常に前進!「前に転んで、何かをつかんで、起き上がる」の姿勢
インタセクト・コミュニケーションズ株式会社
代表取締役社長
譚 玉峰
「かなり無理をして、リスクを取って、やって、うまくいった」。言葉の壁を越え、コミュニケーションとテクノロジーを融合させてビジネスチャンスをつかんだ起業家のバイタリティとビジネス展開を聖子させる極意、そしてコミュニケーションへのこだわりとは?
ドーキンズまずはじめにお伺いしたいのですが、インタセクト・コミュニケーションズはどのような理念を掲げられているのでしょうか?
譚弊社はお客様に、より付加価値を提供するという言葉を理念として、掲げています。
蟹瀬どのような付加価値なのか、今日はじっくりとお話をお伺いしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
ドーキンズさて、プロフィールを拝見しますと、譚社長は中国の長春(ちょうしゅん)出身ということなのですが、どのようなきっかけで日本にいらっしゃったのですか?
譚私は中国の長春で、1981年、吉林(きつりん)大学に入学をしまして、入学して半年してから、先生に聞かれて、「日本に行きませんか?」って、早速、「はい。分かりました」ということで、1983年の3月に日本に来ました。
ドーキンズ学校では、どのようなことを勉強されたのですか?
譚大阪大学基礎工学部の生物工学科というところで勉強しました。医用画像処理……、X線、CTとか、そういう画像処理をやっていました。
蟹瀬大学を卒業されて、中国へ戻られるのかなと思ったら、日本に残られたと、それはどういう理由からですか?
譚学校だけで勉強しても、ちょっとつまらないかなと、もう少し企業のほうで、知ろうと思い、残りました。
蟹瀬どういう会社にお勤めになりました?
譚当時、姫路にあるアンサー株式会社という小さな会社だったのですが、そこに入社して、エンコムさんという会社の、新入社員の教育をするためのアシストをしていました。
2000年、譚はインタセクト・コミュニケーションズ株式会社を設立。日本と中国を股にかけたアフィリエイト広告サービスやシステム開発、BPMなどを中心に事業を展開している。
蟹瀬そして、2000年に今の会社を起業されていますよね。もともと、自分の会社を作ってみようというお気持ちはおありだったのですか?
譚いえ、当時はまったくと言っていいほど、なかったですね。
譚1999年、まだWEBがそんなに発達していなかった時代、すべて100パーセントのWEBベースの生産管理を作ろうということで、ある会社と提携しようと思ったのです。提携するのに、当然、お金がかかるということで、会社の上司と話をしたら、社内でもみんな反対ということで、でも、上司はよく理解していただいたということで、「じゃあ、会社ではこのリスクを取れないから、譚が辞めて、自分でやってみたらどうか」と言われて、驚いて……。
蟹瀬しかし、事業をされたとしても、日本は世界から比べると、まだまだ閉鎖的なところがあって、特に外国の方ということになると、信頼をどうやって勝ち得るかということだと思うのですが、そういうものはどういう形で作り上げていかれたのですか?
譚一度、デフォルトの状況に陥ったのですね。もう破産してもいい数字だったのですが、2002年の秋ごろに、野村総合研究所と会うチャンスがありまして、「あるプロジェクトをやりませんか?」と言われて……。
蟹瀬そのプロジェクト自体がとても大変だったということですか?
譚すごく大変なプロジェクトだったんですけれど、僕たちはいつ破綻してもおかしくない状況で、あとは「やるしかない」という状況だったので、かなり無理をして、リスクを取って、やって、うまくいったんです。それで、一度、成功すると、この会社は大丈夫だと信頼していただける状況になったんですね。
蟹瀬そのリスクを取ったということが非常に今の事業を立ち上げるうえでは、大きな決断だったわけですね。
譚そうですね。
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