料も同様である。このままではまともな値段の商品はどんどん売れなくなり、気がつけば『格安商品』しか生き残らなかった、という事態も起きかねない。そして、もっと憂慮すべきは、安売り競争を可能にしている極端なコスト圧縮が、労働者の賃金切り下げと直結している、という点だ」と。
さらに浜さんが指摘する「デフレが日本人の優れた感性を蝕む」という点はまさにそのとおりだと思う。「デフレが続けば家のリビングに置くものも、食べるものも単調になって、五感を刺激することがますます減っていく。デフレは人をバカにする。そして、確実にいま、日本の世の中から創造性が失われつつある」と。
2011年は、日本をフルモデルチェンジするきっかけになる年にしたいものだ。

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