三陸海岸沿いの復興遅れは深刻 人口減少や高齢化で「町が消える」リスク


時代刺激人 Vol. 219

最近、私は東日本大震災で津波の直撃を受け壊滅的被害にあった岩手県陸前高田市、宮城県の南三陸町など三陸海岸沿いの被災現場に行く機会があった。率直に言って、現場にたたずんで言葉を失った。3.11から2年以上がたつというのに、かつては中心市街地としてにぎわっただろう土地が見渡す限り荒漠としたままで、何も動いていないのだ。

私は3.11以降、三陸海岸沿いのうち北の岩手県宮古市、また南の宮城県石巻市、仙台市の若林区などの被災現場を見てきた。定点観測していれば変化が見えてくる。石巻市や仙台市若林区は、スローテンポながら、着実に復旧から復興へ進んでいた。ところが今回、来るチャンスがなく初めての訪問だった陸前高田と南三陸は、定点観測地域とは全く違っていた。いまだに何も手つかず、と言っていい状況で、時間が止まったままなのだ。そこで、今回は、ジャーナリスト目線で見た現場のレポートをしよう。

陸前高田市の中心部は荒漠としたまま、
奇跡の一本松も風前の灯状態
 中でも陸前高田市が象徴的だった。行政機関や商店街などがあった中心部は依然として惨憺たる状況だ。津波の直撃を受けた建物などが押し流されたままで、かつてJR大船渡線の駅舎、バスロータリーがあったあたりに立って周囲を見渡しても言葉を失い、ただ見守るだけだ。がれき処理は終わっているが、復興を感じさせるものが何もないのだ。

内部が空洞化した3階建ビルの屋上部分に「津波到達水位」と書かれてあるのが目についた。その水位は15メートルほどだったと聞いて、津波のすごさが想像できた。陸前高田の場合、海岸から7キロ奥まった内陸部まで津波が来た、という。7万本の浜辺の松のうち奇跡的に1本だけ残った大きな松も今や風前の灯の状況で、松の周囲を網で囲われ、痛々しさだけがあった。

復興計画はあってもなかなか進まない現実、
指導力あるリーダー不在が原因?
 復興に携わる自治体関係者の話は、時間の関係で残念ながら聞くチャンスがなかった。しかし陸前高田市の復興状況をずっとウオッチしている専門家の話では、津波災害の防止のために防潮堤を海岸線につくる計画をめぐって、反対派の多い住民との調整がついていないこと、高台に住宅、それに学校、病院など公共施設を移転する計画に関しては住民同意を得ているが、災害公営住宅建設のための用地確保がなかなか進まず、住民は仮設住宅住まいの不自由さを強いられたままであること、要は指導力のあるリーダーが不在で将来を見据えた復興計画になかなか取り組めないでいることが決定的だ、というのだ。

現在、陸前高田市は隣接の大船渡市、住田町と一緒に「岩手県気仙地域基本計画」をつくり、地域に根ざした食品産業や山林資源を活用した木材産業、さらに大船渡港を中心に港湾を生かした産業集積で復興をめざす計画でいる。しかし問題は、その進捗度が遅すぎることで、陸前高田の現状を見た場合、ほとんど動いていない、というのが実感だ。

自治体官僚は融通がきかない、
「有事」なのにまだ平時感覚で処理対応
 こと陸前高田市に限って言えば、市が災害復旧に立ち上がった当初、都市計画の専門家や著名な経済人らが意気に感ず、ということで、アドバイザリーの形で復興計画づくりに参画した。ところがさきほどの専門家の話では現場での長引く利害調整に嫌気をさしたり、持ち込んだ復興案が現実性を欠いたりしたことで、次第に離脱してしまう形になって、ますます復興が進まない結果になっている、という話だった。

しかも国や県、地元自治体の官僚が、いまだに「有事」の状況なのに、すべてを「平時」の感覚でコトを進めるため、住民が求める行政処理がさっぱり進まない。これも事態の悪化に拍車をかけている。こんな話を聞いた。宮城県気仙沼大島の離島関係者が、申請書類をほしいと自治体担当者に話したら「インターネットでダウンロードできるので対応してほしい。やりとりもEメールで」と平然と言われた。パソコンを被災で紛失した現実をわかっていない官僚体質に憤りを感じたという。今は三陸沿岸の被災地はまさに「有事」が続いているのに、依然として平時感覚での行政処理なのだ。信じられないことだ。

復興絡みで助成金申請時に、
津波で紛失した財務諸表を3年分出せという現実
 ある復興絡みのプロジェクトで中小企業の人が、宮城県の被災地自治体に助成金申請をしたら、過去3年間の財務諸表や資金繰り計画の提出を求められ、現場で「津波被害で何も経理資料が残っていない。提出できるはずがないでないか」と口論になった、という。復興がらみの助成金を悪用するのでないか、といった警戒心からのか、あるいはあとで問題になった際の責任をとることを回避するためなのか、定かでないが、非常識だ。

私の友人で島田昂一さん、田代祐子さんの2人が財務やコンサルティング経験を被災現場での復興支援に活かそうと、NPO未来開発研究所を立ち上げ、すべて無償で、そうした融通のきかないケースに風穴を開けるためのサポートの仕事を行っている。とても頭の下がる行動だが、島田さんらが宮城県庁に掛け合ったら、「被災にあって紛失したという被害届を出してもらえば自治体もNOとは言えないでしょう」と、傾向と対策のようなものを耳打ちしてくれた。それ自体、オープンにすれば情報なのに、おかしな話だ。

心配なのは人口流出リスク、
復興が見えないため流出続けば計画基盤失う恐れ
 しかし私が危惧するのは、象徴的な陸前高田市のケースで言えば、今は被災されて高台の仮設住宅などに住んでおられる住民の人たちの間で2年たっても何も変わらない状況のもとで、希望が失望に変わり、さらに絶望へと進んだりすると、故郷を捨てるしかないと県外の身寄りを頼って人口流出するリスクだ。高齢化がその背中を押すかもしれない。

東京電力福島第1原発周辺の福島県双葉郡の人たちは、放射能汚染リスクが加わって帰郷もままならない状況だけに、事態はもっと深刻だ。しかし、今回訪れた陸前高田市や南三陸町のような壊滅的な被害を受けた地域で、避難生活の長期化に疲れ、復興計画も全く進まない現実に嫌気して人口流出による人口減少に拍車がかかり、復興計画の基盤そのものが崩れてしまう。復興計画がやっとのとこで立ちあがった時には、地域が閑散とし、市や町自体の存続が危うくなる。町が消えるリスクだ。それだけは避けねばならない。

南三陸町復興遅れは事務処理量の多さがあるが、
津波で失った町職員の多さも
 南三陸町でチャンスがあって出会った、復興支援プロジェクトにかかわる社会福祉法人、南三陸町社会福祉協議会の事務局長、猪又隆弘さんの話も紹介しよう。猪又さんは津波で奥さんを失った厳しい境遇にあるが、今は災害ボランティアのサポート業務も行っている。Eメールでのやりとりなどで、いくつかポイント部分を聞いたが、南三陸町の復興が大幅に遅れていることについて、こう述べている。

「震災後8カ月間で基本計画をつくりあげ、今は中心部の再開発用地の買い上げを行っている。区画整理に(住民の利害調整で)時間を要した面もあるが、復興にからむ事務処理の絶対量の多さがあること、対応する町の行政職員の絶対数が不足していること、生コンなど資機材の高騰でせっかくの入札が不調になることも重なっている。町民の人たちは早く復興を、と願っているが、目に見えない進捗状況の遅さに不安を感じているのも事実だ」と。南三陸町の場合、津波で自治体職員に数多くの犠牲者が出たことが大きい。

チリ政府からのモアイ像寄贈は勇気づけに、
だが周辺地区の空洞化問題は深刻
今回、その南三陸町でチリ政府から、復興支援の証しとして、モアイ像の寄贈の式典があり、ぜひ見てみたいと考え、現地参加した。1960年のチリ地震津波で被災した南三陸町に、当時のチリ政府から、イースター島のモアイ像が贈られ、交流のシンボルとなっていたが、たまたま3.11で大きな像の頭の部分が流され地元高校にあったのを、日本チリ経済委員会の日本側代表の佐々木幹夫会長(三菱商事相談役)が発見、それがチリ側に伝わって、チリのピニェラ大統領が昨年、来日した際、再度の寄贈が約束になり、今回実現した。高さ3メートル、重さ2トンのモアイ像は、南三陸町の人たちには大きな励ましだったことは間違いない。

ただ、式典のあった仮設の商店街から一歩外に出た南三陸町の中心市街地は力前高田市と似たような荒漠とした状況だった。しかし、気仙沼市から南三陸町に入ってから見た歌津地区では国道45号線の道路が寸断されたままで、う回路を通ったが、国道の復旧にはかなりの時間がかかる幹事だった。また、その近くの清水浜地区では高台にあるわずか2戸の農家があるだけで、平場の部分は津波ですべてが流されてしまっていて、大半の人たちは仮設住宅に避難したのだろうが、この孤立状態の2戸の農家はどうやって生活しているのだろうか、と思わず考え込まざるを得なかったほどだ。

人口減少による「町が消える」リスクは重要、
基盤人口失えば復興計画見直しも
人口減少による「町が消える」リスクに関しては、自治体当局者のみならず政治家も、住民の人たちもみんなが真剣にリスクとして捉え、どう対応するか、考えておく必要がある。というのも、仮に復興計画をつくっても、その前提となる基盤人口が櫛の歯が欠けたようにボロボロと崩れたり、あるいは地元商店街が経営の展望をひらけずに廃業を余儀なくされるケースもある。
陸前高田市の場合、北に大船渡港をかかえる大船渡市、また南には気仙沼港を持つ気仙沼市の間にはさまった形になっているため、もし人口減少などで存在感を失ったりすれば、さきほどの「岩手県気仙地域基本計画」は見直しを余儀なくされる。行き場を失った住民の人たちは、仮設住宅での生活を強いられるが、この人たちが地元にとどまって、復興に生きがいを見出す状況に早くなってほしいものだ、と願わざるを得ない。

政権交代効果がプラスに出ているが、政治の課題は山積、
復興現場への視線を
 暗い話ばかりでない。民主党から自民党へ政権交代したことによって、復興の現場では間違いなく政権交代効果が出ている。具体的には「民主党政権時代に比べて、ダンプカーや物資輸送のトラックの走り回る数が10倍ぐらいに増えた実感がある」という話を聞いて驚いた。本当か?と聞くと「10倍と言えば、ものすごく急増したように見えるかもしれないが、元々のベースが小さく、低いので、そう感じるだけ。ただ、自民党政権になって復興予算を大きく増やし、復興庁の現地組織体制強化に踏み切ったことで、いろいろなものが動き出した効果が出ている」という。

ただ、その政治も、国政レベルでは目先の参院選対策のみならず、国の内外をとりまくさまざまな政治課題に対応しきれない状況でいる。デフレ脱却をめざした3本の矢のアベノミクスも、第3の矢の成長戦略は経済の構造改革につなげるものにならなければ、海外投資家を含めてだろうが、市場から失望感も加わって、日本株売りの厳しいしっぺ返しを受ける可能性もある。その意味で政治の課題は多いが、ここまでレポートしたような東日本の三陸沿いの復興遅れにもしっかりと視線を置かないと、復興問題はエンドレス、ということになりかねない。

著者プロフィール

  • 牧野 義司
  • 1943年
  • 大阪府
  • 早稲田大学大学院

今はメディアオフィス「時代刺戟人」代表。毎日新聞20年、ロイター通信15年の経済記者経験をベースに「生涯現役の経済ジャーナリスト」を公言して現場取材に走り回る。先進モデル事例となる人物などをメディア媒体で取り上げ、閉そく状況の日本を変えることがジャーナリストの役割という立場。1968年早稲田大学大学院卒。

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