社員との関係がお客様との関係を作る。エステ業界に新風を起こす女社長の手法
株式会社シェイプアップハウス
代表取締役
下村 朱美
25歳でエステティックサロンを立ち上げた、株式会社シェイプアップハウス 代表取締役 下村 朱美。社員との関係、資金、母との死別など、さまざまな困難を乗り越えながら、当時は高級路線で敷居が高かった業界に独自の路線を敷きながら、自社のエステティックサロンを人気店へと成長させた、その手腕とは?
下村県立なのに寮がある高校だったのです。
蟹瀬じゃあ親元を離れて暮らされた?
下村そうです。3分の2ぐらいが下宿生活をして、そこで勉強しておりました。
蟹瀬ご両親は反対なさらなかったのですか?下宿させる、その一人娘をね。
津島ねえ。
下村あまり手伝いもしない娘だったのですけども、出ていくときに母が、「私はあなたが1人で生きていけるように今まで育てました」で、「信じていますよ」って言われたのです。どうだったのでしょうね、一人っ子でしたから、独立とか自立とかをちゃんとさせないといけないって思っていたようですね。
蟹瀬お父さんもお母さんもそのへんのところは注意を払われたと?
下村そうですね。
蟹瀬そして、京都の池坊短期大学に進学されていますけど、これはもう最初からあそこへ行こう!というふうに思ってらっしゃったのですか?
下村はい。京都が憧れの地でしたから、とにかく京都に行きたいと。あとは、母が仕事をしたことがなかったのです。昔、仕事がしたかったと、だけども祖父が「女が仕事をするなんてとんでもない」って言われて、私に小さいときから「あなたは仕事をしなさい」って、「手に職をつけなさい」って言っていたのですね。その当時ですから、女性で手に職をつけるっていうので、すぐに薬剤師がいいなと思ったんのです。で、薬剤師になろうと思ったのですけども、夢が叶わずに落ちてしまいまして。
蟹瀬あ、受験されて?そういう学校を。
下村はい。それで、池坊に縁がありまして、行かせていただくことになりました。
蟹瀬だけど種子島から当時京都へ出てくるっていうのは大変なことだったわけでしょう?
下村多分、一人だけだったと思うのですけどね(笑)
津島珍しいですよね。
下村はい。
津島寂しくなかったですか?
下村寂しかったですよ。1年間ぐらいはホームシックで、河原町を歩いていても、ビルが自分に向けて崩れ落ちてくるのじゃないかくらいすごく寂しくって、夏休みとか冬休みとか待っていられないで、 1週間前にはもう帰っていました、四捨五入でですね(笑)。
津島そうですか、寂しすぎて(笑)。
蟹瀬ちょっと情けない(笑)。
下村情けない、情けない(笑)。
蟹瀬だけどそこを無事出られて、そして次はカリフォルニアへ行かれていますよね?語学留学。これはどういう気持ちからなのですか?
下村それもね、小さい頃から英語が好きだったのです。小学校の頃から英語が好きで、中学は父が夜に家庭教師の先生のところに送っていってくれて迎えにきてくれて、ずっと英語を習っていたのです。そういうのがあって、だからどうしてもどれくらい通じるのか、本場に行ってみたいと思って、それで留学させてもらいました。
蟹瀬僕も記憶ありますけど、語学留学なんかで行くと、ずっといたくなりますよね。そういうこと考えなかったですか?
下村私も、他の日本人と同じように向こうでTOEFLを受けて、それで正規留学して5、6年いようと思ったのです。だけどやっぱり当時はアメリカに3カ月以上いると見合いの話も来なくなるとか、そういう時代でしてね。で、そのときは父が反対しまして、帰ってくるようにということで、帰ってきました。
津島わずか半年で帰国した下村さん、この後、運命が大きく動き出します。1979年、シャルマン水野化粧品代理店ベルベナー設立。1982年、シェイプアップハウスを大阪難波に出店。1984年、株式会社シェイプアップハウスを設立、代表取締役に就任。そして1986年、男のエステ、ダンディハウスを開店。株式会社ミス・パリ設立、代表取締役に就任ということです。
蟹瀬アメリカから帰られて、いきなり化粧品の代理店業。
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