時代刺激人 Vol. 88
牧野 義司まきの よしじ
1943年大阪府生まれ。
肉用牛としていずれ市場に売りに出される運命とはいえ、宮崎県で牛の肥育などに携わる畜産経営農家にとって、子牛のころから丹精こめて育ててきた牛を家畜伝染牛だということで大量に殺処分、そして土の中に埋めざるを得なくなるのは、何とも耐えられないことだろう。私は全国の農業現場の取材で、畜産農家の方々にお会いする機会が多いだけに、牛や豚の口蹄疫(こうていえき)問題に突然直面した農家の人たちのことは胸がいたむ。しかし、今回の宮崎県の問題で、見えざるウイルスの伝染、予測のつかない危機に対して、政治が指導力を発揮し、行政も機敏な防疫体制をとっていれば、多くの牛や豚を、とりわけ種牛をむざむざと死に追いやることはなかったという現実が浮かび上がっている。
そこで、今回は、私の関心領域である失敗の研究やリスクマネージメント(危機管理)の観点から、宮崎県の牛や豚の口蹄疫問題を取り上げてみたい。残念ながら今回は、しっかりと現場調査したわけでなく、むしろ東京での取材、それに公開情報やメディア報道などを中心にしたものなので、失敗の事例研究から行けば、不十分と言わざるを得ない。しかし、ジャーナリストの関心事から、何が問題なのか、調査した範囲内で申し上げよう。
3月末の初動はまずまずだったが、その後に楽観が先行、危機意識も希薄
結論から先に申し上げれば、3月31日に、宮崎県の都農町で水牛に口蹄疫の疑いがあるケースが見つかり、宮崎県当局の担当者が現地で素早く立ち入り調査を行ったまでは、機敏な行動だった。しかし、その後の対応に関して、随所に楽観が先行し、危機対応が後手後手に回ったようだ。まず4月20日に宮崎県、そして国で統括する農林水産省で、それぞれ対策本部が設置された直後に隣接の川南町でも感染の疑いのある牛が見つかった。
本来ならば、ここで緊張感が走り、素早い対応がとられて当然のはず。ところが地元の東国原英夫宮崎県知事から赤松広隆農林水産相(当時)に緊急支援要請が4月27日に行われるまで、地元の対応に意外なほどに時間がかかっていること、それに加えて、もっと問題だったのは肝心の赤松前農水相の危機意識が希薄だったためか、4月30日から5月8日までキューバやメキシコ、コロンビアに外遊してしまい、一気に口蹄疫問題が噴出する5月のゴールデンウイーク中に急きょ帰国するわけでもなく、問題担当のトップリーダーの危機意識に決定的に欠落があったことだ。
振り返ってみれば、5月のゴールデンウイーク中に、あとあと禍根となる問題が起きている。とくに決定的だったのは、4月28日に牛だけでなく感染力の強い豚に感染していることが判明し、牛への波及を抑えるために殺処分の判断を下すべきだったのに、地元宮崎県当局の判断が「経過観察」、早い話が問題先送りで終始したため、5月に入って豚と牛の双方に感染度合いが急ピッチで広がり、手がつけられない事態に及んでしまったことだ。
5月ゴールデンウイーク中に問題噴出、感染力強い豚の処分早ければ、、、
民放テレビの現場取材に答えて、宮崎県のある獣医師の人がこう述べている。「宮崎県では10年前の2000年に口蹄疫の問題が発生した際、危機意識が強かったのか、先手先手の対応が積極的にとられ、家畜の感染は今と比べものにならないほど、わずかで済んだ。その時のポイントは、感染力の強い豚の殺処分を素早く行って牛に感染波及するのを抑えたことだ。ところが今回、豚への感染が見つかってからも当局の対応にもたつきが見られた。大丈夫かなと不安視していたら、あっという間に豚の感染が膨れ上がり、それに連鎖する形で牛の感染が一気に広域に広がった」というのだ。
感染力の強い豚をいち早く処分したことが前回の2000年の危機克服策だったとすれば、それを先行の成功モデル例として、今回もいち早く実行に移せばよかったのに、どこかのレベルで「まだ大丈夫だろう」という楽観が先行してしまったのに違いない。楽観というのは、急いで大騒ぎする必要はない、まだヤマ場に来ておらず冷静に対応すべきだ、といった情勢判断にもとづく場合もあり得る。しかしその一方で、担当者が責任をとりたくないため、さきほどの豚への感染に際しての「経過観察」と同様、単に問題先送りしてしまう一種の事なかれ主義みたいなものが働いての楽観ということもあり得る。宮崎県の口蹄疫問題は現在進行形の形で進み、すでに都城市などへも飛び火しつつあるので、あいまいな楽観を止め、素早い現場での実行判断が重要になる。
赤松前農水相の資質に問題、菅首相の「口蹄疫は国家的危機」判断と対照的
この危機状況に対する指導者の危機意識や情勢判断で言えば、すでに辞任したとはいえ、問題表面化当時の赤松農水相の言動にはいま振り返ってみても、問われることが多い。担当閣僚としての記者会見での発言は、農林水産省のネット上のホームページで、「大臣記者会見」という所をクリックされれば、どんな発言をしているか、見ることが出来るので、ぜひご覧になればいい。
鳩山由紀夫首相のあとを引き継いだ菅直人首相がいち早く宮崎県の現場を訪れ「口蹄疫の問題は国家的危機だ」と述べ、課題山積の新政権の最優先課題の1つとして取組む、という決意を示したことを考え合わせれば、赤松農水相が在任当時、素早く直接、現場を訪れることを怠ったことは理由のいかんを問わず問題視されるべき点だろう。
政治リーダーの資質に関して、菅首相の「国家的危機」判断と比較すれば、赤松農水相は4月20日に口蹄疫防疫対策本部が農林水産省に設置され、自ら本部長に就任したあと、記者団に対して「自分が行くと、(メディアも同行して、ぞろぞろ動き回って)騒ぎが大きくなるので、不必要に現場に混乱を与えたくない」と述べている。そのまま東京で対策本部長として対応するが、1週間後の4月27日からキューバなどの訪問旅行に旅立ってしまう。
中南米外遊から帰国後、すぐに宮崎入りせず栃木県の同僚議員後援会会合へ
赤松前農水相が5月8日の帰国後、現地の宮崎県に入ったのは10日だ。ところが産経新聞報道では帰国後の8日に真っ先に向かったのは栃木県で、民主党議員の後援会会合に出席のためだったというから驚きだ。この件に関して、赤松前農水相は5月25日の衆院本会議で野党の公明党議員から「帰国後すぐに宮崎入りせずに、政務の会合に出席していたのは問題だ」と批判されたが、「何カ月も前からの約束だったので」と釈明する始末だ。
さらに、5月11日の記者会見で「昨日(10日)、秋田に行くのを変更されて、宮崎に急きょ行かれたが、口蹄疫のまん延に対する認識がちょっと甘かったという批判もある。どう受け止められるか」との質問に対し、赤松農水相は「甘いとは思っていません。今、こういう時代ですからリアルタイムで連絡をとりながらやっています。(中略)何を優先させるかの政治判断で(常に)やっていることで、ご理解ください」というだけ。
しかし、極めつけは、5月18日の記者会見で、引責辞任論が出ていることへの受け止め方を聞かれた際、赤松前農水相はまず「ご批判があれば、それは議会ですから不信任案を出すなりされればいい」と述べたあと「私自身がやってきたことについては、反省するところです。(しかし)お詫びするようなところはないというふうに思っています」と。
危機管理専門家の佐々さんは「農水大臣のKY鈍感力は驚くべきもの」と批判
危機管理の専門家で、初代内閣安全保障室長の佐々淳行さんは産経新聞5月27日付のコラムで手厳しく批判している。まったく同感なので、少し引用させていただこう。「人間は誰でも、楽しいことを優先しがちなものだ。キューバのカストロ議長、コロンビアのウリベ大統領らと会見し、儀仗隊の栄誉礼を受けることの方が、罹患(りかん)した牛や豚を見るよりも楽しいに決まっている。だが、国家危機管理の責任者は、国民の命と財産を守ることを、連休を返上してでも優先させるのが『ノーブレス・オブリージ(権力者の義務)』である」という。
佐々さんは21世紀型機危機管理の対象として、アルファベット表記で「W(戦争)」と「R(革命)」、さらに「ABCD」(核・バイオ・化学・天災地変)」にあるとし、口蹄疫に関しては鳥インフル、新型インフル、狂牛病などに続く「B(バイオ)」の危機だとの位置付けでいる。そして「口蹄疫がどんなに恐ろしいB(バイオ)の危機であるか、農水大臣は当然認識しているべきだ。『知りません』『わかりません』で許されると思っている鳩山総理、小沢一郎民主党幹事長(いずれも当時)に次いで、赤松農水大臣の『KY(空気の読めない)鈍感力』は驚くべきものだ」と、佐々さんは述べている。そのとおりだ。政治リーダーの重さを自覚すべきだろう。
宮崎県の口蹄疫問題をきっかけに、東京都小平市にある防疫関係の研究所には全国の自治体、家畜衛生試験場などから、牛や豚の検体関して、精密検査依頼が殺到している、という。裏返せば、宮崎県に限らず全国の畜産農家にとっては、陽性反応と出るか、あるいは陰性で済むかは死活問題のため、必死にならざるを得ないのだ。
というのも、この口蹄疫は家畜伝染病だが、肝心のウイルスがどうやって伝染、感染するか、未だに確認できない。宮崎県の現場でも家畜運搬車の消毒だけではダメで、畜産に携わることのない第3者の人、それに一般車までも消毒対象にすべきだとか、場合によっては口蹄疫発生地域のみならず周辺地域も、他の地域から隔離すべきだといった対策も真剣に議論されている。そういった意味でも、今回の問題は、初動の段階で、もっと素早く機動的に対策の手を打っておくべきだったのかもしれない。政治リーダーの危機管理の欠如もそういった意味で、大きく問われて当然のことだ。
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