社員との関係がお客様との関係を作る。エステ業界に新風を起こす女社長の手法
株式会社シェイプアップハウス
代表取締役
下村 朱美
25歳でエステティックサロンを立ち上げた、株式会社シェイプアップハウス 代表取締役 下村 朱美。社員との関係、資金、母との死別など、さまざまな困難を乗り越えながら、当時は高級路線で敷居が高かった業界に独自の路線を敷きながら、自社のエステティックサロンを人気店へと成長させた、その手腕とは?
津島1987年、結婚します。1990年、ミス・パリインターナショナルスクール設立、理事長に就任。1992年、調剤薬局漢方倶楽部をオープン。1995年、阪神淡路大震災に襲われる。東京渋谷に男のエステ ダンディハウスをオープン。ということです。
蟹瀬阪神淡路大震災は、これ大変なことだと思います。後ほど詳しく伺いますけれども、まず最初に、ご結婚なさった?
下村はい。
蟹瀬おめでとうございます。今頃言ったのじゃ遅いですね(笑)。
津島おめでとうございます(笑)、30歳の頃。
下村もう20年も前の話です(笑)。
蟹瀬だけどやっぱり、うちの妻ももちろん実は働いているのですけど、やはり仕事があって結婚するとなると家庭と仕事、このへんのバランスとかいろんなこと起きてきますよね?
下村そうですね。私の場合は国際結婚でしたので、結婚をしてからしばらくして主人が日本にまいりまして、日本語学校に行き始めて、そうしながら妊娠をすぐにしまして、本当に子どもも、前日まで働いてたのです。サロンで。
津島ええ?
下村で、翌日が定休日で、またうちの娘は親孝行で、定休日にしっかり、2人とも定休日に生まれているのですけど。
津島すごいタイミングですね!
蟹瀬これは本当に親孝行ですよね(笑)。
下村そうです(笑)、それで1人目のときは産んで3週間で復帰して、2人目は2週間で仕事に復帰して、ビルの機械室で染み出てくるお乳を搾って、そういうふうにしながら育てていました。
蟹瀬そして、あの阪神大震災。
仕事も家庭も順調な軌道に乗ってきた下村を、あの阪神淡路大震災が直撃した。
蟹瀬これはもう大変な被害があったというふうに伺っていますけれども。
下村はい、そうですね。私どもの神戸の三宮のお店も全く機能しないぐらいになりましたね。
蟹瀬そのときはどうなさっていたんですか?実際に地震が起きたとき。
下村ちょうど主人が海外出張中でして、娘2人を抱えまして、どうしようと思って。電話ももう不通になっていたんです。
蟹瀬そうですよね。
下村こちらからかけられない。でも向こうからはかけてこられたんですね。
蟹瀬そうですか。
下村で、社員たちから電話が来始めて、「とにかく社長は家にいてください」と「自分たちが全部見に行きます」っていうことで、随時報告が入って、こちらから指示をしてっていうふうにしてやりました。ただ、まずは神戸の社員たちを探さなければいけなくて、長かったのが10日ぐらいかかりましたね、最後の子まで探し出す……。
蟹瀬みなさん大丈夫だったのですか?
下村はい、おかげさまでけがもなく大丈夫で。ただ避難所生活をさせてはいけませんから。家に呼んだり、それからマンションを借りたりして、京都とか大阪で働けるようにしていきました。
それとあとお客様たちも、私たちの仕事は前受けを払っていただくお客様もたくさんいらっしゃいますので、現金が必要になっているのではないかと思いまして、できる限りの連絡を取って、現金が必要な方たちにはお返しできますっていうことをしました。
ただ、大丈夫だからって、再開を待っているからっていうことで、実際に現金をお返ししたお客様は3人しかいらっしゃらなかったです。
蟹瀬ありがたいですよね。
下村本当にありがたかったです。
蟹瀬被災した地域っていうのは、私も見ましたけども大変な状況になっていたわけで、そこから立て直すっていうのは並大抵のことじゃなかったと思うのですが。
下村もう意地でしたよね。とにかくお客様たちにお金を返せないわけですから、1日でも早く、とにかく再開しなきゃいけないっていうことで、知り合いの工務店の大工さんたちが1カ月間、泊まり込んでもらって再開をさせました。
リニューアルオープンのときに神戸に行ったのですけど、やっぱりサロンの前には、そのままビルが1棟倒れていましたから、まだその当時。だけどもその当時に、お客様たちがいらっしゃってくださって、「無事でよかったね」って言ってもらって。
それで、本当にやっぱり触られてマッサージをされたりとかして、「本当にホッとした」って、「初めてホッとした」って、そういうふうなことをおっしゃっていただき、この仕事をやっていてよかったなって、そのとき思いました。
蟹瀬ただ、ビジネスとして考えたときには、やはりそこで新しい展開をしなきゃいけないっていう思いに駆られたと思うのですけど、実際にはどういうことをなさったのですか?
下村やっぱり社長として一番先に考えたことが、これが大阪であったらどうなるのだろうと思ったのです。大阪に何店舗もありましたから、また地震が来たら大変だって。それで、社員を呼びまして、危険分散をしなきゃいけない、だから日本のいろんなところにサロンを出しましょうということで、東京行きを決めまして、その年の9月に関東第1店舗目、渋谷にオープンいたしました。
蟹瀬渋谷に実際にオープンされて、東京のほうでのお仕事っていうのはどうだったのですか?
下村もうすごく順調で、大阪は少ない人数の中で切磋琢磨してお客様に気に入ってもらえるようにサービスもして、やっと売り上げを上げられていく所なのです。それで、東京は、大阪と同じようなことしたら3倍の売り上げが上がる所なのだっていうことを知りました。
さまざまな困難を乗り越えてきた下村は、このあと更なる拡大を目指す。2005年には、世界優秀女性起業家賞を受賞した。その年に、大人のための究極のリラクゼーションスペース、スパ・ゲストハウスや、ミスパリダイエットセンターを設立し、よりいっそうの地位を確立した。また、今年に入って念願だったエステティックの専門学校を開校させ、人材育成にも力を注いでいる。
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