時代刺激人 Vol. 173
牧野 義司まきの よしじ
1943年大阪府生まれ。
我が国の中央銀行である日銀が、デフレ脱却に向けての金融政策のカジ取りを一歩、強めた。2月14日の金融政策決定会合で、これまで頑なに拒んできた「インフレ目標」政策を事実上、導入したからだ。
我が国の中央銀行である日銀が、デフレ脱却に向けての金融政策のカジ取りを一歩、強めた。2月14日の金融政策決定会合で、これまで頑なに拒んできた「インフレ目標」政策を事実上、導入したからだ。と言っても、「物価の番人」が代名詞でもある日銀が突然、宗旨替えしてインフレ政策にカジをぐいと切り替えたわけでない。
バブル崩壊後、20年間も続く物価の下落、所得の落ち込み、成長停滞など日本経済のデフレ状況から脱却するため、日銀は今回初めて、金融政策面でめざすべき物価の前年比上昇率を示すことにし、その目標値を1%メドにする、としたのだ。そして、日銀は、この目標実現に向け金融緩和政策を一層、強力に進める、と明言した。
頑なに拒んだ「インフレ目標」設定は
金融市場で大サプライズに
「頑なに」という言葉に、えっ?と思われる方もおられるかもしれないが、これがキーワードだ。日銀が政策変更を公表した2月14日昼、金融市場では「サプライズ」と受け止められ、動揺も加わってか為替レートや市場金利が大きく変動した。
その昔、今や死語に近い公定歩合という政策金利を、日銀が何の前触れもなく突然、政策変更の形で発表すると、その意外性によって、金融市場が大きく動き、政策効果をもたらす、ということがあった。
しかし、今や長いデフレのトンネルに入り、金利はゼロに張り付き、あとは非伝統的な金融政策と言われる量的な金融緩和をどこまで行うかだけ、という状況のもとでは、金融政策の効果も限られるはず。にもかかわらず、今回の日銀の政策決定については、米ウォール・ストリート・ジャーナル紙も「日銀が金融緩和で不意打ち」と報じたほどだ。
現場で聞く日銀総裁の
「デフレ脱却に向けた取り組み」講演は面白かった
そんな矢先、日銀の白川方明総裁が2月17日、日本記者クラブで、「デフレ脱却に向けた日銀の取り組み」に関して講演するというので、躊躇(ちゅうちょ)なく参加した。やはり現場は重要だ。日銀総裁のナマのメッセージ発信や政策変更の背景を聞くことができて、それなりに面白かった。日銀が今、何を考えているかがある程度、わかったからだ。
私のように、生涯現役の経済ジャーナリストを公言してフリーランスの現場取材活動にこだわっている人間にとっては、何としても、政策決定変更直後の日銀総裁の記者会見に参加したい。ところが、現在の記者クラブ制度のもとでは、日銀も、金融記者クラブもなぜかフリーランスのジャーナリストには門戸を制限して閉鎖的なのだ。すでにかなりの記者クラブが変わりつつあるのに、記者会見に主導権を持つ日銀自身までが流れに背を向けているのは何とも理解しがたい。その点、日本記者クラブはジャーナリストOBの立場で、参加は問題ないので参加できた。それを少しレポートしよう。
メドにした1%物価上昇が見通せるまで
ゼロ金利含め金融緩和を進める
白川日銀総裁は講演で、「家計や企業などが、物価水準の変動にまどわされることなく経済活動を安定的に行えることが大事で、日銀としては、金融政策運営にあたって、その安定した物価水準レベルを数字で表現することが必要になった」と、まず述べた。
そして、中長期的には日本の消費者物価の前年比上昇率は2%以下のプラスの領域にある、と日銀は判断しているが、「当面は1%の物価上昇率をメドにし、それが見通せるようになるまで、実質的なゼロ金利政策を続ける」という。これまでの金融緩和政策も物価安定をめざしてきたが、今回からは、物価上昇率の目標値を示し、それがある程度、実現できた、と判断されるまで、日銀は金融緩和政策を続ける、というところがミソだ。
同時に、日銀は、民間の社債や不動産投資信託(J-REIT)といったリスク性のある金融資産の買い入れ、さらに長期および短期の国債の買い入れを行う。このための基金の規模を10兆円増やし、総額65兆円にする、という。この基金規模は間違いなくケタ外れだが、日銀としては長期金利の低下によって先行きの金利上昇不安をなくし、また民間が保有する金融資産のリスクを取り除くことで、金融緩和効果を上げようというのだ。
白川総裁がこだわった物価上昇率実現めざす
「メド」と「インフレ目標」の違い
しかし、講演で聞きたかったポイントは、日銀が今回、金融政策面でめざすべき物価の前年比上昇率を初めて示し、その目標値を1%メドにする、としたが、私も含めて、ほとんどのメディアが「事実上のインフレ目標導入」とした。数値目標で事実上、「インフレ目標」と言っていいのに、なぜ日銀は「メド」という表現にこだわるのかが問題だ。
この点に関して、白川日銀総裁は講演で「イングランド銀行は『ターゲット』、欧州中央銀行は『定義』、米FRB(連邦準備制度理事会)は『ゴール』、日銀は『メド』と言葉が異なるが、めざす物価上昇率を数値で示す点では変わりない」、「今回、FRBが(1月に)採用したゴールを、論者によってはインフレーション・ターゲッティングと読んでいる。FRBの枠組みをそう呼ぶのであれば、日銀の方法もそれに近いと言える」と述べた。
日銀は「インフレ目標」にすると
金融政策が縛られるリスクを過度に警戒
しかし、その一方で、白川日銀総裁は「インフレ目標という言葉が、一定の物価上昇率と関係づけて機械的に金融政策を運営することと同義的に使われることが多い」「先行きの不確実性が大きいことを踏まえると、固定的なイメージの強い『目標』という表現を使わずに『メド』と位置付け、原則として1年ごとに見直すことが適当と考えた」という。
いずれも優れものの企業ばかりで、「わが社だけは勝ち残る、生き残る」と言いながら、激しい競争に巻き込まれている。
要は、おわかりだろうが、日銀としては、金融政策の自由度を残すためにはフレキシブルな「メド」の方がいい、縛られたくない、金融政策の独立性を確保したい、ということだ。過去に、頑なに拒んでいた理由はそこにある。
ただ、政治的な圧力も無縁でない。白川日銀総裁は講演できっぱりと否定したが、メディアの現場にいる友人ジャーナリストによれば、国会論議の場で、「日銀の金融政策がわかりにくい」と散々、批判されて窮地に立たされたことは事実。たまたま、兄貴分の米FRBまでがインフレ・ゴールを設けたことから、踏み切ったのかもしれない。
バブル崩壊後の20年で1%台の物価上昇率は
たったの3回、意外や難関?
ここで、言葉の遊びや背景探りをしていても仕方がない。問題は、今回の日銀の事実上のインフレ目標政策、それをバックアップする金融緩和措置で、1%メドの消費者物価の上昇が本当に実現するかどうかだ。
私は当初、控えめな数字目標だな、あくまでも目標なのだから、米FRBや欧州中央銀行のように2%の数字でもいいでのでないか、と思っていた。ところが経済ジャーナリストの不明を恥じるが、何と過去20年間で、バブル後遺症のあった1993年ごろに1%台、そして1997年の消費税率3%引き上げで消費者物価が押し上げられて1%台に、続いて2008年に1%台を記録しただけで、あとは長期デフレを示すかのように、上昇率がゼロかマイナスだった。要は、この20年間で消費者物価の上昇率が最も高い1%台の数字でたったの3回。この実現をめざして、これから挑戦するのだ。
「川上インフレ・川下デフレ」の現実も無視できず、
日銀はデフレ対応に傾斜
ところが、いま、実体経済の中では奇妙な現象が起きている。「川上インフレ・川下デフレ」現象だ。硬派の論客、多摩大学長の寺島実郎さんが指摘していることだが、原油、LNG(液化天然ガス)はじめ1次産品の国際商品市況は、中国の人口大国の経済成長に伴うエネルギー需要増、さらには投機マネーの買い漁りなどで価格が高騰し、その産品輸入にかかわる産業や企業にとってはインフレ圧力に苦しむ、他方で流通の流れでいう川中、さらに末端の川下の消費財関連の企業にとっては、そのしわ寄せを受ける一方で、ヘトヘトになるまでの低価格競争でデフレに苦しむ、言ってみれば価格の二重構造にある。
日銀の金融政策は、この川下部分を実体経済の現実とみて、政策対応しているが、欧米中央銀行の場合、デフレ脱却というよりも、金融システム不安回避のため超金融緩和だ。題は世界のマネーセンターの米国に流れ込んでいた投機マネーなどは、この超緩和マネーを巧みに活用し、今や新興国の経済成長、さらに1次産品の先物投資、その開発投資に向きを変え、それが川上インフレを助長している。言ってみれば、FRBが2014年末までゼロ金利を含む超金融緩和を続ける、と言ってしまったのだから、当然、こういった動きになる。日銀の金融政策と違う目線で欧米の金融政策を見ておかないと判断を誤る。
民間銀のリスク回避の融資姿勢や
バランスシート調整で金融緩和効果出ず
それよりも、本題の日銀の「インフレ目標」政策へのギアチェンジで、日本経済のデフレ脱却が一歩も二歩もぐいぐいと進むのかどうかだ。最近、金融緩和に伴うマネーが株式投資などに向かい、株価を押し上げにつながっているのは明るい材料だが、結論から先に申し上げれば、日銀の追加の金融緩和政策ではまだまだ実効性が期待できない。
理由ははっきりしている。野村総研主席研究員の友人エコノミスト、リカード・クーさんの持論でもあるバランスシート調整の問題が金融緩和に待ったをかけているのも1つ。これは企業、家計とも手元に流動性を確保するため、借金返済を優先的に進めることから、金融緩和しても資金需要が起きない、という現象だ。不良債権増加に伴う金融システム不安時のバランスシート調整とは現在、背景や状況が大きく異なるが、実体としては、投資などのための資金需要がなかなか出て来ず、金融緩和効果が出ない。
民間銀の国債投資運用は本末転倒だ、
国債バブルはじけたらどうする
そればかりでない。もっと大きいのは、メガバンクを含めて民間金融機関がリスクをとらず、不良債権化を恐れて、復興開発の資金融資はじめ、ベンチャー投資資金の融資などにも消極的なのも災いしている。バランスシート調整よりも、むしろ、こちらの貸し渋りが問題かもしれない。
挙句の果ては、これら金融機関は安全投資先ということで、相も変わらず長期国債に投資している。国債バブルがはじけたり、あるいはユーロ危機の余波で、比率は多くないにしても外国人投資家が日本の国債売りに走ったら、超保守的な日本のメガバンクは一斉に国債売りに転じるリスクが大きい。今回の日銀の追加緩和策で、10兆円の長期国債の追加買い入れ枠を支援したのも、その布石だったら、何とも悲しい。
政府は大胆な規制撤廃で民間マネー
誘い出すビジネスチャンスづくりを
それよりも、私はデフレ脱却のためには、国債増発してでも財政出動で臨め、という立場ではないが、金融政策に過大な負担を負わせるのではなく、政治は、あるいは政府は財政資金を使わずとも大胆な規制の撤廃や緩和、とくに一段の経済特区の推進などを行えという立場だ。
民間の大企業を中心に、行き場を見い出せず、だぶついている資金を引き出したり、あるいは積極投資に引っ張り出す大胆なプロジェクトを政府自ら打ち出していけばいいのだ。金融政策に過大な負担を強いるよりも、まずは政府がもっとかけ声だけの成長政策を計画で出すよりも実行だと思う。
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