世界シェア8割の根幹!「オープンでフェア」な判断が、結束と対話をつくる
株式会社堀場製作所
代表取締役会長兼社長
堀場 厚
目まぐるしく変化する社会情勢。そんな時代にこそ、その先を読み、己の信念と緻密な戦略のもと、大胆な決断をくだす賢者たち。人生のさまざまな局面で、彼らは何を考え、どんな選択をしてきたのか。分析機器メーカー、株式会社堀場製作所の選択、堀場厚社長の決断とは?
堀場やはり電気のことを勉強しないと、とてもじゃないけれども開発、堀場製作所にとっては当時開発が花形部署だったもんですから……。
蟹瀬そうですよね、ものづくりのところですからね。
堀場電気を勉強しようということで、たまたまチャンスがあったんですけども。
蟹瀬で、このカリフォルニア大学で?
堀場はい。
蟹瀬実際にアメリカの大学、私も経験ありますけど、日本の大学と比べればものすごい勉強量ですよね?
堀場そうですね。その情報が入ってなくて、編入したのはいいんですけれども、次の日から後悔の連続で、ご存じのように、アーバーインという南カリフォルニアで、青空で空気が澄んで、仕事のほうも5時に終わってからゴルフ場に行って1ラウンドできるような、街はきれいですし、食べ物も決して悪くないですし、そこから急に地獄のような世界に入りまして。
津島すごいんですか?
堀場すごいんですよ。これはもう(笑)、宿題は当然クラスが終わるごとにあるんですね。それから次のクラス始まるときに10分間ドリルというのがあるんです、テストが。で、宿題をきちっとしておくと、そのドリルが解けるんです。かつ技術計算機を使うんですけども、それがある程度マスターしておかないと、その時間内に解けないんですね。それ以外に、週に月曜の朝の8時に持って行く宿題があって、よくこれだけ押し込めるなというぐらい……。
蟹瀬膨大な量の、とにかく……。
津島すごいですね。
蟹瀬読むものとか試験だとかいろんなものがですね。
堀場かつ私の行ったUCのアーバーインというのは大学ができて10年ぐらいで教授陣が全部若くて張り切ってまして……。
蟹瀬やる気になっている。
津島(笑)。
堀場大体30代から40代前半。
津島なるほど。
蟹瀬そしてそのアメリカでは、そんなに忙しいのにパイロットの試験も受けられてると。
堀場そうですね。
蟹瀬これはだけど大変なことがおありだったそうですね?
堀場お金はなかったんですが、友達がいたんですね。友人に私がパイロットも旅客機ではなくて戦闘機乗りになりたかった、で、実際は自由に飛べないんですけど、思い切っていろんなところに飛べるというので、そういう話をしてたら、じゃあライセンス取ればいいじゃないかと。
それで、その友達がそのインストラクターを紹介してくれまして、そして飛行機がありますよね?練習の。そうするとそのインストラクターが、またその友人を紹介して、ほとんどガソリン代だけで飛行機貸してもらいまして、結局飛行機野郎なんです、みんな。だから飛行機が好きだと、ジャパニーズのステューデントというか若いのが言っていると、じゃあ教えてやろうという感じなんですね。
蟹瀬でも習っている最中に大変なご経験をなさったと伺っていますけど。
堀場そうなんですね。ソロ飛行といって、インストラクターがいつもついているんですが、それが降りてひとりで飛ぶときがあったんですが、そのわれわれのオレンジカウンティ、パームスプリング、サンディエゴというふうに回って、帰ってきたときに飛行場がクローズドになっていました、天候が悪くて。
蟹瀬不天候で、降りれないじゃないですか?
堀場降りれないんです。で、少し待っていたんですね、くるくる回って、で、そのうちに燃料がなくなってきたものですから、「着陸したい」と言うと「他の飛行場へ行け」と、でもあと30分しかなかったんです。で、30分かかって行くと燃料切れになるかもしれません。
それで、行こうとしたときに、雲の切れ目から嘘みたいな本当の話なんですが、ディズニーランドのお城が見えたんですよ、切れ目から。で、ピュッと降りて、そのままそのオレンジカウンティエアポートに強行着陸したんですよ、というのは、墜落するかもしれない。
そうしたら、まず30分間ほど怒られまして、で、私、思ったときには、これ、まず新聞沙汰になる、それから私はライセンスが取れない、それから一番心配したのは、私のインストラクターがインストラクターのライセンスを失う。でも結局それが起こらなくて、新聞沙汰にならない、私はライセンス取った、インストラクターはライセンスを失わなかったんですね。というより、彼の家にその後、謝りに行ったら、ドアをパッと開けた途端に、「コングラッチュレーション」と言ったわけですよ。
蟹瀬「おめでとう」って?
堀場はい。なぜかというと、「これでおまえは一人前のパイロットになったね」と言ったんです。で、「次からは天候チェック、燃料を満タンにする、それから最も良かったのはおまえは墜落しなかったことが良かった」と、当たり前なんですけど……。
蟹瀬日本ではあり得ないですよね。
津島そうですね。
堀場日本だと逆ですよね。かつその、前の日に30分間僕をがみがみ怒ったコントロールタワーの担当官が、次の日飛行機で離陸練習で行くと、「サヨナラ」って日本語で言ったんですね。で、彼もそれでおまえは一人前のパイロットになって良かったねという、日本で絶対ない世界ですよね。
津島ないですよね。
蟹瀬日本だったら、どんどん減点主義になっていくから……。
堀場だからこれで終わりですから、結局経験したことがない人が人を乗せて墜落するわけで、でもひとりだったから割と冷静だったんですよね。だからそれを私は会社のマネージでも生かしたいなと思うようになったんですね。
蟹瀬本当にチャレンジする……。
堀場そうですね。
蟹瀬チャレンジした結果、何かが出たらそれは素直に褒めるという?
堀場そう、チャレンジすれば必ず失敗するわけですよね。でもその失敗を財産にしていくのが一番大切ではないかなと思うんですけど。
津島アメリカから帰国後、堀場さんは海外事業をはじめ、数々の要職を歴任します。
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