ローマ法王にも愛された! 日本発!! 世界に負けないブライダルデザイナーの裏側に迫る
株式会社ユミカツラインターナショナル
代表取締役社長
結城 由美(桂 由美)
幼い頃は夢見る少女、おとぎ話の世界に浸り、やがて彼女は世界的なファッションデザイナーになった。日本にブライダルという言葉を定着させた、株式会社ユミカツラインターナショナルの代表取締役社長・結城由美(桂由美)。世界の桂由美の成功を支えているものとは何か。いくつものチャンスをものにした彼女の思いとは。
桂やっぱり母はもう、私、女きょうだい2人しかいなかったので、私に後を継がせたい一心で共立も入れたわけでしょ。そしたら少し曲がった方向に行って。
蟹瀬本人は演劇やりたくなっちゃったと?
桂そうなんですよ。で、私たちのグループのリーダーが芥川龍之介の息子さん、芥川比呂志さんだったんですね。それで母が、才能があるんだったら、進ませたくもないけど、実はこういう事情だっていうことを芥川さんに話したんですよ。
卒業公演のとき、三越劇場で卒業公演あって。そしたら芥川さんが「いや、これからの新劇、昔はこの世界、早く始めるほうがいいって言われたけどそうじゃないんだ」と、「自分も30になってからこんなことし始めた」と、「それでもこうやって、やっているんだから、あなたが大学を卒業して、それから文学座に来てくれてもちっとも遅くはないし、この世界に今必要なのはインテリジェンスだ、知性だ」って言うんですね。
「だからともかく大学を出ていらっしゃい」って言われて、そうすると大体親がそういうこと言うと、ものすごく反抗するんですけど、もっとも尊敬する人にそう言われると。
蟹瀬芥川さんに言われてしまうと。
桂そうです。で、おとなしく共立へ戻ったわけですよ。で、戻ると同時に、その文学座にいた1年間の間に共立で威張っているほど私の才能なんてのは、大したことないんだなっていうことを嫌というほど、ものすごく。
蟹瀬やはり周りに非常に素晴らしい才能を持った人たちがいるということに気づかされたと。
桂そうです。
蟹瀬そしてお母さまの、この専門学校のほうの先生になられると同時に、今度はパリのほうへ修行といいますか行かれていますよね。パリではどういうことを学ばれました?
桂そうですね。
桂私は本当に、縫うということが不器用で下手だったので、それで母の跡を継ぎたくないっていうのもそういうことだったんですが、実際いろんな分野があるなと。服装史を研究するという分野もあるし、スタイリストという分野もあるし、デザイナーで自分が手間暇かけて縫わなくても、他の人が縫ってくれるということもあるんだという道を発見しました。
蟹瀬絵を描いてですね、自分のほうは。
桂はい。ですからパリで1年間やったことで、一番大きな収穫は、本物を見るという、本物がなかったんですよ、日本には。いわゆる美術館、コスチューム美術館みたいなものもなくて、映像とか写真で見るだけですから、それが勉強できたこと。それから学校では、やっぱり全てエレガンスにつながるわけで、何をやっても「これはエレガンスではない」とか「エレガンスとはこういうものだ」というのを徹底的に叩き込まれたというふうに思っています。
津島パリから帰国した桂さんは、本格的にブライダルのビジネスを開始します。
津島1962年、帰国後、再びファッション専門学校で講師を勤めます。世界のブライダル事情視察の旅。1964年、東京・赤坂に「ブライダルサロン」オープン。1965年、日本初の「ブライダルショー」を開催。そして1974年、東京・南青山に本格的ブライダルハウスを創設ということです。
蟹瀬桂さんとウェディングというか、このブライダルとの出会いというのは、卒業制作ということだったのです?
桂そうなんですね。それで一緒に生地を探しにいくとか、あるいは出来上がってからアクセサリー探しに行くでしょ?
蟹瀬ええ。
桂本当、オールナッシングというか何にもないんですよ、日本。
蟹瀬日本にはなかったと。
桂大体ウェディングシューズというのがないとか、それからネックレスなんかでも、そういう真珠の1連2連ぐらいはあるんですけど、デザイン物が全然ない。花は花屋行くと、花は売ってくれるけどフラワーデザイナーなんてないから、どうやってブーケつくるのか分からないから「自分でつくりなさい」ということになる。
津島何もなかったのですね。
桂それと生地が大体ないんですね。ウェディングドレスって、ああいうふうに後ろにトレーン引いたりするから幅の広い生地がどうしても要るんですけど、その当時一番幅が広いので92センチしかないんですよ。ところがヨーロッパだったら92のダブルというのがあるわけですよね。今はもう私たちそういうのを使っていますけど。
蟹瀬それとそういう状況だとドレスを着たいという場合には、当然オーダーになる?
桂そういうことです。
蟹瀬そうしたらもう、大変なお金がかかったのでしょうね?
桂しかもサンプルがない、そのオーダー屋さんにですね。だから着てみないで決めるわけです、写真だけで「これ」というでしょう。そうしたらその当時、今より大体10センチから12センチ背が低かったのですから。
蟹瀬日本人のアベレージが?
桂日本人のアベレージが。だからモデル、向こうの写真で決めるわけでしょう?
津島はい。
桂海外のモデルとはまるっきりプロポーションが違うわけ。
蟹瀬(笑)。
津島大変(笑)。
桂だから、袖が大きすぎちゃったとか、似ても似つかないものができるという。
蟹瀬それはもう作ってしまったものだから着ざるを得ないと。
桂そうなんです! それをしかも半年のサラリーぐらいはたかないと、オーダーですからね。今でもそれはオーダーだと、やっぱり100万以上しますよね。それをはたいてそういうことでしょう。本当にこれは気の毒で見ていられなかったんです。だから私は、将来こんなふうに100パーセントウェディングドレスを着る時代になるというふうな、ビジネスが目標でこの仕事を始めたのではなくて、本当そのたった3パーセントしかいなかったんですね、97パーセントは着物着て結婚式やっていたわけですけど、でもその3パーセントの人が見ていられなかったんですよ。
蟹瀬では自分で、やはりそういうお店をきちんと日本で作ってみようと。
桂そう、助けてあげたいと。
蟹瀬そのためにいろいろ世界回られたそうですね?
桂そうですね。
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