失敗とは無縁!?「最大のリスクは後悔することだ」の前進力
楽天株式会社
代表取締役会長兼社長
三木谷 浩史
「営業は、もうこれはとにかく数と熱意で回る」。IT時代にあって華々しく登場した三木谷。そこには意外な哲学も潜んでいた。数ある同種の事業の中で巨大な存在へと登りつめた戦略、ノウハウとは?
石丸強いリーダーシップと決断力、三木谷さんの選択の中から必ずや番組をご覧の皆さまに、多くの何かが残るはずです。森永さん、企業の経営者にとって選択というのは重要な要素だと思うんですが、いかがでしょうか?
森永サラリーマンでも誰でもその選択に直面するんですけれども、ただその経営者の選択という場合には、企業の浮沈をかけることになりますから、やっぱり孤独で厳しい選択というのに迫られると思うんですね。
石丸はい。三木谷さんは、選択という言葉を聞いて、どのようなイメージを抱かれますでしょうか?
三木谷そうですね。選択と言うべきか決断と言うべきか、やはり経営者というのはそういう大きな決断というのはわれわれ何回かやってきましたし、これからもそういうことが続くんだろうなと思います。
河合三木谷さんは1965年、兵庫県にてお生まれになりました。なんと3人兄弟の末っ子。
三木谷そうですね。
河合そして7歳のときにお父さまは神戸大学の名誉教授でいらっしゃって、海外留学をなさるのについていくという形でご家族皆さんでアメリカに?
三木谷当時は教授ですけども、はい。
河合10歳までアメリカでお過ごしになって16歳のときに明石高校に入学。
三木谷はい。その前に私立の中学に行っていたんですけども落ちこぼれてやめまして、公立に戻ってからテニスをやってましたね。
河合大学は一橋大学の商学部で、やはりこちらではテニス部の部長さん。
三木谷そうですね。キャプテンで、鬼のキャプテンで有名でした。
石丸兵庫県出身というのは最近の報道でちょっと知ったりしたんですが、海外にもいらしたんですね。
三木谷そうですね。それが結構、自分の人格形成の中では影響しているかもしれないなというふうに思います。
石丸大きい部分があると。
三木谷はい。
石丸この時期に三木谷さんにどんな選択があったのでしょうか。森永さん、よろしくお願いします。
森永はい。三木谷さんの今のこの歩みを拝見して、まず割と豊かな家庭で、しかも学者一家だったんですね。
三木谷貧乏とは言いませんけど、ただいわゆる公務員の家庭で3人子どもがいましたから、それほど裕福というほどではないと思いますね。特にこのアメリカに行ったときというのはまだ1ドル360円の時代で、今よりだからアメリカに行くと物価3倍ぐらい高いんですよね。なのでその頃はあんまり金銭的な余裕はそんなになかった感じですね。
石丸日本人学校もまだない時代ですよね?
三木谷ないですね。特にニューヘイブンなんて田舎町ですから……。
石丸現地の学校にそのまま?
三木谷現地の学校にポーンと、教えられた言葉は、ワン、ツー、スリー、イエス、ノー、あとバスルームと、トイレに行きたいときはバスルームと言えということだけ教えられて、ポーンと放り込まれたんですけども。
森永で、その中で当然授業聞いてても訳分からないですよね?
三木谷まあ、でも結構訳分かんなくてもコミュニケーションは言葉だけじゃないんだなと思ったのは、行った当日に友達を4、5人連れて家に帰ってきましたから(笑)。
森永もうその頃から社長の素養っていうのを持っていたんですね。
三木谷分からないです。とにかくちょっと変わってましたね。その後、30歳ぐらいになったときに、その学校にまたふと行ってみたんですよね。それで、「俺はこの学校出身なんだ」っていうふうに言うと、校長先生が出てきて成績表をくれたんですけども、その成績表をみる限り非常に成績悪かったんですよ。
石丸そうなんですか。
森永悪かったんですね。
三木谷でもそれがいまだに残っているのがすごいなと思いましたね、アメリカっていうのは。
森永で、日本に帰ってこられて神戸で高校に進学されて、そのとき高校生時代というのはどういう生徒だったんですか?
三木谷高校生のときは、これはもう本当にテニス一本ですね。
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