社員との関係がお客様との関係を作る。エステ業界に新風を起こす女社長の手法
株式会社シェイプアップハウス
代表取締役
下村 朱美
25歳でエステティックサロンを立ち上げた、株式会社シェイプアップハウス 代表取締役 下村 朱美。社員との関係、資金、母との死別など、さまざまな困難を乗り越えながら、当時は高級路線で敷居が高かった業界に独自の路線を敷きながら、自社のエステティックサロンを人気店へと成長させた、その手腕とは?
下村だけども、だんだんお金って、どんどんいろんなところに払わなきゃいけなくなって、内装ができるとか機械が入る頃には何もお金がなくなってしまっていて(笑)……。
蟹瀬それとやはり仕事を始めた場合には、当然のことながらお店をつくるっていうのは第一義だけれども、次にお客さんに来てもらわなきゃいけないですよね。これはどうなさったのですか?
下村そんなことも考えていませんでしたね。
蟹瀬 津島(笑)。
下村飛び込んだ機械屋さんが、チラシがいるだろうっていうふうなことをおっしゃって。
蟹瀬教えてくれたのですか?
下村そう、じゃあチラシつくらなきゃって。その当時は、そんなエステティックサロンというのは有閑マダムが通う所だったのです。
蟹瀬まだまだ、贅沢なイメージでしょうね。
下村そうです。そしたら女優さんたちをチラシに載せるっていうのがはやっていたのです。そしたら今度、美容の関係でお世話になっていた人たちが、女優を使わなきゃいけないってなったのですね。えー!?と思って……。
蟹瀬ただじゃ来てくれませんからね。
下村でもそれがただで、その当時、高田美和さんと芳村真理さんがただで出てくださって、祝電までいただきました。
蟹瀬その頃、でも今のお話伺っていると、お話し方からだと、とても順風満帆に何があっても大丈夫という雰囲気ですけど、実際には落ち込まれたりしなかったのですか? お金はなくなっちゃうわ、客は来ないわ。
下村お金はなくなったのですが、手形がありましたので(笑)。
津島(笑)。
下村化粧品の代理店やったときに銀行がつくってくれまして、全部手形で、すみませんお願いしますって、大工さんたちもそれで受けてくださって、機械屋さんも全部、チラシも全部それで受けてくださって、1年半ぐらい手形ばっかり落としていたのですが。
蟹瀬それは大変ですね。
下村そうなんです。だけどそれが、やっぱり若いから怖くないのです。ただ25で、そして社員が21とか20歳とかなんですよね。
津島お若い。
下村そしたら、先生であるべきなのに先生らしくない。で、あるときに社員が、オープンして3カ月目ぐらいに「先生は一体、先生なんですか?社長なんですか?」って言われたのですね。
蟹瀬そのへんのぶつかり合いが起きてくると、これはまた難しいですよね。
下村もう大変でした。
下村だから、先生らしさとか、社長らしさっていうのが多分25の私にはなかったのだと思うのです。それで、ないにもかかわらず、今度は私も同じような年代と社員を見ますから、「何でこんなことができないの?」とか、「何でこんなことが分からないの?」とか。
蟹瀬思わず言ってしまって?
下村そう、目もきつかった……。
蟹瀬そうすると社員さんは大体辞めていってしまうケースが多いでしょうね?
下村そうですね。
蟹瀬それ、どうなさったのですか?
下村どうにかコミュニケーションを取らないといけないと思って、ご飯食べに行ったりいろんなことするのですが、あっち向いてご飯食べられたりとかですね。
津島寂しいですね。
蟹瀬相当ひどい関係だったのですね。
下村そう、だから1人で働きたい、1人でできるサロンをしたいってずっと思っていましたね。
蟹瀬でもそれはどういうふうにして解決されたのですか?
下村オープンして5年ぐらいから、新卒を採るようになりまして……。
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