福島原発事故の風化だけは避けよ 安倍首相の指導者資質が問われる


時代刺激人 Vol. 293

今、国有地払下げにからんで学校法人「森友学園」問題が一気に政治問題化している。外交面で存在感を見せる安倍首相も、国内問題の「森友学園」問題の対応処理にあたっては、危機管理面で判断ミスと思える言動のまずさが目立つ。

今、国有地払下げにからんで学校法人「森友学園」問題が一気に政治問題化している。外交面で存在感を見せる安倍首相も、国内問題の「森友学園」問題の対応処理にあたっては、危機管理面で判断ミスと思える言動のまずさが目立つ。内外に問題山積で、安倍政権としては対応課題が多い時だけに、首相自身が政治問題化で事態をこじらせるのでなく、透明性のある国有地払下げに向けた対応などに関して、指導力発揮する資質が問われる。

3.11追悼式式辞で、首相が原発事故に
明確な言葉で言及せず、というのは問題

その指導者資質という点で言えば、安倍首相の最近の対応で、私はいまだに強い不満を持っていることがある。それは、安倍首相が今年3月11日の政府主催の東日本大震災追悼式で、東電福島原発事故そのものについて、明確な言葉で言及しなかったことだ。
翌日のメディア報道で、言及がなかったことを知り、私は唖然とした。あの場で、安倍首相は、「世界中を震撼させた原発事故の問題は、私たち日本にいまだに重くのしかかっています。事故による被災者の方々がおられる限り、政府、そして東電の責任が続くのは言うまでもないことです。決して風化させません。原発事故の教訓を踏まえ、未解明の事故原因の究明と合わせて、引き続き再発防止に全力を傾注していきます」というべきだった。なぜ、言葉を選び、強いメッセージを内外に発信しなかったのか、と不思議に思う。

私ならば「7年目の今こそ風化させないことが大事、
式辞文を書き直せ」と言う

安倍首相は、東日本大震災後、震災被災地を30回ほど訪問したことをいろいろな場でアピールしている。首相職という多忙の立場で、それ自体、すごいことだ。でも、それだけの現場体験を自負するのならば、福島の現場で原発事故の被害の大きさ、そのもたらす問題の広がりに関して、政治リーダーとしても十二分にわかっているはず。
首相の言葉は重いものがある。だからこそ、東日本大震災追悼式という重要な場で、安倍首相が自身の言葉で、原発事故で被災した人たちがいまだ苦境にあえぎ、廃炉作業を含めて事故処理がまだ延々と続けられていることについて言及することは重要だ。それをしなければ、原発事故の風化を招きかねない状況を首相自身で作り出してしまうからだ。

 

首相スピーチライターの内閣官房参与で、ジャーナリストOBの谷口智彦氏を、私も知っている。谷口氏自身は情勢を見るに敏だと思っていたが、なぜスピーチの中に、原発事故の問題に言及しなかったのだろうか。私が仮に首相の立場だったら、「事故から7年目に入り風化しかねない時期にこそ、しっかりとしたメッセージが重要だ。書き直せ」と厳しく言うだろう。それこそが危機意識の問題だし、指導者としての資質につながる問題だ。

 

危機管理対応のまずさでは「森友学園」問題も同じ、
内外に問題山積時に残念

ちょっと横道にそれるが、今回の学校法人「森友学園」問題の危機管理に関して、私のみるところ、安倍首相が「もし私や妻が関係していたとなれば、首相も、国会議員も辞めると申し上げておきたい」と述べたのは、指導者の言動としては、いささか軽率だ。何ら問題などあり得ない、と啖呵を切ったつもりなのだろうが、仮に不透明さや疑惑を残したままになると、その言動が責任問題に及び、あとで命取りになりかねないからだ。
その点では森友学園理事長の籠池氏は役者が一枚も二枚も上で、誰もが破格の扱いと見た国有地払下げ問題に関して「神風が吹いたように思った」と疑惑に含みを持たせた。しかも妻の昭恵夫人がからむ100万円寄付問題の持ち出し方も同じだ。ここまでくれば、国有地払下げ問題の不透明さに早く決着をつける必要がある。重ねてだが、内外で課題山積時に、国有地払下げ問題で国会が右往左往というのは、日本の危機管理上も問題だ。

「藻谷・開沼対談」――コメ全量検査で
放射能汚染ゼロでも風評被害消えず大問題

さて、本題に戻ろう。7年目を迎えた今年の3.11の日に「デフレの正体」、「里山資本主義」などの著作で有名なエコノミストの藻谷浩介さん、それに社会学者の目線で福島の現場を分析し「フクシマ論」や「フクシマの正義」などの著作がある福島県いわき市出身の開沼博さんの2人による対談の集いに参加した。地震津波に加え原発事故にも見舞われた福島の今をどうみるか、がテーマだったが、問題を考えるヒントがいくつかあった。
開沼さんによると、原発事故に伴う放射能汚染はまだ問題が残る。しかし福島県の農業者は、自身の生命線ともいえるコメに関して、安全の証明のため、福島県内の禁止地域外で作付けされたコメの放射能汚染をチェックする全量全袋検査をずっと続けている。うれしいことに2015年産米、16年産米とも放射能ゼロだった。原発事故後の12年産米が71袋、13年産が28袋、14年産が2袋だったことから見れば大きく安全度が高まった。検査自体は、サンプル調査ではなく全量全袋を行うもので、人体に内部被ばくがあるかどうかチェックするホールボディカウンター検査のコメ版検査、と言えるほど精度の高いもので、福島の人たちにとっては今や胸を張れるものだ、という。

福島県の農業者は風評が消えるまで
コメ検査を続けざるを得ないジレンマ

藻谷さんも対談の中で、そのコメ検査について「福島県の人たちにとって安全・安心の証明は、県内で生産した自分たちのコメをすべて全量全袋検査して結果を出すしかない。私も現場で検査を見たが、ひたすら全量全袋検査に汗を流す姿を見て、この人たちの必死な気持ちが伝わると同時に、安全性に関しては心配ない、と思った。あとは、福島県の人たちが風評をどう打ち消せるかだ」と述べた。
ところが開沼さんによると、風評被害に関しては、依然として、福島のコメは放射能で汚染の恐れがあり安全でないのでないか、という意識が根強い。福島県内でさえ安全データを示されても「気持ちが悪い」「本当に大丈夫なのか」と言って頑固に譲らないクレーマーのような人たちが県民の20%ほどいる。福島県外にはその風評がもっと強く、それによる福島産のブランド価値低下で経済的損失に歯止めがかからないのが問題だ、という。
開沼さんは「福島の農業者は辛い立場にある。今後のコメ検査で放射能ゼロが続いても、もし独自判断で検査を止めたら『なぜ勝手に止めるのだ』と言われかねない。風評が消えない限り、安全の証明のために検査を続けざるを得ないジレンマに陥る」と述べた。

開沼さん「情勢が動いており、
3.11を固定化せずポスト復興期課題に取り組め」

開沼さんの言動を見ていて、とても評価するのは、さすが社会学者らしく、原発事故による社会学的な影響調査を定点観測の形で辛抱強く続けながら、その調査結果を丹念に分析し今、何が課題かを探って世の中に対し問題提起していることだ。それだけに、今回の対談でも、現場分析を踏まえた言葉には説得力があった。
対談での開沼さんの問題提起を私なりに要約すると「3.11の災害、原発事故の影響などを固定化してはならない。福島の現場は時々刻々、変化している。ところが福島の自治体職員の間で問題対応に耐え切れず、自殺する人も増えてきた。原発事故で避難を余儀なくされた人たちのうち、高齢者らはコミュニケーション力に欠けるため、心的な病に陥るケースも増えた。ポスト復興期の新たな課題として取り組む問題が山積している」と。

日本のトップリーダーの対応次第で
「風化」に歯止めもかけ風評被害にも終止符可能

私が今回、安倍首相が東日本大震災追悼式で、東電福島原発事故そのものについて、明確な言葉で言及しなかったことを問題視したのは、首相自身が原発事故の風化を招きかねない状況を作り出してしまうことのこわさを強く訴えたかったからだ。福島の人たちは、宮城県などの人たちと違って地震・津波災害よりも、原発事故による避難で住み慣れた土地や家を失っただけでなく、放射能汚染によるリスクを抱え、それが今は風評被害、経済的損失という形で福島県全体に影響が及んでいる。それだけに風化は許されないのだ。
そればかりでない。中国など周辺諸国もこの問題に関しては頑なだ。福島産のコメが全量全袋検査で放射能ゼロを記録しても、福島産食品の輸入禁止措置を変えようとしない。それだけに、重ねてだが、日本のトップリーダーのしっかりとした原発事故対応、開沼さんが指摘するポスト復興期の課題への明確なメッセージが改めて、重要になってくる。
風化という言葉は、厳しい意味合いを持つ。自然災害の場合、樹木が朽ちたりするが、人間社会の場合、歳月が過ぎ去ると、記憶や意識が薄れて、下手をすると忘れ去られていくリスクがある。日本のトップリーダーの見識、指導力が問われる、と言いたい。

原発事故処理は終わっておらず、
国会事故調提言どおり独立の調査委の新設が必要

東電福島第1原発事故に関しては、以前のコラムで、私は事故の真相究明調査を行った立法府の国会事故調の事務局に参画し、事故調査を側面からサポートする立場にあったことを申し上げた。その国会事故調報告書をお読みいただいた方が多いと思うが、2012年7月に国会提出した報告書では、事故は、地震と津波によって引き起こされた自然災害ではないこと、津波を予測して事前に十分な対応ができたにもかかわらず対応を怠った「人災」であるとこと、とくに規制する側の原子力安全・保安院(当時)などが、規制を受ける側の東京電力など電力会社、電気事業連合会などに取り込まれ、本来の原子力規制の役割を果たせなかった「規制の虜(とりこ)」に陥った「人災」であると結論付けた。
しかし今後につながる問題として、私は、国会事故調が提案したとおり、改めて立法府が担保する独立の原発事故調査委員会をつくり、現在の原子力規制委員会だけでなく、原子力行政に直接・間接にかかわる経済産業省などの行政機関、電力会社の原発運営の監視を行うこと、原発事故が起きたことを想定しての政府の危機管理体制の見直し、それと東電原発事故時に最も欠落した多段階の原子力防災対策「五層の深層防護」の構築などが必要だと思っている。いま、これらの対応を独立の立場で行える組織がないのが大問題だ。

原発事故の責任の所在あいまいなまま、
事故処理費用が国民転嫁されるのは疑問

原発事故から7年目に入った今、事故現場の処理は終わっていない。それどころか廃炉に向けて、かなりの時間と労力が費やされる必要があり、今も6000人ほどの人たちがそれらの処理に携わっている。問題は、原発の事故処理、廃炉処理、さらに賠償などを含めた処理費用は、当初想定した額の2倍以上の21.5兆円に膨れ上がる見通しで、文字どおり気の遠くなる数字だ。1つの原発事故でこれだけの事故処理費用がかかっているのだ。今後、状況によってさらに膨れ上がる可能性が高い。
それどころかこの財源は、電力自由化のもとで新規参入した新電力にも負担が及び、結果的に一般の利用者が負担する電気料金に転嫁される状況も出てきた。信じがたいことだ。ところが、原発事故そのものの責任はいまだにはっきりしていない。その意味でも国会事故調が提案した新たな独立の原発事故調査委員会でしっかりとしたケリをつけるべきだと思う。その意味でも、風化は許されない。いかがだろうか。

著者プロフィール

  • 牧野 義司
  • 1943年
  • 大阪府
  • 早稲田大学大学院

今はメディアオフィス「時代刺戟人」代表。毎日新聞20年、ロイター通信15年の経済記者経験をベースに「生涯現役の経済ジャーナリスト」を公言して現場取材に走り回る。先進モデル事例となる人物などをメディア媒体で取り上げ、閉そく状況の日本を変えることがジャーナリストの役割という立場。1968年早稲田大学大学院卒。

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