知財分野で世界を視野!「ビジネスとクリエーション」の両輪で日本再生へ
株式会社ディー・エル・イー
代表取締役CEO&Founder
椎木 隆太
株式会社ディー・エル・イー。2001年現在の代表取締役CEO&Founderである椎木隆太が有限会社パサニアを創業。2003年株式会社ディー・エル・イーに社名を変更。その後2014年に東証マザーズ2016年には東証一部に上場を果たす。知的財産権ビジネスで手軽なエンターテインメントを提供する。椎木が目指すファストエンターテインメント事業とは?
これまでディー・エル・イーではプロデューサーとクリエイターのコンビネーションによって様々なオリジナルキャラクターを生み出してきた。「耐え子の日常」。このキャラクターはTwitterで5万フォロワーを誇る一コマ漫画。
関係者このキャラクターは、淡々と耐え続けているキャラで、何か悩んだりとか落ち込んだりみたいなものは何もないんです。もう淡々と、いろんなことに巻き込まれて、とにかく耐えているという…。どう認知を広げていこうかと、今まだ育て中って感じのコンテンツです。
「貝社員」。このキャラクターはダメサラリーマンを様々な貝に例えた脱力系のキャラクター。
関係者大衆に受けるというのは、そのぶん制約が数が伴ってくるので。人気が出るための条件というのが増えたり、表現にも制限が出てきますよね。その中で面白くしていくというのがすごい難しい。
「パンパカパンツ」。パンツ大好き5歳のこぶたのキャラクターパンパカくん。
関係者パンパカ君は逆に、その僕が監督やり始める前だったんです。ですが、実は性格が決まってなくて。ただそのパンツが可愛い豚だって言うだけだったんです。ただそこに、見た目こんな感じなんだけど実はこうなんだよ。とか、特技だったり、そういう性格だったりを狙ってつけてくるっていうのは楽しいです。
この他にもディー・エル・イーのクリエイター達が生み出したキャラクターは100を超える。
蟹瀬あの今ご紹介いただいたフラッシュアニメーションって言うんですかね、これ以外にはどういうような知財ビジネス、IPビジネスやってらっしゃるんですか?
椎木我々は2015年に東京ガールズコレクションの商標を買収しまして、ファッション、ビューティー業界にも参入しております。ご存知の方も多いと思いますけれども、女性を中心に非常に認知度と人気が高いブランドです。
椎木我々からすると、まだまだもっともっと可能性があって。僕たちのビジネスモデルである知的財産をイベントだけのものじゃなくて、いろんな各方面に仕掛けていけば、もっともっとビジネスっていうのは急拡大するのではないか。そんな目論見で買収に至りました。
蟹瀬大体イベントというのは協賛金みたいなものを集めて終わる、って感じなんですか?
椎木そうですね。それもやっぱり1日だけのイベントが、春と秋の2回あるという。乱暴にいっちゃえば、365日中二日間だけのビジネスなんですね。
蟹瀬それはもったいないと?
椎木もったいないんです。そのブランドを駆使して権利ビジネスにしていけば、365日、そして東京だけじゃなくて、いろんな各地に。そして世界に権利を行使すれば、まだまだ成長の余地がある。というのが我々は考えているところです。
福井具体的にはどのようになっていって欲しいというお考えですか?
椎木アジアのファッションにピラミッドがあるとしたら、そこの頂点に立つようなそういったブランドにしていこうと今思っております。来年の1月には東京ガールズコレクションのインドネシアでの開催も決定しております。
蟹瀬そしてそこからアジアへどんどん展開をしていくというイメージなんですかね?
椎木そうですね。
蟹瀬これは今お話を伺っていると、結構周辺ビジネスというのは広がりそうな世界ですよね?具体的にはどういうイメージなんでしょう?
椎木カフェとかスクールとか。例えばヨガのような、美容・健康でも、あると思うんですよ。例えば、ジューススタンドとか。要するに「美しくなりたい」「スマートになりたい」「健康になりたい」そういうニーズからポップカルチャーへ。東京ガールズコレクションのプロデュースした、音楽であるとか、コスチュームであるとか、いろんな共同商品を、化学反応として打ち出していこうと思っています。
蟹瀬なんか、すごいことになりそうですね。
福井本当にアイデアひとつで大きなビジネスが生まれるということですね。
蟹瀬プロフィールを拝見しますとね、大学を出た後は、まずはソニーに就職されてますよね。それはどういう経緯からだったんですか?
椎木小学校の頃から起業家になりたいという思いが強くありました。世界を相手に起業したいと思ったこともあり、その時に僕の最も憧れていた盛田さんが経営しているソニーに入りました。特に海外ビジネスをやりたい、と強く主張しながら入社させていただきました。
ソニーに就職した椎木はシンガポールベトナムと海外勤務を経験後、エンタテインメント事業を志願。その分野での企業を考えるようになったという。
椎木やっぱりソニーのハードウェアビジネスって、チーム戦団体戦なんですね。一方でエンタテインメントビジネスというのは個人戦で、大きな資本もいらない。アイデアと人脈、ノウハウだけで突破できる。ソニー時代に非常に多くの人脈とノウハウを手に入れた、という自信もありました。なので、僕のノウハウでもっと日本のエンタテインメントが、世界中にもっとストレッチするんじゃないか。そんな自信満々の状況になっていたという感じですね。
蟹瀬具体的に飛び出してどんな事業をなさったんですか?
椎木やはり日本のエンタテインメントのある意味川上にあると思われている漫画ビジネス。これを世界に仕掛けたいと思ったんですね。アメリカで週刊漫画を連載すれば、アメリカでさえも日本の漫画文化が「ワーっ」と根ざして、いろんなビジネスチャンスがあるはずだ。そう思って、僕が独立して最初にそれをいろんな方と一緒にやりませんか、と声をかけました。その結果、皆さんが「お前が言う事、結構面白いじゃないか」と乗ってきてくださって。
じゃあ一緒にやりましょうっていって、僕が筆頭株主になり、社長になったんです。僕が20%の株主だったんですけどそ、退職金を全部つぎ込んで。勝負だっていってやったんですよ。
蟹瀬結果としてどうだったんですか?
椎木残念ながらうまくいかなかったんですよ。実はその80%の他の株主さん達に追い出されて、解任されちゃったんですよ。
自宅に事務所を置いて活動した苦難の日々を振り返るとき椎木は”暗黒の3年間”と言う
椎木自分が何がいけなかったんだろうって考える前に、お先真っ暗でしたね。4人の家族がいるのに収入ゼロ。しかも僕、退職金とかをそこに出資していたんで。お金もない仕事もない、でも家族と家賃はたんまりあるみたいな。そういう状況で、明日からどうしようってことしか考えれなかったですね。
蟹瀬だけど生活はしていかなきゃいけないわけですよね?
椎木そうなんですよ。
蟹瀬その後どうなったんですか?
椎木大きな企業さんに、僕が海外に持っていくハリウッドの人脈を使って、御社のアニメーションを世界に出しませんか?というので月々いくらというようなコンサルティングの仕事がその時から始めました。
何かあまり条件は良くないけれどもやんなきゃいけない。でもそこのやっていく中で、だんだん3万円でも本当にありがたいって心から思えるようになってきたんですよね。
全力でお仕事をする中で、自分の態度があんまり良くなかったんだって、人間性があんまり良くなかったんだって気づきがありました。そこからだんだん潮目が変わってきましたね。はっきりわかるぐらい自分のメンタルが変わったから。そこからいい仕事が舞い込んできた、っていうのをすごく感じた時期ですね。
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