生活の代弁者として提案するアイリスオーヤマのアイデアの源泉とは
アイリスオーヤマ株式会社
代表取締役社長
大山 健太郎
プラスチックがまだ新素材としてもてはやされていた頃、業界で初めて透明なプラスチック、ポリプロピレン樹脂を開発したのが、アイリスオーヤマ株式会社。メーカーベンダーという新しい業態を提唱した代表取締役社長 大山健太郎が語るものづくりとアイデアの源泉とはどのようなものか。グローバルな視点から語る。
大山当初は西日本向けのお客さまに商品供給しておりました。で、真珠養殖っていうのはそれこそミキモトさんが三重県でやられて、そして四国、九州に養殖場が広がっていったのですが、その当時は大阪でよかったのです。で、真珠の需要がなくなったおかげで、結局は北海道のホタテだとか、あるいは東北のワカメだとか、そういうような養殖に使っていただこうということで、大阪からその当時北海道へ、東北へ商品を供給していたのです。輸送費が高くなるし、当然お客さんからも、せっかくなら北海道に出てこい、東北へ出てこいと、いうことで大阪工場があって、東日本向けに仙台の工場という形で。
蟹瀬なるほどですね。その間の売り上げの推移というのはどうだったのですか?
大山スタートしたときは年商500万の会社だったのですけど、それこそ売買で7億円近くまで上がりまして、ですから大阪の工場だけじゃもう間に合わないということで、仙台に工場をつくり、おかげで行った当初、14億ぐらいまで売り上げが膨らんでいったのですが。
蟹瀬すごいですね。
津島この後、大山さんは倒産の危機にさらされました。
津島1973年、オイルショック。1978年、大阪工場閉鎖。そして1980年、園芸用品の分野へ進出ということです。
蟹瀬このオイルショック、私もちょうど大学の3年生ぐらいですかね、ですからはっきり覚えていますが、銀座のネオンが消えて、総理大臣が半袖のスーツを着て省エネルックとかいって、とにかく街全体が暗くなった、景気も当然のことながら冷え込んで、ここでやはり相当厳しい状況になったのですか?
大山特に産業界全般ですけど、特にわれわれプラスチックというのは100パーセント原油を原料として成り立っているわけですから、本当にオイルショックのときは逆にお客さまが先を争って商品を調達されたのです。ですからわれわれは自分の営業力が強くなってよく売り上げが上がったと思ったのですが、そうではなく値上がり前に買おうという仮需要がありまして。
蟹瀬それは続かないですよね?
大山そうなんですよ。それがある程度オイルショックが沈静化しますと、業界全体が供給過剰になるということで、まさしくマーケットがダンピングになると。で、当社は専業メーカーでしたからね。他は、当然大手さんだとか副業でやっているところ、子会社でやっているところがありまして、だからマーケットがまさしく投げ売りになってしまったんですね。
ですからそれだけならまだよかったのですが、結局原料代にもならないような形で価格は下がるものですから、やればやるほど赤字です。ですから約10年間、われわれが蓄積してきたその資産というのでしょうか、もうあっという間に2年ぐらいでなくなってしまう、もう債務……。
蟹瀬そして、この本社のほうである大阪工場のほうを閉鎖するという決断をなさっていますよね? これは経営者としてはとても難しい決断だったと思うのですけど。
大山はい。それは、私はちょうど30歳のときですから、若かったというのが一つだと思うのですね。これに逆に40、50ならやはり出身地に戻りたいということになるのでしょうけど、大阪の工場はまさしく自宅の裏からスタートした手狭な形で古い工場……仙台の工場は比較的土地も大きくし、あと設備も新しいということで、それであればその二つの工場を維持するだけの今、売り上げもないしということで、リストラで、あえてその本社である大阪の工場を閉鎖して、そして東北の企業にという形の決断をさせていただいたと。
蟹瀬今、リストラっておっしゃいましたけど、経営者としてそのときってどういうお気持ちなのですか?
大山私、若かったですから、社員もほとんど私よりかは年配の人というか、同年代の人が多かったので、仲間で仕事をしているような雰囲気で、そういう人たちを、やはり解雇するっていうのは本当に忍びなかったですね。
ですから私、それまではメーカーっていうのは品質が良くて、そして大量生産をしてコストを下げて、ブランドを形成すれば、少々不況があってもすぐにリカバリーできるのだと、こういう信念でやってきたのですが、まさにオイルショックがそういうような波ではなく、津波だったのです(笑)、業界全体が……。
蟹瀬飲み込まれるような、大きな波が2回も来ましたわけですよね。
大山はい。そうしますと、ブランド力だ、品質力だ、価格競争力だっていうのが、なんの力にならないことをそのときに私は非常に体験いたしましてね。
蟹瀬そして涙を飲んで解雇ということをなさったということですけども、実際にその危機、当然乗り越えてこられたわけですね? どういう形で乗り越えられたのですか?
大山そうですね。
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