ローマ法王にも愛された! 日本発!! 世界に負けないブライダルデザイナーの裏側に迫る
株式会社ユミカツラインターナショナル
代表取締役社長
結城 由美(桂 由美)
幼い頃は夢見る少女、おとぎ話の世界に浸り、やがて彼女は世界的なファッションデザイナーになった。日本にブライダルという言葉を定着させた、株式会社ユミカツラインターナショナルの代表取締役社長・結城由美(桂由美)。世界の桂由美の成功を支えているものとは何か。いくつものチャンスをものにした彼女の思いとは。
蟹瀬あのとき出てきたのがいわゆる『ユミライン』と呼ばれているほっそりした…。
桂そう。
津島ふわーっと。
蟹瀬人魚のように下のほうでスッと。
桂そうですね。
蟹瀬確か、私はあまり詳しくないんですが。
桂マーメイドに似ているんですけど。
蟹瀬ですよね?
桂マーメイドラインとはちょっと違うんですよね。ただ、私は1981年というのは流行の変わり目だと思っていたんですね。大体今までの服装の歴史からいくと、このスカートの広がりが大きくなって、これ以上大きくならないというところまで来ると、次に来るのはだんだんこれが小さくなるのではなくて、細くなるんです。
蟹瀬そういうものなのですか。
桂で、細くなったものがだんだん広がって、こうはなるんですけどね。そこで、もう細身だと、次はスレンダーだということは思っていたんですが、まだ変わり目なので危ないから両方出したんですよね。こういうときって、今もそうですけど、ちょうど今年なんかそうなんですが、フィフティーフィフティーなんですね、このビッグなのとそれからスレンダーというのは、皆さんのオーダーがですね。
だからそれがちょうど、そのときだったので半分半分出したんですよ。ところがそこへ、ダイアナさんとチャールズ皇太子の結婚式が全世界に報道になったんです。あれはまさにビッグの代表的なもので。
蟹瀬思いっきり広がっていましたもんね。
桂袖は大きいし、大きい、長いというのと、だからユミラインは3年ぐらい遅れて、そのときに出したんですけど誰も見なかった、全然その細いのは。
蟹瀬でも時代の流れがまた細いほうへ来て。
桂そうです、細いほうへ来て。
蟹瀬大ヒットしたと。
桂そうです。それとまた、そのときも誰もやってなかった。で、そのアメリカのバイヤーとかジャーナリストがユミラインという名前を付けてくれたんですよね。
津島アメリカで成功を収めた桂さんの名前は、この後ヨーロッパにも知れ渡ることになります。1987年、パリで「ブライダルショー」を開催します。そして1993年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の復活祭祭服をデザインということです。
蟹瀬これは二つとも、とても大変なことだろうなと思いますけども、パリでブライダルショーを開催、ファッションの都、そこで先ほどおっしゃっていました、いろいろ人種偏見もある、そんな中で日本人がやはり文化芸術分野で活躍するというのは、並大抵のことではないわけですよね?そのときに桂さんが持っていた武器というか、なんだったんでしょうね?
桂それはやっぱり日本ですよね。
蟹瀬日本?
桂つまりパリのいいところというのは、そういう新しいデザイナーだからどうこうということよりは、やっぱり出すものがものすごく刺激的で新しいものだったら、それだけ評価がでるんですよね。だから、そうすると、なるべく、しかもオートクチュールという場面で出るんだったら、なるべく独創的で誰もやっていなくて、今まで、ということがまず第一なんです。それで新しい物を。
蟹瀬先ほどおっしゃったような日本的なものを?
桂そうすると、日本のものというのは、なかなか向こうのデザイナーにできないことではないですか。ですから最初はやっぱり絞りだとか友禅だとか、そういうものをやりましたけど、このへんは他の人もやっているので、最後に、あ!これは誰もやってない、と思ったのが和紙なんですよね。越前和紙をモードにするということで、今、WASHI-MODEという言葉でパリでも言われるようになりました。
蟹瀬もう通るようになっていますもんね。
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