社員との関係がお客様との関係を作る。エステ業界に新風を起こす女社長の手法
株式会社シェイプアップハウス
代表取締役
下村 朱美
25歳でエステティックサロンを立ち上げた、株式会社シェイプアップハウス 代表取締役 下村 朱美。社員との関係、資金、母との死別など、さまざまな困難を乗り越えながら、当時は高級路線で敷居が高かった業界に独自の路線を敷きながら、自社のエステティックサロンを人気店へと成長させた、その手腕とは?
蟹瀬これはどういういきさつから始められたのですか?
下村とにかく家に帰りたくなかったですから、仕事をすると。で、何の仕事をするかっていうのも何も頭にありませんで。そしたら知り合いが、「化粧品の仕事はどう?」って言われて「じゃあそれします」って。
蟹瀬あまり深く考えないで?
下村何にも考えなくって。
蟹瀬そこにチャンスがあったから?
津島即答?
蟹瀬思い切ってやってみたのですね?
下村はい、そうです。
蟹瀬実際にやりだしてどうでした? 順調に進みました?
下村「やりますよ」って言って、1週間ぐらいしたら家に化粧品が箱詰めでいっぱい届きましてね、もうびっくりしました。どうしたらいいのだろう、これを売らなきゃいけない。だけど分からないわけでしょう?
いつも行っていた喫茶店に行って、皆さんに、顔なじみがいますから「どうしよう。化粧品を売らなきゃいけない」っていう話をしたら、「じゃあうちのお母さんに話してあげる」とか「うちの勤めている会社の社長さんに話してあげる」とかですね。
蟹瀬だけどそういう化粧品を売る場合には、当然のことながらある種の内容も知ってなければいけないし、いろんな技術を身に付けてないと売れませんよね?そのへんはどうなさったのですか。
下村そうです。その化粧品会社は本社が東京にありまして、関西にはまだ進出してなくって、名古屋とか広島に売っていたのです。そこで美容室に化粧品を卸している会社だったんです。美顔法を美容師さんたちに講習会をしまして、そして化粧品を流していく、そういうふうな講習会に私も出させてもらって、一から、お美顔の技術から教えてもらいました。
蟹瀬それ、どのぐらいの期間やられるものなのですか?
下村私は、そうですね、何回ぐらい行きましたでしょう? 覚えが悪かったですので7、8回ぐらい?講習を受けて。あとはずっと練習をしておりました。
蟹瀬実際のところ売り上げってどのぐらいだったのですか? もし差し支えなければ。
下村100万売れば……。
蟹瀬月に?
下村はい。
下村100万売れば、60〜70万ぐらいが残るお商売だったのです。
蟹瀬手元に。で、実際はどのぐらい売れたのですか?
下村100万、150万とか。
津島すごいですね!
蟹瀬最初から? 最初はでもそんなでしょう?
下村最初は少ないですよ。最初は1万、2万から始まりまして、私だけで売れませんので母も手伝ってくれたりとかして。
蟹瀬一家総動員(笑)。
津島そうですね。いろんな方の助けでね。
下村こんな手帳があって、こんな手帳が母の売上帳なのですよ。そんなことやったことないでしょう? 何月何日に何々さんにローション1本とクリームを売りました、いついつ払ってもらいました、全部文章なんですけどね、その売上帳が。
蟹瀬スタッフはどうなさったのですか?
下村最高で3人までになりました。
蟹瀬そのスタッフとはうまくいっていたのですか?
下村美容の世界では私が先生だったのです。美容室に臨店(りんてん)という形で行きますと、美容室のお客様たちを美容師さんたちが集めてくれていて、そこでカウンセリングをしたり、技術をしたりして、そして化粧品も買っていただいたりっていう仕事だったのですけども。それをだんだんにスタッフにやってもらいたいのですけど、だけどもどうしても下村先生じゃないと嫌だって。
蟹瀬本来だったらスタッフもそういうふうになるように育てなければいけない立場ですよね?
下村はい。育てなければいけなかったのですけど。
蟹瀬そのへんは悩まれました?
下村悩みましたね。みんな、何かをしたいって思ってくれていたのですけども、どうしても運転手ぐらいにしかならないんですよね。どうしても先生にしてほしい。先生と話したい。いろんなお話をしたいのですね。
蟹瀬そのあたりからエステティックサロンのほうへというお気持ちになったわけですか?
下村そうですね。美容師さんたちは技術はすごく得意なのですけど、ものを売るのが得意じゃないと。で、化粧品を売ったら、お客様に逃げられちゃうって、そういうふうな思いがあって、なかなか店販に結びつかないっていうことと、それからもう一つは、私もエステティックサロンに出入りさせてもらっている関係から、自分自身も行ってみようと思って24のときにサロンに行ったのです。
そこですごく一生懸命なエステティシャンたちに出会ったのです。汗をいっぱいかいて一生懸命マッサージしてくれるのですよ。で、「下村様、ビタミンEがいいですよ」「なぜいいの?」「痩せますよ」「下村様ね、もみだしがいいですよ」「なぜいいの?」「痩せます」って言うのです。だけど、一生懸命私のこと、きれいにしようと思ってくれているのだけれど、どうしたらきれいになれるのか、そういった理論が分かってなかったのです。
だから、この一生懸命なエステティシャンたちに理論が加わって、そしてお客様もなんとなく通っているんじゃなくて、今これをするために通っている、この技術をしたら体がこうなりますよ、この化粧品を使ったら肌がこうなりますよっていうのを、技術者もお客様もお互いに分かって美容を進められるようなサロンがあったらいいだろうなって、そういうのをつくってあげたいなって、そのときは思ったのです。
蟹瀬そして実際に始められて、始めるにあたっては当然のことながら資金が要りますよね? このあたりはどうなさったのですか?
下村私は25のときに600万お金が貯まっていたのです。
蟹瀬お金持ち。
津島ねえ!(笑)
下村でしょ? すっごいお金持ちだと思ったのですよ。何でもできると思って。
蟹瀬じゃあこれでもうやればいいやっていう感じだった?
下村はい。それで、大阪の梅田は高いだろうと、だから難波でしましょうってそこまでは分かって、で、不動産屋さんに入りまして、「エステティックサロンをしたいから場所を借りたい」そしたら「エステって何だ?」って、その頃、そこから始まりました。「何坪ですか?」って。で、坪って知らなかったのですよ。で、「ここは何坪なのですか」って聞いたら、「15坪だ」と。「じゃあ15坪」。
蟹瀬じゃあそのぐらいでいいやという感じで。
下村そうです。それで探し出したら、その15坪の所の補償金が1500万だって言うんですよ(笑)。
津島あら、足らないですね(笑)。
蟹瀬とても手元資金じゃ足りませんね。
下村足りないです。それで大変だってなって、それで歩いて歩いて、坪補償金200万の所を探しまして、そこにしたのです。
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