原点にこだわる!「昨日の不可能を、今日可能にする」の信念
株式会社ユーグレナ
代表取締役社長
出雲 充
貧困の現場で感じた思いを一貫して持ち続け、起業し成功をおさめたた男がいる。決してぶれることのない原点があるからこそ生まれるアイデアやバイタリティを持つベンチャービジネスのカリスマは、どのようにビジネスの素を発見し、それをビジネスへと結び付けたのか?
出雲ミドリムシは動物でもあるし、植物でもある。両方の機能があって、ミドリムシには人間が生活するために必要な植物と動物の59種類の栄養素がありますから、栄養失調の問題を解決するにはミドリムシ! もうピンッと来ましたね。
こうしてミドリムシというアイテムを見つけた出雲は2005年にユーグレナを設立。出雲のほか、研究開発者1名と営業担当者1名、たった3人でのスタートだった。
蟹瀬でも、そこからの事業展開というのは相当大変だと思うのですけれども、どういうふうに進められたのですか?
出雲このミドリムシを大量培養する、この技術を開発すれば、私はあとはほっといても、ミドリムシがフィーバーする、大人気になる、そう思って研究していたんです。
前途洋々かに見えた研究だったが、実はミドリムシは栄養素が豊富であるが故に、他の生物に食べられてしまい、培養がとても難しい生物であった。しかし、開発担当である鈴木は発想の転換により、この難題を解決した。
鈴木だいたい、ミドリムシを育てようとしたときに、無菌状態を維持したまま、大量に育てるということを試みるんです。しかしそうではなくて、ミドリムシだけが生きやすい、環境を整える。それによって、他の生き物がたとえ入ってくる環境であっても、ミドリムシだけを安定的に育てる方法というものに注力する。そんな研究をしたこと自体が、ほかの研究の人とアプローチが違って、自分たちのオリジナリティーが発揮できたところかなと思っています。
一人で成し遂げたものではなくて、大学の先生からもいろいろな教えを頂きながら進めてきたものなので、それができたことによって、将来、いろいろな社会への展開ができる可能性が示されたということになりますので、そういったところにとても大きな喜びを感じました。
蟹瀬ついに、念願の大量にミドリムシを培養するということに成功しました。
出雲はい。
蟹瀬当然、営業活動はやられたのでしょうね?
出雲もちろんです。
出雲私は毎日、ミドリムシの説明に行けば、「こんなにミドリムシはすごいんだ。じゃあ、私はこれぐらい買いますよ! ミドリムシたくさん買いますよ!」って、そういう人ばっかりだと思っていたんですけれども、一人も買ってくださらなかったですね。
蟹瀬何社ぐらい回られたのですか?
出雲私、2年で500社に行ったんですよ。
蟹瀬へぇ……。
出雲500社中、「ミドリムシいいね。買います!」っていう、会社は2年で1社もありませんでした。
創業当初から、出雲とともに営業に回っていた、福本拓元(ユーグレナ取締役)
福本確かに、大変な時期だったのは間違いないですけれども、正直、そんなにネガティブな感覚は持ち合わせていなくて。世の中がちゃんと我々の価値を認めてくれるタイミングが先か、お金が底を尽きるのが先かという勝負は多少ありましたけれども・・・。ただ、最終的にこうなるであろうというイメージ自体は苦しいときもとくに変わらず持ち続けていたので、そういう意味でいうと、そんなに精神的にはネガティブではなかったですね。ただ、実際に営業をしても、いろいろな理由で取り入れてくれなかったときは、大変は大変でしたけれども。
蟹瀬おそらく、スタートアップの人たちって、みんな、最初は資金繰りで苦しむんですよね。収入が入ってこないから。
出雲はい。
蟹瀬そのあたりはどうなされていたのですか?
出雲私も一生忘れないですけれども、2008年の5月に、伊藤忠商事さんが初めて、ミドリムシのことを「おお、これはいいものだ!」って言って、「あなた、本当にミドリムシを信じてるんだったら、私と一緒に何回でも提案書を作って、上司を説得して、伊藤忠がミドリムシをプロデュースできるように、伊藤忠と一緒にやりましょう!」って言ってくれる人が現れました。毎日毎日、もう何回もその人と議論して、提案書も書き直して、書き直して、書き直して・・・、それで、ようやく501社目で伊藤忠が「じゃあ、ミドリムシ、やりましょう!」って言ってくれました。
出演者情報
企業情報
関連コンテンツ
カテゴリー別特集
リンク