これこそベンチャー!「決めたらリスクをとって一歩を踏み出す」迫力
イー・アクセス株式会社
代表取締役会長兼CEO
千本 倖生
ADSLで日本をブロードバンド大国に押し上げた男は、さらにモバイルのブロードバンド化を目指していた。正統派のベンチャー企業とは何か、起業家とは何かを身をもって示そうとしている男の、ビジネスへのスタンスとは?
千本だいぶ迷ったんですけど、やっぱり僕の一つの職業観というのは、やっぱり一つの企業のためよりは、全産業というか全社会に対してコミットするような、そういうふうなあれをやりたいなと。
蟹瀬国家的な影響力があるとか、インフラストラクチャーだとか。
千本そう。もっとパブリックセクターに対して、だけど役人はいやだと。だからもう少し、やっぱりライブな、でも一つの企業の利益だけではなくって、国民生活に直結するような、でもハイテクの、ということで、当時結構地味だったんですけど、電電公社は。結婚したらうちのかみさん「あんた電話局で電柱に登ってんの?」とか言われたんだけど。
蟹瀬(笑)。
千本地味ではあったんだけれども、日本のわれわれの電子工学の領域ではナンバーワンの企業の電電公社がいいのではないかということを言われて入ったんですけどね。
蟹瀬なるほどね。大学のときにはケネディー暗殺なんていうターニングポイントもありましたしね、いろんな意味でね。
千本そう。ありましたね。あのとき初めて衛星通信でもろに、津島さんなんか、でも生まれてない頃だと思うんだけど、要するに絵が、ダラスで起こったことがもろに東京でとかこっちで見れるというのはショッキングでしたね。
蟹瀬僕も本当に強いインパクト受けました。何が起きたのかというのは、確か中学生の頃だったのではっきりは覚えてなかったんですけども大変なことが起きた、それが生で伝わってくるというね。
千本そうですね。最初の衛星放送でしたからね。それこそBSなんかの元の。
蟹瀬そしてまた大学のほうへ行かれたと、フルブライトで。
千本そう。それがやっぱりフルブライト
千本当時はものすごく難しくて、密かに黙って受けたんです。
蟹瀬電電公社には何も言ってなかった?
千本言わずに、だって落ちると思っていましたから。
蟹瀬あらら。
千本そしたら通ってしまったので、おずおずと「黙って受けて通っちゃったんです」と。
蟹瀬で、なんと言われました?
千本いや、僕は辞めるつもりだったから、もう電電公社は辞めてもともとアメリカに行きたいと思ってたから、「向こうの大学院に行きたいので実は辞めさせてください」ということを言ったら、「エリートキャリアの中でもなかなか外国に行ってリスクを取ってそんなことするやついないので、変わったやつ一人ぐらいいてもいいだろう」という上司がいて。
蟹瀬なかなか寛容な受け止め方をしてくれた?
千本大変立派な、NTTの国際化とかそういうことをにらんだ大リーダーがいらして、「行ってこい」と。
蟹瀬やっぱりいい上司を持つというのは会社なんかの場合はすごく重要だなという気がいたしますけどね。
千本ものすごく重要ですよ、それで人生変わりますよね。
蟹瀬そして留学先で、その後ベンチャーの原点になるような、いろいろ体験なさった?
千本そうですね。やっぱり僕が今いくつかKDDIを含めていくつもの大きなベンチャーを起こす原点になったのは、やっぱりアメリカの生活なんですよね。だからこれはおそらくずっと日本にいたら今の私はなかったので、やっぱりフルブライトの留学と、それからアメリカにおいて、しかも旅行してるだけではなくて、やっぱり何年間か大学院に在籍して、それであちらの人たちと、生活レベルでエンカウンターしてなかったら今はなかったですよね。
蟹瀬寮生活をなさってて、寮の相棒からいろいろ言われたという。
千本フラタニティーってあるじゃないですか。
蟹瀬フラタニティー、はい。
フラタニティー(fraternity):アメリカの大学で、男子学生が組織する学生会・社交クラブ 会員は共同で住んで親睦を深めること
蟹瀬男子学生の集まりですよね?
千本そう。それに入れてもらって、同室のやつが大学院で、それこそホワイトアングロサクソンの素晴らしい男だ。で、ロースクールに入ってきて、マドム<このように聞こえた>ジョーンズというんだけど、彼がある日「おまえどっから来たか?」と言ったから、「NTT(電電公社)という日本最大の国家企業から来た」と。
蟹瀬胸張って。
千本そう!だって当時はやっぱりNTTからとかAT&Tといったら世界の中で悠々たるものだった。そしたら「damn! shit!」って言ったわけですね。
蟹瀬(笑)それアメリカのテレビではなかなか言えないですよね?
千本言えないです。だってフォーレターワーズで、今はいっぱい言ってますけどね。
蟹瀬日本語で言えばクソ野郎!みたいな感じになってしまうんですか?
千本もっとひどい。
蟹瀬もっと(笑)。
千本だからフォーレターワーズで、特に60年代というのは、今はしょっちゅう「Fuck!」とか言ってるじゃないですか。だけどあの頃というのは絶対言ってはいけない言葉。それもそれ牧師の息子だったわけ。で、素晴らしい謹厳実直ないい男が、そんなフォーレターワーズ言うもんだから、え?なんでそれがいけないのか。結局それ分かるのに1年ぐらいかかりましたね。
蟹瀬それ、どういうことたったんですか?
千本結局やっぱりアメリカのその今のハイテクとかシリコンバレーの原点につながるんだけど、大きな会社に長く奴隷のように働くというのはエリートのやることではないと。エリートというのはやっぱりリスクを取って……。
蟹瀬チャレンジ精神を常に持ってなきゃいけないと。
千本チャレンジして小さい会社をつくって自分の会社を作っていくというのが、新しいエリートの役割だと。だからサラリーマンなんかなるなということですよね。
蟹瀬なるほどね。それで修士課程を終わられて、これも1年で終わられて電電公社に戻られて、また今度アメリカのほうへ留学された。いい会社ですね、だけど、これだけやらせてもらえるというのは。
千本いや、それも大悶着で。
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